東京屈指の古刹「目黒不動」の名前の由来について、散歩しながら考えてみた
目黒不動の名称で知られる泰叡山瀧泉寺。目黒駅から同寺までの道のりについて、フリーライターで古道研究家の荻窪圭さんが歴史を交えて解説します。江戸時代から大人気 ちょっと動かないでいると、身体ってなまるもんだなと実感している荻窪圭(フリーライター、古道研究家)です。よし、久しぶりに歩こうと思ってでかけたら、以前の半分くらいで疲れてしまいまして、歩くってのも体力を使うんだなと。 そのとき歩いたのが目黒です。江戸時代の地図(江戸絵図)を見ていると、たいてい目黒不動(目黒区下目黒)が載ってるんです。 目黒不動があるのは山手線の外側、さらに目黒川の外側なので江戸か江戸じゃないかギリギリの場所で、無理に地図におさめなくてもよさそうなものですが、目黒不動とそこへの道筋だけ無理やり入っているのです。 江戸時代、いかに目黒不動が人気だったかがわかるというもので、そういう視点で目黒不動を歩いたことがなかったためか、ちょっと足を伸ばしてみたのですね。 江戸時代のルートをたどって向かう 江戸絵図を見ていて行きたくなったのだから江戸時代のルートをたどろうということで、JR目黒駅に降り立ちます。 目黒駅は目黒区じゃなくて品川区にある――と言われます。その通りなのですが、JR「目黒駅」と東急目黒線「目黒駅」の間を通る道(目黒通り)が古道で、江戸時代もここから向かっていたのです。 古い道、つまり目黒通りの最初のルートはそこから「三井住友銀行 目黒支店」(品川区上大崎)の左側の細い道に入ります。天気に恵まれたら富士山(の先っちょ)が見えます。 この道を少し歩くと急な下り坂。目黒川に向かって下る坂ですね。行人坂(ぎょうにんざか)といって、江戸絵図に描かれている坂です。そもそも崖のような急斜面ですから坂道も急。江戸時代の人は苦労したでしょう。 目黒不動の本堂は階段を上った高台にある(画像:荻窪圭) 坂の途中には五百羅漢(らかん)で有名な大円寺(目黒区下目黒)、坂を下りるとかつての目黒雅叙園(今のホテル雅叙園東京。同)があります。 山手通りから右斜め前に入る道へ山手通りから右斜め前に入る道へ そして太鼓橋で目黒川を渡ります。 古い江戸絵図を見ると、太鼓橋のあたりに、目黒不動へ詣でる人はここで水ごりを行う、というようなひと言が書いてあります。目黒川の水を浴びて身を清めていたのですね。今それをやると……通報されてニュースになるのでおすすめしません。 大円寺前の行人坂。坂の途中に大円寺がある(画像:荻窪圭) 太鼓橋を渡り、ビルの間を先へ進むと山手通りにぶつかります。渡りたいところですが、残念ながらそこに信号がないので、左折して次の歩道橋か、信号で渡りましょう。 車がガシガシ走る山手通りは昭和初期に作られた新しい道ですが、目黒あたりは古い道筋を利用しているのです。 少し歩くと山手通りから右斜め前に入る道が現れます。こちらが古道。もともとの道筋です。 東京屈指の古刹 ここを入り、右手に羅漢寺(目黒区下目黒)を見つつ、道なりに左へ曲がり、丁字路にぶつかると蛸薬師成就院(同)。平安時代創建という古いお寺です。成就院という名前がありますが、昔から蛸薬師の名称で有名。 「ありがたや福をすいよせるたこ薬師」が目立つ蛸薬師(画像:荻窪圭) この丁字路を右折し、しばらく歩いて十字路を右折すると赤い仁王門が見えます。そこが「目黒不動」。正式には泰叡山瀧泉寺(同)。何度も道を曲がるのでややこしいのですが、江戸時代からそうだったのですから仕方がありません。 平安時代の808(大同3)年、後の慈覚大師が下野国(栃木県)から比叡山へ向かう途中ここに立ち寄り、夢を見て、不動尊を彫刻して安置したのが始まりといいますから東京屈指の古刹(こさつ)です。 仁王門の前には昔は川が流れてました(今は地下水路となってます)。川を渡って山門をくぐると左手に滝があります。独鈷(どっこ)の滝といって開山当初からある滝で、ここで水ごりが行われていました。 階段を上ると斜面の上に本堂。 仁王門・滝・本堂という構成は江戸絵図にある絵と同じ。長い伝統を感じられます。広い境内には多くの湧き水や不動や役小角像など、見どころがたくさんありますからゆっくり回りたいものです。 「江戸五色不動」にまつわる謎「江戸五色不動」にまつわる謎 江戸時代の地誌を見ると、門前の名物に「粟(あわ)餅」「餅花」「目黒飴」があり、餅花はうるち米を乾燥させてひいた粉(新粉)を赤白黄の3色に練って花の形にしたものだそうです。どんなものか気になりますよね。この三つ、復活させたら人気が出そうだと思うのですがどうでしょう。 さて、気になるのが「目黒不動」の名前。目白の地名は目白不動から来てますが、「江戸名所記」によると、目黒にあるから目黒不動となったそうです。 目黒、目白ときたら「江戸五色不動」ですよね。 中国の五行思想から来ていて、青竜(青)、白虎(白)、朱雀(赤)、玄武(黒)がそれぞれ東西南北に割り当てられ、中央に黄色を配した五色が元です。 江戸五色不動というくらいですから、江戸時代に人気だったのかと思って調べてみると、目黒不動は平安時代からですが、目白不動は徳川家光が名づけたもの、目赤不動はもともと「赤目不動」だったのを「目赤不動」に変えたもの。 目青不動と目黄不動(メキフドウと読んでよいようです)について書かれたものは、それほどたくさんの文献に当たったわけではありませんが見つけられませんでした。 目黒不動の山門前。巨大なマスクをしていた(画像:荻窪圭) もしかして、目黒不動にあやかって目白不動と目赤不動ができ、残りのふたつは五色に合わせるためにのちに、こじつけられたものかもしれません。目黄不動は候補が複数あるようですし。 ともあれ、五色不動のきっかけであり筆頭は目黒不動といっていいでしょう。五色不動を巡りたいならまず目黒不動から。 歩き疲れたら、目黒不動前からバスが出てますからそれに乗れば帰りは楽できます。
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