シンプルで美しい「モダン建築」、その感覚は元来日本人が持っていたものだった
2019年7月7日
お出かけ約90年前の深川には、当時最先端の建物が建ち並んでいました。いわゆるモダン建築です。そんなモダン建築がたどった歩みを都市探検家・軍艦島伝道師の黒沢永紀さんが解説します。
線と面だけでシンプルに構成された外観
今から90年くらい前、東京下町の深川とよばれるエリアに、当時最先端の建物がいくつも建ち並んでいたのをご存知でしょうか。今回はその中から現存するふたつの物件を取り上げ、ビルがひしめく東京の原点を探ってみたいと思います。
ひとつめは、地下鉄門前仲町駅から北西に5分ほど歩いたところにある、1932(昭和7)年築の「深川東京モダン館」(江東区門前仲町)。その前身は、関東大震災の復興事業の一環として、東京市が都内数カ所に建設した食堂のひとつです。
ほどなくして食料配給所となり、戦後は職安や内職補導所として使われていましたが、2008(平成20)年に登録有形文化財に。翌年、「深川東京モダン館(以降モダン館)」として開館し、江東区の観光拠点として使用されています。

この建物の最大の特徴は、当時世界的に最先端だった「国際様式」とよばれる建築様式が採用されていること。国際様式とは来たるべきグローバル化社会を先取りし、合理的で秩序ある国際的なデザインを掲げて、ドイツを中心に発信された建築様式でした。これがいわゆるモダニズムと言われる形の原点です。
建築は常になんらかの装飾を施すことで、「時代の象徴」足りえてきましたが、モダニズムはザックリと言ってしまえば、その装飾を全て無くしてしまう発想です。それは建築の大革命ともいうべき出来事だったといえます。
装飾らしいものが一切なく、線と面だけでシンプルに構成されたモダン館の外観は、まさに国際様式そのもの。しかし、そんな最先端な見た目とは裏腹に、当時の人たちは、飾りがまったくない建物を「味気ない」と感じ、「豆腐に目鼻」と揶揄(やゆ)しました。
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