ソース焼きそばは大正時代の浅草で誕生した?日本最古のソース焼きそばを味わう【後編】

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ソース焼きそばは大正時代の浅草で誕生した?日本最古のソース焼きそばを味わう【後編】

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食文化史研究家

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全国各地で愛されているソース焼きそばは、もとはといえば大正時代の浅草で生まれました。なぜ浅草で生まれたのでしょうか? そしてなぜ、中華麺にイギリス由来のソースをかけるのでしょうか? 著書『お好み焼きの戦前史』においてソース焼きそばの歴史を明らかにした、食文化史研究家の近代食文化研究会さんが解説します。

ソース焼きそばの長い歴史がある街、浅草

 現存する中では日本最古の地下街、浅草地下商店街に、1964(昭和39)年創業の老舗ソース焼きそば店「福ちゃん」があります。

浅草の老舗ソース焼きそば店・福ちゃん(画像:近代食文化研究会)



福ちゃんの「鉄板焼きそば」(画像:近代食文化研究会)

 浅草には福ちゃんをはじめ、ソース焼きそばの老舗が多く存在します。ソース焼きそばは長い間浅草の庶民に寄り添ってきた、浅草のソウルフードなのです。

 戦後直後の食糧難の際には、闇市にソース焼きそばの屋台が立ちました。戦前は縁日などの屋台の定番料理でした。

 浅草で子供時代を過ごした作家・池波正太郎は、子供の頃(昭和初期)のお気に入りの屋台「町田」のソース焼きそばを、次のように描写しています。

 “大人どもも〔町田〕だというと目の色を変える始末だ。〔やきそば〕なども、ソースでいためる前に豚骨のスープをそそいで焼く”(池波正太郎 『食卓の情景』新潮文庫1980年刊)

 洋食コック経験者の屋台「町田」では、豚骨スープを加えたソース焼きそばを焼いていました。その味は子供だけではなく大人も魅了したそうです。

ソース焼きそばは大正時代の浅草で生まれた

 現存する最古のソース焼きそば店舗は、オムレツで焼きそばを包んだ「オムマキ」元祖の店、浅草の「デンキヤホール」。オムマキは大正時代から存在するメニューなのだそうです。

デンキヤホールのオムマキ (画像:近代食文化研究会)

 焼きそばを研究している塩崎省吾の『焼きそばの歴史《上》』2019年刊によると、ソース焼きそばが生まれたのは大正時代の浅草において。

 なぜ浅草で生まれたのか。その理由の一つは、大正時代の浅草においてお好み焼きが盛んに食べられていたことにあります。

 池波正太郎のお気に入りだった「町田」も、お好み焼き(どんどん焼き)の屋台。

 私が収集した中で最古のソース焼きそばの事例も、1917(大正6)年生まれの井上滝子さんが子供の頃、浅草・千束のお好み焼き屋台で食べたという経験談です(南博(他)編『近代庶民生活誌第18巻』1998年刊)。

 同じ浅草・千束にあるデンキヤホールのオムマキも、その屋台の焼きそばからヒントをえて作られたそうです。

 “初代の祖父が、屋台で見た焼きそばを卵で巻いたら・・という発想のもと、考案したのがオムマキです”(公式ウェブサイトより)

お好み焼きの一種として生まれたソース焼きそば

 現存する中で東京最古のお好み焼き店「染太郎」では、1937(昭和12)年の創業当時からソース焼きそばを提供しています。

現存する中で東京最古のお好み焼き店「染太郎」(画像:近代食文化研究会)

 東京の老舗のお好み焼き店舗には、必ずと行っていいほどソース焼きそばが存在します。なぜなら、ソース焼きそばはお好み焼きの一種として生まれたからです。

 キャベツ、青のり、紅生姜、揚げ玉(天かす)といった具材と、ソース。ソース焼きそばを構成する要素はいずれも、お好み焼きと共通しています。お好み焼きの小麦粉生地を中華麺に取り替えたメニューが、ソース焼きそばなのです。

 「100年の歴史をもつ浅草「大釜本店」で日本最古のソース焼きそばを味わう【前編】」で述べたように、浅草は東京でも最も早く中華麺の製造所が立ち上がった場所。

 お好み焼きが盛んであったことと、東京で中華麺が最初に普及した場所であったこと。この二つの理由により、浅草においてソース焼きそばが生まれたのです。

お好み焼きとは「似ていないパロディ料理」

 「えび天にいか天…東京のお好み焼き屋さんの『天』って何?」で明らかにしたように、お好み焼きとはそもそも何かというと、「遊びとしての似ていないパロディ料理」。子どもの食べ物でした。

 大阪や広島などの「お好み焼き」は、東京のお好み焼きの一種である天ぷらのパロディが全国に伝播したものです。

えび天(画像:近代食文化研究会)

 あまりにも似ていないので信じられないかもしれませんが、この写真はえび天ぷらのパロディである、お好み焼きメニュー「えび天」。えび天の「天」は天ぷらを意味するのです。

お好み焼きメニュー「カツレツ」の作り方。池波正太郎の証言を元に図解(画像:近代食文化研究会『お好み焼きの物語』2019年刊より)

 お好み焼きは、元々「洋食のパロディ」を中心として生まれました。明治末期の東京で流行していたカツレツなどの洋食を模したものです。こちらもあまりに似ていないので信じられないかもしれませんが、このイラストは池波正太郎の証言による、お好み焼きメニューの一つ「カツレツ」です。

 天ぷらなどの和食もお好み焼き=パロディ料理になりましたが、複数の調味料を用意するのも面倒なので、「カツレツ」などの洋食パロディに使用されていたソースが和食パロディにも使用されたのです。

 他にもお好み焼きにソースを使用した理由があるのですが、その詳細については拙著『お好み焼きの戦前史』を参照してください。

ソース焼きそばは炒麺(あんかけかた焼きそば)のパロディ料理

 1910(明治43)年に浅草で創業した広東料理店「来々軒」が大評判となり、浅草に柳麺(ラーメン)、焼売、雲呑(わんたん)、中華まんじゅうなどの広東料理ブームが起こります。すると、お好み焼き屋は中華料理もパロディ化しはじめます。

 染太郎のシウマイ天は、大正時代に焼売のパロディ「シウマイ」として生まれたお好み焼きの一種を、染太郎が取り入れたものです。かつては染太郎でも「シウマイ」という名前で提供しており、「天」の字はありませんでした。

シウマイ天(画像:近代食文化研究会)

 また、来々軒では焼きそばも提供していました。当時の中華料理の焼きそば=炒麺とは、現在でいうところのあんかけかた焼きそばのことです。

 塩崎省吾『焼きそばの歴史《上》』2019年刊によると、このあんかけかた焼きそば(炒麺)のパロディとして、浅草のお好み焼き屋で生まれた料理が、ソース焼きそばだったのです。

あんかけかた焼きそばのイメージ(画像:photoAC)

浅草やきそば 福ちゃん
住所:東京都台東区浅草1-1-12
TEL:03-3844-5224
営業時間:11:30~21:00
定休日:月曜・土日
アクセス:東京メトロ銀座線 浅草駅直結

風流お好み焼 染太郎
住所:東京都台東区西浅草2-2-2
TEL:03-3844-9502
営業時間:12:00~14:45、17:30~20:15
定休日:火曜
アクセス:東京メトロ銀座線 田原町駅より徒歩3分
つくばエクスプレス 浅草駅より徒歩3分
東京メトロ銀座線、都営浅草線 浅草駅より徒歩9分

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