90年前の威厳そのままに――重要文化財「日本橋高島屋」の魅力を語りつくす

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90年前の威厳そのままに――重要文化財「日本橋高島屋」の魅力を語りつくす

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黒沢永紀(都市探検家・軍艦島伝道師)

令和の時代を迎えた今も、1933(昭和8)年建築当時の威風を守り続ける、中央区日本橋の老舗百貨店「日本橋高島屋」。館内を見渡せば、設計を手がけた日本近代建築家たちの哲学を随所に読み取ることができます。都市探検家・黒沢永紀さんがアテンドします。

近代の2大巨匠が遺した傑作建築

 2009(平成21)年、国内の百貨店で初めて国の重要文化財に指定された日本橋高島屋。その指定基準の最大の要因は、建築的な価値にありました。

 日本近代建築の重鎮、高橋貞太郎(たかはし・ていたろう、1892年~1970年)と村野藤吾(むらの・とうご、1891年~1984年)による時代をまたいだコラボレーションは、隅から隅まで見所が満載です。

創建当時の姿を今に伝える日本橋高島屋の外観。右奥の反り屋根の部分からが村野藤吾による増築部分(画像:黒沢永紀)



 1831(天保2)年より呉服屋を営んでいた高島屋が百貨店として開業したのは、1898(明治31)年の大阪店。当時は老舗呉服店の百貨店化が盛んな時代で、高島屋にとって競合ともいえる三越をはじめとした多くの呉服屋が百貨店として開業したのもこの頃でした。

 瞬く間に業績を伸ばした高島屋は、1900(明治33)年に現在の日本橋店となる東京店を開店。その後、昭和に入って鉄筋コンクリート造が普及し始めたのを受けて、本格的な百貨店建築への建て替えを計画しました。「どうせ造るなら最高のものを」と設計を公募し、採用されたのが高橋貞太郎の案でした。

 高橋貞太郎は、宮内庁関連の建築物の改修などでキャリアをスタートさせ、関東大震災後の復興局とも深いつながりのある人物。学士会館や前田侯爵邸の設計で知られる日本建築界の重鎮で、日本橋高島屋は初期の作品になります。

 1933(昭和8)年に竣工した地上8階、地下2階、総鉄筋コンクリート造の建物が、現在も中央通りに面してそびえる日本橋高島屋の本館です。あまり知られていませんが、創建当初のビルの名前は「日本生命館」といい、日本生命が建設して高島屋が借り受ける形でした。全館冷暖房完備をうたった当時のコピー「東京で暑いところ、高島屋を出たところ」は一世を風靡したといいます。

 イタリアから取り寄せた大理石が使われた1階の列柱や、天井に施工された豪華なシャンデリアは、1927(昭和2)年に竣工した三越本店と双璧をなす豪華さ、と賞賛を浴びたそうです。

擬宝珠(ぎぼしゅ)を頂くエントランス支柱

 その後、高橋貞太郎による増築計画があったものの、戦時体制へ突入して頓挫。増築計画が復活したのは戦後になってからのことでした。そしてこの増築を担当したのが村野藤吾です。

 村野藤吾は、総タイル張りの元祖ともいえる近三ビルや、シンプルながら細かなディテールが際立つ日生劇場の設計で知られる、これまた日本建築界の重鎮。1952(昭和27)年から4度にわたる増築は、オリジナルの雰囲気を損なうことなく継承しながらも、しっかりと時代を反映させたものでした。

 日本橋高島屋のびっくりするエピソードといえば、屋上動物園でしょうか。戦後すぐの1950(昭和25)年、タイから遥々やってきたゾウの「高子」が高島屋の屋上で飼われることになったのです。

 クレーンで吊り上げられた高子は、しばらく高島屋の屋上で人々を楽しませていましたが、1954(昭和29)年に上野動物園へ引き取られることに。高島屋から出るときは、なんと店内の階段を歩いて降りたというから、また驚きです。

 そんなエピソードを持つ日本橋高島屋が、国内の百貨店で初めて国の重要文化財に指定されたのは2009(平成21)年。文化財指定の最大のポイントは、ふたりの著名な建築家によるコラボレーションにもかかわらず、しっかりとした連続性があり、総合して百貨店建築の歴史を今に伝えている点だったといいます。

 それでは、実際に日本橋高島屋を見ていきましょう。

格天井にオリエンタルな装飾の欄間、そして大理石の壁には壁泉と釘隠しが打ち込まれ、和洋折衷を極める正面玄関(画像:黒沢永紀)



 まずは外観から。総タイル張りで、弧を描く角の処理は、昭和初期建築の象徴的なスタイルです。特に、エントランス上部の意匠は凝っていて、柱の上には大きな擬宝珠(ぎぼしゅ)が載ります。擬宝珠とは、日本武道館のてっぺんで知られる玉ねぎ型の装飾で、橋や神社、寺院の階段などに使われる、伝統の建築装飾です。

昭和へタイムスリップしそうなエレベーター

 洋風な建物に擬宝珠と聞くと、違和感があるように思いますが、実際に見ると見事に調和しています。そしてこの日本的とも東洋的ともいえる装飾が随所に散見するのが、日本橋高島屋の建築装飾の最大の特長です。

 中央通りに面した建物の4分の1程度が当初の建造部分、すなわち本館部分です。残りはすべて増築部分なので、外観のほとんどは村野藤吾の手によるものですが、目を凝らしてみれば増築したと分かるものの、基本的な壁の素材を統一しているため無理がありません。同時に、増築部分位は、場所によって大きなブロックガラスをはめ込むなど、戦後建築の流れも違和感なく取り入れている点など、村野藤吾の手腕が光るところと言えるでしょう。

 正面玄関の重厚な鋼鉄製の扉に施されたレリーフは、雷文、すなわちラーメン模様とアカンサスの花が共存する和洋折衷。また、エントランス・スペースの天井は、漆喰で塗り固められた格天井。欄間(らんま)にもラーメン模様が施され、随所に釘隠しがあしらわれています。しかし、左右は大理石製の壁で、壁泉が施工され、ここでもまた完全なる和洋折衷。

 エントランスを抜けた1階のメインホールは、いわば日本橋高島屋の顔ともいうべき場所。光沢のある大理石の列柱が並ぶフロアは壮観ですが、列柱の上部には、これまた大きなラーメン模様の装飾が施されて、その形状はあたかも寺院などで見かける肘木(ひじき)のようです。

 天井灯は、シャンデリアと呼ぶには少し重厚な印象を受けますが、これは戦時下での金属供出で当初のものが失われたため村野藤吾が新しくデザインしたものです。

 そしてメインフロアの奥に並ぶ、蛇腹扉のエレベーターは圧巻。同じ部材で補修しながら現役で使われている姿は、創建当時を彷彿とさせます。艶やかな声のオペレーターが同乗するエレベーターは、老舗百貨店にいることを実感させてくれます。

創建当時の姿を今に伝える壮麗なエレベーター(画像:黒沢永紀)



 重厚な大理石は、階段にも使用されていますが、ところどころにアンモナイトなどの巻貝の化石を見ることができるのも楽しみのひとつでしょう。

今は亡き「高子」に思いを寄せて

 増築部分で目を引くのは、旧館部分とはまったく違ったエレベーターです。現代と同様のフラットな扉が開閉する構造のものですが、扉に描かれている絵が、なんと日本洋画界の重鎮・東郷青児(とうごう・せいじ)の作品なんだとか。

 また、増築部分の奥にある階段は、旧館のそれとは違って白さが眩い大理石製。細く軽快な印象の手すりは、なんと屋上から地下までシームレス! 決して怪我することがありません。使う人のことを第一に考えた村野藤吾らしい手すりだと思います。

 ほかにも見所はたくさんありますが、最後に屋上を見てみましょう。旧館の風除室の天井は、これまで見てきたただの格天井ではなく折上の格天井。屋上スペースへ出る庇(ひさし)の下にも、日本建築ばりの肘木的な装飾が並びます。

 そして増築部分の屋上には、奇妙な形の塔屋があります。楕円形の一部分がコブのように盛り上がった形は、村野藤吾が増築する際にかつて屋上にいたゾウの高子へのオマージュで製作したもの。以前はコブのように盛り上がった先にスチーム用の煙突があり、まさにゾウのように見えたといいます。

かつて屋上で飼われていた、ゾウの高子をモチーフにした塔屋(画像:黒沢永紀)



 国内の多くの百貨店が、費用対効果を優先するあまり、安普請な建物に立て替えて、百貨店の権威を失墜させかねない昨今、素晴らしい建築を守り続けてなお営業する日本橋高島屋は、百貨店が本来もつべき憧れと威厳を持ち合わせた真面目(しんめんぼく)だと思います。

 高島屋の建物の素晴らしさの一端をお伝えしてきましたが、もちろん、働くスタッフの方々の応対も素晴らしいことは、言うまでもありません。

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