2013年解体「同潤会 上野下アパートメント」から感じた、「メモ写真」の重み

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2013年解体「同潤会 上野下アパートメント」から感じた、「メモ写真」の重み

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下関マグロ

サンポマスター、食べ歩き評論家

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フリーライターの下関マグロさんが、解体されてしまった「同潤会 上野下アパートメント」をとおして、「メモ写真」の魅力を解説します。

散歩記事を書き始めてわかったこと

 筆者(下関マグロ)の本業はライターで、カメラマンではありません。ですが仕事を始めた1980年代の半ばから、ちょっとした写真は自分で撮影しています。当時はフィルムのカメラの時代でした。

 その後1996(平成8)年に、富士写真フイルム(現富士フイルムホールディングス)の「DS-7」というデジタルカメラを購入。当時は前年に発売されたカシオ計算機の「QV-10」が話題になっていたのですが、画質がいまひとつでスルーしていました。「DS-7」なら仕事にギリギリ使えそうだと購入したのです。

 すぐに雑誌で連載していたコラムの写真などに使いました。今から考えるとスマートフォンのカメラより画質は劣りますが、それまでのフィルムカメラに比べ、手間や経費は少なくなり、ずいぶん助かった記憶があります。

2009年8月、散歩の途中にたまたま見つけた「同潤会 上野下アパートメント」(画像:下関マグロ)



 仕事で使うほかに撮っていたのが、料理写真です。今でこそ増ましたが、筆者がデジカメで撮影し始めた頃はまだ珍しく、撮影していると「なにやってんだ、やめてくれ」と店のオヤジさんから怒鳴られることもありました。

 2005(平成17)年の秋ごろからから散歩記事を書くようになって、デジカメで撮影するものががらりと変わってきました。それまで、インターネットや雑誌で書いていたのはアンダーグラウンドなクラブシーンやフェティッシュな人たちのパーティ記事が多かったので、画像もそれらに関連するものばかりでしたが、以後散歩の写真が増えていきます。

 本来の散歩記事に使用する写真とは別に街並みや面白い建物、気になった飲食店をなどをメモ代わりに撮影していました。そのようなメモから新しい記事が生まれたりするものです。たとえば2009年の夏、浅草から上野へ散歩しているときにメモ的に撮影したのが、これからご紹介する「上野下アパート」です。

竣工は1929年

「上野下アパート」の入り口には、「私有地に付き、関係者以外の立ち入りをかたくお断り致します」とあったので敷地内に入りませんでしたが、外からしつこいくらいにシャッターを切りました。帰宅してインターネットで検索してみたら、アパートの正式な名前は「同潤会 上野下アパートメント」といって、1929(昭和4)年に竣工されたアパートであるとのことです。

三菱地所グループによって2015年9月に完成した「ザ・パークハウス上野」(画像:下関マグロ)



 なるほど関東大震災後に建てられた建物で、戦争の空襲もくぐりぬけてあの場所に建っていたのですね。数ある同潤会アパートメントの中で、解体されずに残っていた最後のアパートなのだとか。2013(平成25)年6月に解体作業に入ったらしいのですが、インターネットでは内部の画像を見ることができます。興味のある人はぜひ検索してみましょう。

 そして2014年の6月、なんの因果か筆者はそれまで住んでいた新宿区からこの同潤会 上野下アパートメントがあった場所の近くに引っ越してきたのです。かつてアパートメントがあった場所はフェンスで囲まれ、工事中でした。引っ越してから1年後に「ザ・パークハウス上野」(台東区東上野5)が完成していました。

 そういえば、いま表参道ヒルズ(渋谷区神宮前)があるところにはかつて「同潤会 青山アパートメント」があって、筆者は何度もその前を通っていました。こちらは2003年に解体されたそうなので、それ以前の画像はないかと探してみましたが1枚もありませんでした。やはり、その時々によって目線が違うのですね。

 とはいえ、筆者が撮影した同潤会 上野下アパートの画像はメモ的な撮影のため、横ではなく縦に撮影したものばかりです。しかも、引きの画像は撮っていません。こうして昔撮影した写真を眺めていると、肝心なものが写っていなかったり、ピンボケだったりしていることが多々あります。もはや撮りに行けない建物だけに、後悔ばかりが残ります。

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