昔も今も「羽田」は交通の要所だった…江戸期の繁栄と今も残る風景

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昔も今も「羽田」は交通の要所だった…江戸期の繁栄と今も残る風景

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シカマアキ

旅行ジャーナリスト、フォトグラファー

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日本で一番発着数の多い空港「羽田空港」。江戸時代には参詣客の多い神社として、のちには海水浴場や競馬場もできるなど、東京の一大レジャースポットとしてにぎわっていました。江戸期から変わらない地名の由来と周辺の風景について、旅行ジャーナリストのシカマアキさんが解説します。

“羽田=空港”の知名度は抜群、でも地名は飛行機以前すでにあった

 日本で一番発着数が多い空港といえば東京国際空港、通称「羽田空港」です。“羽田=空港”とイメージされるほど、その知名度は抜群と言えます。

飛行機と漁船が行き交う羽田空港周辺(画像:シカマアキ)



 羽田の地名、羽と言えば鳥の羽ではないかと、飛行機になんとなく通じるものが想像できます。しかし、江戸時代にはすでに羽田という地名があったとの文書が現存しています。当時の日本にはもちろん、飛行機など存在しない時代。そのため、羽田の地名はもともと飛行機とは、実は関係がないのです。

 今の羽田空港があるところは、もとはどういう場所だったのか。世界有数の空港に発展していった歴史以前を改めて紹介します。

歌川広重の浮世絵にも登場する「羽田の渡し」

 羽田という地名は、『新編武蔵風土記稿』(しんぺんむさしふどきこう)に記載が見られます。これは、江戸幕府官撰による地誌であり、全265巻、文政11年(1828年)に成立しました。『新編武蔵風土記稿』は、現在の東京都を含む武蔵国の沿革、名所、社寺旧跡などが、町村など別に詳しく記載され、当時のことを知り得る貴重な史料です。

「羽田村」を紹介する『新編武蔵風土記稿』のページ(出典:国立国会図書館デジタルコレクション)

 海に面した羽田はもともと漁業が盛んでした。多摩川の河口にあった出洲の低湿地で、特に魚貝類が豊富に取れたと伝わります。

 昔、羽田空港がある一帯は「羽田浦」と呼ばれていました。次第に漁民が多く住むようになり、記載の羽田村ができたとのこと。その中で、漁業専業者が集まったのが「羽田猟師町」でした。ここは、徳川幕府が江戸城で消費するための魚介類を確保し、献上させるため、羽田近辺を含めた漁民集落を「御菜浦」(おさいうら)とした場所です。御菜とは、領主のためのおかずのことを指します。

 多摩川は当時から人とモノの往来が盛んで、対岸(現在の川崎市)に渡る「羽田の渡し」もありました。歌川広重が浮世絵で描いた『名所江戸百景』にも見られます。ほかにも、多摩川水運を利用しての材木船、年貢米輸送船なども多く行き交う、江戸湾における海上交通の要所でした。

歌川広重が描いた『名所江戸百景』の「はねたのわたし弁天の社」(出典:東京都立図書館)(参考)国立国会図書館デジタルコレクション『新編武蔵風土記』より

明治以降は神社参拝と海水浴場でにぎわい、日本初の空港開設も

 明治期に入り、町村制の施行によって羽田村、羽田猟師町、鈴木新田などが合併し、「羽田村」が発足しました。そして、大正2年(1913年)に京浜電気鉄道(現在の京浜急行電鉄)が開通すると、羽田界隈の状況が一変。穴守稲荷神社に東京じゅうから参拝客が集まってにぎわい、奉納された大小の鳥居が5万本近くも並びました。神社のそばには海水浴場もあり、競馬場もできるなど、東京の一大レジャースポットとなりました。

 穴守稲荷神社は、江戸時代の文政年間ごろ、現在の羽田空港あたりに大穴が生じ、これが害をもたらし、鎮めるためにできたと伝わる神社です。現在は海老取川の蒲田側に移転し、羽田空港の守護神社として鎮座しています。

『最新東京名所写真帖』の穴守稲荷神社(出典:国立国会図書館デジタルコレクション)

 この穴守稲荷神社の沖合いに羽田空港ができたのは、昭和6年(1931年)8月のこと。日本初の国営民間航空専門空港となる「東京飛行場」が開設され、今日に至ります。

地名に諸説あり、今も下町と漁村の雰囲気が残る

 ところで、羽田という地名の由来ですが、実のところよくわかっていません。

 ただし、諸説はあります。現在の羽田空港そばを流れる海老取川をはさんだ出洲の形がまるで鳥の羽のように見えた、田地に鳥の羽が多く落ちていた、低湿地という意味の埴田(はにだ)から来たなど。

現在の海老取川。奥の赤い橋は「天空橋」で、かつての京急穴守線の鉄橋が今は人道橋として使われている(画像:シカマアキ)

 先述の通り、羽田という地名は、江戸時代にはすでにありました。そのため、空港由来ではないのは事実です。羽田空港という名称の由来は、かつて存在した旧町名である羽田町です。

 羽田空港は沖合いにどんどん拡張され、江戸時代の面影はほぼ見られません。ただ、羽田産のシジミやアサリは今も名物で潮干狩りが楽しめ、アナゴやボサエビなどの漁は今も続いています。また、多摩川の河口をはさんだ対岸との行き来は近年、「多摩川スカイブリッジ」という新たな橋もでき、今も盛んです。交通の要所という意味では、昔は海上交通、今は航空と乗り物こそ変わっても、東京湾からやや突き出た土地の特徴が生かされた重要な場所となっています。

 多摩川の河口から、支流である海老取川の周辺を歩くと、係留された漁船が今も見られます。昔の漁村だった雰囲気が感じられるスポットです。

参考
羽田いま・むかし(東京都大田区公式サイト)

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