江東区の「完勝」で終了
約40年にわたって、大田区と江東区が帰属を争っていた中央防波堤埋立地(中防)の帰属争いがついに決着しました。
2019年9月20日(金)、東京地裁は中防の帰属判決を言い渡しました。地裁判決では大田区が20.7%、江東区が79.3%の割合で分割する案を提示。また、五輪会場に予定されている海の森公園も江東区に属することが決まりました。
中防の帰属問題は、結果的に江東区の「完勝」で幕を閉じることになったのです。
大田区・江東区は長らく主張を譲らず、約2年前には東京都に設置された自治紛争処理委員に帰属の裁定が委ねられました。
自治紛争処理委員は、約500haの中防のうち大田区13.8%、江東区86.2%で分割する調停案を提示。
当時、両区ともに全島の帰属を主張していたため、調停案は両区にとって受け入れがたい内容でした。不服な内容ではあったものの、江東区は主張がほぼ認められたこと、第三者に裁定を委ねたからにはどんな結論であっても従うことを理由として、区議会でも調停案を受け入れる議決をしています。
一方、わずかな土地しか帰属が認められなかった大田区には、承服できる調停案ではありませんでした。大田区が調停案を受け入れなかったことで、帰属争いは司法に場を移しました。
お台場の南側、東京湾に浮かぶ埋立地は造成開始時に帰属が決まっていませんでした。そのため、暫定的に住所は「江東区青海地先」とされていました。また、中防で発生する行政的な業務は、暫定的に江東区が受託していました。
2020年の五輪開催がネックに
こうしたひとつひとつの積み重ねが、中防は江東区というムードを醸成しました。これらが、江東区が中防の約8割の帰属につながる遠因になったことは間違いありません。
長らく住所が定まらなかった中防には、東京都環境局庁舎(江東区青海)や都立海の森公園(同)といった都の施設しかなかったこともあって、特に問題は起きませんでした。
逆説的な見方をすれば、大田区なのか江東区なのかが決まらなかったことが中防の開発を抑制的にさせたともいえます。
目の前に広がるお台場エリアは、多くのオフィスが立ち並ぶようになりました。平日はビジネスマンの姿が見られ、週末はカップルや家族連れでにぎわいます。
お台場のシンボル的な存在のフジテレビ(港区台場)は、竣工当初から話題になりました。現在も、フジテレビの注目度と集客力は衰えていません。お台場の足を担うゆりかもめも、確実に利用者を増やしています。
同地区以外でも、年を経るごとに開発が進みました。
青海には、大規模なイベントが頻繁に開催される東京ビッグサイト(江東区有明)があります。ビッグサイトには国内はもとより海外からも商談に来るビジネスマン、イベント参加者も少なくありません。
今回の判決を大田区・江東区双方が受け入れた背景には、2020年に開催される東京五輪があります。地裁判決を不服として高裁に上告すれば、2020年の五輪開催までに決着がつかない可能性が高いのです。
東京五輪では、海外から多くの外国人観光客が来ます。中防には五輪会場のひとつとなる海の森公園があり、五輪を見込んだ開発投資が期待できます。
帰属紛争が長引けば、そうしたチャンスを逃すことにもなるのです。そうした理由から、今回の判決は受け入れられたのでした。
減少局面を迎えている東京の人口
中防は、お台場のような商業地として大発展を遂げるのでしょうか? それともビッグサイトのような国内外から人を集める地になるのか? それは、今後の開発次第でしょう。
しかし、お台場と中防が大きく異なるのは、その大地です。
お台場と呼ばれる一帯は、多くが土砂によって埋め立てられています。そのため、造成当初から順調に地盤が固まり、ビルの建設も難しくありません。
他方、中防は大部分がゴミによって埋め立てられています。そのため、地盤の固まりは不安定で、しかもガスの発生や汚臭といったハプニングがついて回ります。
帰属が決まったとはいえ、中防はすぐに開発に着手できる状態ではありません。まだ、様子見が必要です。本格的な開発は、2050年ぐらいまで待たなければ難しいとの見方もあります。
すでに、わが国は人口減少社会に突入しています。流入する若年人口が多い東京は、出生率が低くても人口増が続いていました。しかし、東京都は2025年までには転入者も少なくなり、東京都も人口減に転じると予測されています。
2050年は、東京都もかなり人口が減少しています。そこまで待てる余裕が、今の東京にはあるのでしょうか?
ようやく中防が開発できる環境になったとき、果たして東京はどんな姿になっているのでしょうか?