都会的で洗練された世界観
最近、何故か唐突に安部恭弘(やすひろ。※1)を聴いています。かつて札幌のFM局にいた頃にお会いしたことがありました。どことなく理知的なひとだったような記憶が。稲垣潤一が唄ってヒットした「ロング・バージョン」、佐々木幸男の名曲「セプテンバー・バレンタイン」も彼の作曲。アイドルも含め、数々の楽曲を提供していました。
数年前からシティポップが流行っているといいます。ましてやYouTubeなどを通じて海外からの反応も多いというのだから不思議なものです。DJがクラブでシティポップの楽曲を使い始めたところに端を発している、ということも聞いたことがあります。
さてシティポップを、当時は「シティポップス」と呼んでいたような気がしますが、ここではシティポップと統一して呼びます。シティポップとは、日本のニューミュージック(※2)の中でフォーク寄りではなく、いわゆるポップ寄りの音楽といえばいいのでしょうか。都会的で洗練された世界観を提示しているのが特徴です。
1973(昭和48)年にリリースされた荒井由実(のちの松任谷由実)『ひこうき雲』のバックで演奏していたティンパンアレーがシティポップの道を開いたともいわれていますが、「都会的で洗練されたポップス」を示す点が強調されていました。アメリカでいえばボズ・スキャッグス、ボビー・コールドウェル、クリストファー・クロスなどのAOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)のような存在なのかもしれません。
松任谷由実、ハイファイセット、ブレッド&バター、大瀧詠一、山下達郎、吉田美奈子、大貫妙子、尾崎亜美、竹内まりや、そして大ブレイクを果たした俳優の寺尾聡(あきら)などが代表的なミュージシャンでしょうか。角松敏生、稲垣潤一、杉真理、山本達彦などもいました。
シティポップを演奏するのは今は亡き東芝EMI、RCAビクター、アルファのミュージシャンが多かったように思います。もちろん安部恭弘も東芝EMIでした。彼の歌詞は松本隆、康珍化(かん ちんふぁ)、売野雅勇(うりの まさお)など当代きっての作詞家が書いていました。安部恭弘は1982(昭和57)年にソロデビュー、寺尾聡のヒットがソロへの決意をした原因とされています。
※1.安部恭弘:メロウでロマンティックな都会派サウンドで人気を博した80年代シティ・ポップの雄(タワーレコード オンライン)
※2.ニューミュージック:昭和40年代後半に現れた新しいスタイルの日本のポピュラー音楽。フォークやロックの影響を受けた世代によって生み出された(デジタル大辞泉)
シティポップが描いた「抽象的な東京イメージ」
ちょうど1980年代前半の日本は、バブルに向けての「助走期間」でした。しかし1985(昭和60)年に尾崎豊の「卒業」、1986年にBOOWYの「わがままジュリエット」がヒット、時代はロックの時代に向かっていきます。まさに安部恭弘のデビューのタイミングはシティポップ全盛の後半に当たっていたという気がしないでもありません。
しかし彼の楽曲には、当時の時代が封じ込められてもいます。具体的な地名こそ登場しませんが、東京生まれの彼の楽曲には、抽象的な当時の東京イメージが付加されていました。松任谷由実は東京の具体的な場所を数多く描きましたが、それ以外のシティポップは「抽象的なイメージとしての都市」を描き、それを聴く人々はそれらを東京とイメージしてきたのではないでしょうか。
そこで思いだすのは、マンガ家、イラストレーターのわたせせいぞうです。彼は1983年に「モーニング」で連載された『ハートカクテル』で一世を風靡。この作品は1986年にテレビアニメ化もされました。彼の作品の特徴はグラフィックデザインタッチのレイアウトで、色彩も鮮やかなカラー原稿などにあり、影やグラデーションの表現が新鮮でした。
まさに独自性のある作品を描いたマンガ家、イラストレーター。ただし『ハートカクテル』の舞台は、アメリカの町並み、どちらかといえばウエストコーストのように見えます。まるで大瀧詠一『ロング・バケーション』や山下達郎『FOR YOU』のアルバムジャケットのようなものでしょう。
しかし『ハートカクテル』の登場人物の名前は日本人名でした。物語には「ジェシーズ・バー」が頻繁に登場し、当時の若者の間で、バーはお洒落な「都市装置」だったことがわかります。
しかし読み取りようによっては『ハートカクテル』も、東京の断片を無国籍風にデフォルメしたともいえなくもありません。登場人物は当時、流行したトラッドファッションに身を包んでいることが多く、バブル時代の東京を想起させてくれます。
六本木でタクシーが捕まらなかった時代
シティポップはイメージとしての東京を描き、それは地方の人々に。バブル前の華やかな東京に対する憧れを涵養(かんよう。少しずつ養い育てること)したともいえます。
しかし現在、シティポップを楽しむ若い人々は歌詞よりセンスの良いメロディの再評価をしているようにも思えます。しかし筆者(1957年生まれ)のような年代の人は、歌詞でいえば生活や風俗という側面からの、当時の懐かしい物語を楽しんでいるのかもしれません。
自由に都市を描く、これがシティポップの真骨頂なのでしょう。そして安部恭弘の楽曲には当時の東京の風景が封じ込められているように思えます。繰り返しになりますが、バブル前の、無秩序に活気があった東京です。
六本木は深夜過ぎでもタクシーが捕まらなかった時代。今、振り返れば「幻の東京」にも思えます。土地は狂乱の高騰をみせ、地方にもその余波はありましたが、それは東京とは比肩(ひけん。肩を並べること)できない程度の恩恵でした。
筆者が安部恭弘のホームページをチェックすると、彼はマイペースで音楽活動を続けており、ライブもときどきやっているようです。タイミングが合えば、一度、彼のライブに訪れてみたいものです。