東京・神田で「神様」に出会った少年の話 志賀直哉の名作『小僧の神様』の舞台を辿って
2019年10月26日
お出かけ志賀直哉の小説『小僧の神様』、読んだことありますか? 主人公の少年、仙吉はお遣いへ向かう道々、東京・神田の町並みにどのようなことを思っていたのでしょう。作品発表から99年のときを経て、フリーライターの下関マグロさんが彼の辿った道のりをなぞるように歩いてみました。
寿司を食べたかった小僧、仙吉の物語
志賀直哉の小説『小僧の神様』を初めて読んだのは高校生のときでした。1920(大正9)年の発表からすでに99年が経過していますが、何度も読み返してみてもそのたびに新しい発見がある味わいの深い作品です。
有名な小説なので、読んだことがあるという人も多いかもしれませんが、その内容をざっくり説明しておきましょう。
主人公は仙吉(せんきち)という小僧さんです。今でいえば中学生くらいですが、昔はそんな子どもも働いていたんですね。仙吉が働いているのは東京・神田にある秤(はかり)屋です。

ある日、仙吉は京橋にある店「S」にお遣いに出されます。出がけに彼は番頭から往復の電車賃として8銭をもらうのですが、行きは電車に乗り、帰りは歩いて4銭を浮かせます。この4銭で彼は、寿司を食べようともくろんでいたのです。
小説の冒頭、店の番頭ふたりの会話を仙吉が聞いているシーンがあります。ちょっと引用してみましょう。
「おい、幸(こう)さん。そろそろお前の好きな鮪(まぐろ)の脂身(あぶらみ)が食べられる頃だネ」
「ええ」
「今夜あたりどうだね。お店を仕舞ってから出かけるかネ」
「結構ですな」
「外濠(そとぼり)に乗って行けば十五分だ」
「そうです」
「あの家のを食っちゃア、この辺のは食えないからネ」
「全くですよ」
この会話を聞き、仙吉はああ、あの寿司屋だなとピンと来ます。というのも、ときどきお遣いに行かされるSの近くに、その寿司屋があるのを知っていたからです。
この小説は1920(大正9)年に雑誌『白樺』に発表されました。当時はまだトロとは呼ばずに「鮪の脂身」と言っていたんですね。もっとも江戸時代は脂身は食べる人がいなくて捨てていたそうですが、この時代になるとすでに人気の部位になっていたようです。
この会話のなかに、仙吉が乗った電車が出てきます。それが、上記の番頭同士の会話にも出てくる「外濠(そとぼり)」です。後に東京都電外濠線と呼ばれる線で、その名前の通り、通称「外堀通り」、正式には「東京都道405号外濠環状線」を走っていた路面電車です。
この物語で仙吉が歩いた神田から京橋までの道のりをあらためて歩いてみたいと思います。仙吉が奉公していた秤屋さんがどのあたりかは分かりませんが、筆者はJR神田駅南口から出発することにしました。
高架になっているJRの線路の下を南に進めば、常盤橋に出ます。この辺りから、仙吉と同じように外濠線に乗っている気分で歩いてみます。作品のネタバレを含みますので、この先は注意して読んでみてください。

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