●全国各地にある稲荷神社
稲荷神社は全国に約3万社以上あると言われており、農地や商業施設、工場の敷地やビルの屋上などにある小さな規模のものを含めるとその数はさらに多いといいます。
稲荷神社の総本宮、伏見稲荷神社(画像:石津祐介)
多くの稲荷神社では、稲荷神として五穀の神である宇迦之御魂神(ウカノミタマ)をお祀りしていますが、伊勢神宮の外宮に祀られている食物の神である豊受大神(豊宇気毘売神、豊受姫命=トヨウケビメ)や保食神(ウケモチ)、大宜都比売神(オオゲツヒメ)をお祀りしている神社もあります。また、これらの神々が同一視される場合もあります。
豊受姫命をお祀りしている穴守稲荷神社(東京都大田区)(画像:石津祐介)
●お稲荷さまと狐の関係
「お稲荷さま」といえば狐のイメージですが、狐は稲荷神ではなく神の使いである神使(しんし)や眷属(けんぞく)とされています。古来、民間信仰において狐は「田の神」とされ、田の近くに狐塚を築いて祀られていましたが、時代と共に稲荷神と合祀されていったようです。また狐の色や尻尾が稲に似ていることから神使となったという説もあります。
伏見稲荷に鎮座する苔むした狐像(画像:石津祐介)
豊川稲荷の霊狐塚に奉納された多くの狐像(画像:石津祐介)
●お稲荷さまの総本宮、伏見稲荷大社
稲荷神社の総本宮は京都市伏見区にある伏見稲荷大社で、全国にある多くの稲荷神社はここから分祀されています。
伏見稲荷大社は、この地を治めていた渡来人の秦氏によって奈良時代に創建されました。山城国風土記によると「…秦氏が餅を的に矢を射ったところ、餅が白鳥となり飛び立ち山の峰に降り立ち、そこに稲が成った事から伊奈利(イナリ)神社を創建とした…」とあり、元々は「伊奈利」と記されていたことが分かります。伊奈は稲、利は刈り取るという意味を持ち、稲刈りを表しています。
伏見稲荷の千本鳥居。朱色には魔除けと豊穣の力があり、江戸時代には鳥居の奉納が盛んになります(画像:石津祐介)
平安時代、東寺の塔を建設するために稲荷山の木を切り出して用いたところ、淳和天皇が病に倒れます。占いによると病は木を切った祟りであると分かり、朝廷は祟りを鎮めようと稲荷大神に従五位下の位を与えます。その頃には「稲荷」と表記されるようになっていました。その後、稲荷大神は正一位まで昇格します。その名残で今でも各地の稲荷神社には「正一位 稲荷大明神」の幟が立てられています。
稲荷山山頂の一ノ峰に鎮座する上社神蹟(画像:石津祐介)
●お稲荷さまは神社? それともお寺?
「日本三大稲荷」といえば総本宮の伏見稲荷大社は必ず含まれるのですが、残りの2社については諸説あり、伏見稲荷大社も公式サイトで「特定できていません」としています。
全国的に有名な「お稲荷さま」は、笠間稲荷(茨城県笠間市)、祐徳稲荷(佐賀県鹿島市)、豊川稲荷(愛知県豊川市)、最上稲荷(岡山県岡山市)などがありますが、実は神道系と仏教系に分かれています。
前述した「伏見稲荷」「笠間稲荷」「祐徳稲荷」は神社で、「豊川稲荷」と「最上稲荷」はお寺です。
豊川稲荷(圓福山妙厳寺)では「豊川吒枳尼眞天(トヨカワダキニシンテン)」、最上稲荷(最上稲荷山妙教寺)では「最上位経王大菩薩」を祀っており、共に狐に乗った姿で描かれています。
651年に創建されたと伝わる笠間稲荷神社(画像:石津祐介)
九州を代表する稲荷神社、祐徳稲荷神社(画像:石津祐介)
奈良時代から平安時代にかけては神仏習合が進み、神社と寺院が同じ存在でした。明治になると神仏分離令が発せられ寺院と神社を区別するようになりますが、豊川稲荷や最上稲荷は寺院として存続することができ、その姿を今に残しています。
豊川吒枳尼眞天を祀る豊川稲荷大本殿(画像:石津祐介)
「豊川吒枳尼眞天」と書かれた幟が奉納されています(画像:石津祐介)
●なぜ稲荷神社が全国に多いのか?
まずは平安時代、空海によって東寺の守護神として稲荷神が勧請されます。真言密教の荼枳尼天(ダキニテン)と稲荷神は同一視され、空海の教えと共に全国に広まりました。
江戸時代になると、江戸では「伊勢屋稲荷に犬の糞」と言われるほど街には多くの稲荷神社が建てられました。元々は五穀豊穣のご利益で知られたお稲荷さまですが、徐々に商売繁盛や家内安全のご利益も加わり、さらに参勤交代で江戸詰になった各地の大名や豪商が屋敷に稲荷神社を勧請し、江戸中に広まったとも言われています。
こうして江戸の街で大人気となった「お稲荷さま」は、庶民的なご利益と相まってさらに全国に広まったようです。稲荷神社を見かけたら、そのルーツを探ってみるのも一興かもしれません。