日比谷の顔「日生劇場」を手掛けた建築家・村野藤吾 生誕130年を機に振り返る

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日比谷の顔「日生劇場」を手掛けた建築家・村野藤吾 生誕130年を機に振り返る

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小川裕夫

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日本を代表する建築家のひとりで、2021年で生誕130年を迎える村野藤吾をご存じでしょうか。今回は村野が手掛けた都内の建物について、フリーランスライターの小川裕夫さんが解説します。

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    横浜市の新庁舎(画像:(C)Google)
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    村野藤吾が設計を手掛けた横浜市の旧庁舎(画像:(C)Google)
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    日生劇場は有楽町・日比谷ではニューカマーだが、村野がデザインした建物はほかと比べてもヒケを取らない(画像:小川裕夫)
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    百貨店として日本初の重要文化財となった日本橋高島屋は高橋貞太郎の設計だが、1952年以降に4回の増改築を実施。村野が増改築を担当(画像:小川裕夫)
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    読売会館(左)と並んで建つ東京国際フォーラム(右)。東京国際フォーラムの場所には、1997年まで都庁舎があった。つまり、読売会館は都庁と並んでいたことになる(画像:小川裕夫)
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