東京駅の東側エリア、「八重洲」の由来って何? 歴史の背後にあったのは謎の外国人の存在だった
2019年11月29日
お出かけ皆さんは、東京駅東側一帯を指す「八重洲」の由来をご存知でしょうか。実は外国人にそのルーツがあります。サンポマスターの下関マグロさんが解説します。
広くて散歩にピッタリな八重洲地下街
散歩ライターをやっていると、「雨の日や暑い日などは、どんなコースを歩けばいいのか」という質問をよく受けます。そんなときにおすすめするのは、地下街散歩です。地下街は雨も降りませんし、紫外線も届きません。暑さ寒さも地上ほどではありませんから、散歩するには快適なのです。
中でもおすすめは東京駅から直結している八重洲地下街です。広くて歩きがいがありますし、飲食店がたくさんあったり、郵便局もあったりして、なかなかおもしろい地下街です。
ところで、八重洲という地名の由来をご存じでしょうか。その答えが地下街の中にあります。筆者がその答えを知ったとき、かなり驚きました。だって八重洲という言葉の響きはあまり日本語っぽくないですから。実際、オランダ人の名前なんです。名前はヤン・ヨーステン。

話は1600(慶長5)年までさかのぼります。関ヶ原の戦いの直前、オランダ船のリーフデ号が現在の大分県で難破しました。その船に乗っていたのがヤン・ヨーステンでした。
ヨーステンは後に徳川家康の外交顧問になり、屋敷を与えられました。屋敷があった場所は和田倉門外(現在の千代田区)の堀の岸辺で、その場所は彼の日本名にちなんで「八代洲河岸(やよすがし)」と名付けられました。そこから八重洲へと転じたのだそうです。
なるほどそれならうなづけますね。八重洲が住居表示として登場するのは、1872(明治5)年のこと。1954(昭和29)年には東京駅の東側一帯が「中央区八重洲」となり、現在も続いています。
八重洲地下街はそれぞれ通りに名前があり、「外堀地下1番通り」にはなんとヤン・ヨーステンの記念像があります。首から上だけの像で、最初に見たときはちょっと驚きました。目のぎょろっとした、髭をたくわえた人物だったんですね。
この「外堀地下1番通り」にあるのは像だけではありません。ヤン・ヨーステンの人物説明はもちろんのこと、リーフデ号がどのようにして日本にたどり着いたのかを描いた世界地図や、当時の日本の様子を描いた浮世絵も紹介されているのです。さながら博物館のようですね。

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