美しいアーチが印象的な総武線「隅田川橋梁」 実は作られた当時「田舎っぽい」と大不評だった!
隅田川の東西をつなぐ鉄橋で、美しいアーチが印象的な総武線「隅田川橋梁」。そんな同橋ですが、実はかつて散々な評判でした。鉄道ライターの弘中新一さんが解説します。1932年に完成した総武線隅田川橋梁 JR総武線の前身である総武鉄道が、千葉県の市川駅から西へ路線を延伸し、両国橋駅(現・両国駅)を開業したのは1904(明治37)年です。その後、隅田川を渡り御茶ノ水駅まで路線が開通したのは1932(昭和7)年です。その際、隅田川の東西をつなぐ鉄橋「隅田川橋梁」が作られました。 総武線の隅田川橋梁(画像:写真AC) それから戦争を挟み、35年後の1967年には、東京メトロ東西線の大手町~東陽町間が開通しています。 東西線は隅田川を、鉄橋ではなく川の下をくぐって通過していますが、これはようやく総武線の鉄橋ができて隅田川を越えたのをリアルタイムで見ていた人にとっては、予想できない出来事だったようです。昭和40年前後の文献には、その驚きが感慨深げに記されています。それまでは一度乗り換える必要があったため、インパクトは大きかったのでしょう。 鉄橋の架かっている場所は、昭和の終わり頃まで「百本杭のあった辺り」として地元民に認識されていました。百本杭とは、岸に近くに数多く並べられた波よけの杭のことです。 隅田川は現在の鉄橋が架かっている南北で大きく湾曲しているため、水の流れが力強く、また水量の多いときには洪水の恐れもあったため、百本杭が護岸を守るために打たれていました。 一方、百本杭は魚の集まる場所でもありました。今でこそ隅田川の釣り人はキャッチアンドリリースばかりですが、江戸時代の隅田川の魚は釣ってよし、食べてよし。江戸時代には両国周辺でもクロダイや白魚が当たり前に捕れ、大正の頃でもテナガエビやボラが釣れるなど、あちこちから釣り人が集まる人気の場所でした。 このあたりからは、歌川広重の『名所江戸百景』にも描かれた首尾の松(台東区蔵前にある松)や、柳橋、上流の駒形堂まで見ることができたといいます。往時の釣り人たちは大物を狙いながら、のんびりと釣り糸を垂れていたのでしょう。 大画家から「田舎鉄橋」呼ばわり大画家から「田舎鉄橋」呼ばわり そんな場所に架橋された総武線の鉄橋は、美しいアーチが印象的です。完成から90年を迎え、今ではレトロな風情のある橋となっています。 ところが意外にも架橋当時、この鉄橋はとにかく評判が悪かったのです。永井荷風の代表作『○(=さんずいに墨)東綺譚(ぼくとうきたん)』の挿絵を描いた画家の木村荘八にいたっては、 「隅田川の田舎鉄橋」 とやゆしています。 木村荘八が生まれた中央区東日本橋2丁目(画像:(C)Google) 木村は日本橋区両国広小路(現・中央区東日本橋2丁目)の生まれです。ようは地元の目と鼻の先にできた鉄橋が気に食わなかったのでしょう。また、著述家の豊島寛彰も『隅田川とその両岸』の中で、こんな風に記しています。 「聞けば、この鉄橋の架橋許可のときにその形までは査問せず許可したのが手落ちで、隅田川の諸橋がみな安全堅固のほかに橋形の美と変化を考慮していろいろと苦心を払ったのに、ひとりこの鉄橋のみがその意図を裏切ったのである。(中略)いまの世にこの橋はどう見ても帝都の隅田川を冒涜している」 これに続く文章で、橋の架け替えの際には不名誉を挽回してほしいとまで記しているくらいですから、豊島も橋のデザインが相当気に入らなかったと思われます。 橋のどの部分に美しさを求めるか橋のどの部分に美しさを求めるか さて、隅田川に架かる代表的な橋三つは、 ・両国橋 ・新大橋 ・永代橋 で、三大橋と呼ばれています。これに吾妻橋を加えて四大橋、さらに厩(うまや)橋を加えて五大橋とすることもあります。 隅田川の橋は古くから観光名所になっています。前述の豊島寛彰の記した文献を読むと、豊島が観光ガイドからある日、「隅田川13橋を選んでほしい」と問われたと書かれています。 このとき、豊島は上流から ・千住大橋 ・白鬚橋 ・言問橋 ・吾妻橋 ・駒形橋 ・厩橋 ・蔵前橋 ・両国橋 ・新大橋 ・清澄橋 ・永代橋 ・勝鬨橋 ・相生橋 を選んでいます。 そうしたところ、ガイドから「なぜ総武線の鉄橋を入れないのか」と問われたそうで、このことからも、鉄橋を褒める人も多かったことがわかります。 浅草橋方面から両国方面を見たイメージ(画像:(C)Google) 2014年に開催された「都市デザイン交流会フォーラム2014」の記録集『隅田川の景観・歴史的橋梁の文化的価値を考える』を読むと、明治の頃はトラス橋(部材を三角形に組み合わせた構造の橋)が田舎っぽく見られ、市街地にはアーチ橋を作るべきという意見が多かったようです。 総武線の鉄橋は中央部だけがアーチになっているため、それを美しいと見るか、中途半端で田舎臭いと見るかで意見が分かれたのかもしれません。
- 両国駅