ゼビウスの鉄板は壊せる? 今日は「ファミコンの日」、友達と盛り上がった昭和の記憶を振り返ろう!
7月15日は「ファミコンの日」です。それを記念して、本日はファミコンの歴史を振り返ります。解説するのは、ルポライターの昼間たかしさんです。1983年7月15日に発売されたファミコン 7月15日は「ファミコンの日」。38年前の1983(昭和58)年の今日、ファミコン(ファミリーコンピュータ)は定価1万4800円で発売されました。 最初のゲームタイトルは、 ・『ドンキーコング』 ・『ドンキーコングJR.』 ・『ポパイ』 の3本。以降、順調にタイトル数を増やしていきました。 今でも知られる『マリオブラザーズ』は1983年9月9日の発売です。任天堂を除いた初のゲーム制作会社・ハドソンは1984年7月28日に『ナッツ&ミルク』を発売。続いて同月31日に名作『ロードランナー』を発売しています。なお、初期の傑作『ゼビウス』を発売したのはナムコで、1984年11月8日でした。 大ヒット商品となったゲーム機「ファミリーコンピュータ」。任天堂提供(画像:時事通信フォト) 当時の子どもたちは 「ゼビウスの鉄板は破壊できる」 「バンゲリングベイには最終面がある」 など、誰が言い出したかもわからないうわさをもとに、ゲームに時間を費やしていました。ただ、あまりにも熱中し過ぎた子どもには、父親から 「ファミコンを壊された」 「ファミコンを家の外に投げられた」 といったような制裁がありました。これは当時の「あるあるエピソード」で、その根底には、子どもは表で元気に遊ぶのが美徳と考えられていた時代背景があります。 学校でも「ゲームとテレビは1日1時間」という決まりを先生が押しつけ、みんな従っているフリをして、全然守らなかったという話も「あるある」です。 百貨店で本体が1日1000台も売れた百貨店で本体が1日1000台も売れた そんな時代ですから、当時のメディアの言及はネガティブでした。 『朝日新聞』1985年10月22日付朝刊に掲載された記事は、東京都武蔵野市の小学校の事例として、放課後に校庭で遊ぶ子どもたちが春ごろから姿を消し、その理由がファミコンだったというエピソードを紹介しています。 東京都武蔵野市(画像:(C)Google) 記事中では、こんな記述も。 「男子25人のうち15人がファミコン、5人は高度なパソコンを持っていた。女子は15人中10人。持っているゲーム用カセットは最高で55本。土曜の午後は、友だちの家に集まり、ファミコンで遊ぶ。そのまま泊まり、翌日起きてすぐファミコンにかじりつく例もある。教室でも、こっそりカセットを交換していた。ゲームで高い得点を挙げる方法、新製品情報がもっぱらの話題だ。「プログラミングを勉強してる子もおり、どうも、一時的な流行とは違うようです」ファミコンは、かなり値がはる。1台1万~3万円。パソコンになると十数万円以上。カセットは1本4、5000円する」 この小学校は首相経験者も卒業生に名を連ねる私立の名門ですが、カセット55本は多すぎです。当時発売されていたものをほぼ持っている計算です。きっとこの子どもの家は、たまり場になっていたことでしょう。 子どもが没頭しすぎるという点で顔をしかめる大人も多かったファミコンですが、同時にビジネスとして熱視線を送られる商品でした。 1985(昭和60)年の冬にはクリスマス商戦を狙ったカセットが次々と発売され、「サンタのプレゼント」として、初めてトップに躍り出ています。 当時、子どものおもちゃの主戦場だったデパートではファミコンが飛ぶように売れました。東急、西武、伊勢丹、小田急などの都内百貨店では、いずれもファミコンが人気商品のトップに。東急百貨店では12月22日だけで1000台を売り切るほどでした(『朝日新聞』1985年12月23日付夕刊)。 ヨドバシカメラ新宿東口店には長蛇の列ヨドバシカメラ新宿東口店には長蛇の列 ファミコンを軸とした商戦は翌年、さらに過熱します。 1986年のクリスマスを前に900万台を突破していたファミコン景気を当て込んだ制作会社は、次々とソフトを投入。10月末以降、30数タイトルが発売されました。 『朝日新聞』12月13日付夕刊では、この乱戦模様を取材し 「数百本が15分で売り切れた、という人気商品もあるが、さっぱり売れないソフトもあり、「いよいよ淘汰(とうた)の時代」と、メーカーもデパートも口をそろえる」 と記しています。 この商戦の発売作品を見ると ・『ミシシッピー殺人事件』(ジャレコ) ・『たけしの挑戦状』(タイトー) ・『プロ野球ファミリースタジアム』(ナムコ) ・『ドラえもん』(ハドソン) ・『時空の旅人』(ケムコ) などが名を連ねています。 なお『ミシシッピー殺人事件』は、冒頭の部屋で飛んでくるナイフで何度もゲームオーバーするゲームで、『時空の旅人』はちょうど角川書店が『火の鳥 鳳凰(ほうおう)編』と2本立てで映画を公開するのに併せて発売されたゲームでした。 またこの年は、子どもがファミコンソフトを買うために行列した初めての年でもあります。前述の『朝日新聞』によれば 「ヨドバシカメラ新宿東口店は「10日の人気ソフト発売では、地下1階から表口まで子どもたちが列を作って、用意した品が15分で売り切れた」と、こちらは対照的にホクホク顔。今年のクリスマス商戦もファミコンのソフトが中心になることは間違いない、という」 と、記されています。 『たけしの挑戦状』(画像:タイトー) ちなみに10日に発売されたのは『たけしの挑戦状』『プロ野球ファミリースタジアム』『ガルフォース』(HAL研究所)の3本ですが、15分で売り切れたのは一体どのカセットだったのでしょうか? 関連書籍も100万部突破関連書籍も100万部突破 こうして1987(昭和62)年3月には、ファミコンの出荷台数が1000万台を突破。任天堂は1983年に651億円だった年間売上高を、1987年に1470億円まで増やしました。 関連市場の拡大も著しく、徳間書店の『ファミリーコンピューターマガジン』は月2回刊行で毎回120万部。同社の『スーパーマリオブラザーズ完全攻略読本』は1987年10月時点で126刷135万部に達しています。 2016年に復活した『ファミリーコンピューターマガジン』(画像:徳間書店) 前述のように当初は「子どものおもちゃ」と見られていたファミコンですが、このような歴史がありました。 そして今、テレビだけでなくパソコンを使ったゲームは誰もが楽しむものとして、広く親しまれるようになっています。このようなゲーム文化も、ファミコンの成功がなければ存在しなかったのです。 あなたには、どんなファミコンの思い出がありますか?
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