日本一の道具街「かっぱ橋」 「かっぱ」とは河童なのか、雨合羽なのか、一体どちらなのか?
2022年1月29日
知る!TOKYO台東区の浅草と上野の間に位置する「かっぱ橋道具街」。そんな同所の「かっぱ」とは何でしょうか。河童? 合羽? ルポライターの昼間たかしさんが解説します。
飲食関連の道具なら何でもそろう街
台東区の浅草と上野の間に位置する「かっぱ橋道具街」は、食器や調理器具などを取り扱う問屋街です。店舗数は170以上で、飲食関連の道具なら何でもそろう「日本一の道具街」として知られています。

筆者は以前、アイスクリームを盛る取っ手の付いた道具が急きょ必要になり、かっぱ橋道具街に行きました。正式な名前を知らなかったので、店員に
「あの~、アイスクリームをすくうアレが欲しいんですが……」
とジェスチャーをしながら尋ねたところ、「はいはい、ありますよ」とすぐにお目当ての道具が出てきました。それが「アイスクリームディッシャー」と呼ばれることを、そのとき初めて知りました。
ちなみに巨大なスプーン型の道具より、持ち手がバネになっていて半円の部分が閉じたり開いたりするタイプのほうが素人には扱いやすいとのことでした。
かっぱは「合羽」「河童」どちら?
そんな便利なかっぱ橋道具街ですが、その始まりは明治から大正初期にかけて古道具屋が数軒並んでいたことだとされています。なお「かっぱ橋」は通称で、行政上の地名ではありません。正確には台東区西浅草と松が谷周辺を指します。
では、どのような事情で「かっぱ橋」という地名が生まれたのでしょうか
名前の由来について、かっぱ橋道具街の公式ウェブサイトにはふたつの説が掲載されています。
ひとつ目の由来は、現在の台東区生涯学習センター(台東区西浅草3)辺りにあった伊予新谷藩(現・愛媛県大洲市の新谷陣屋に藩庁を置いた藩)の下屋敷の侍が内職で雨合羽(がっぱ)を作り、近くの橋に干していたから、というもの。ふたつ目の由来は、妖怪として知られる河童(かっぱ)から、です。
ちなみに、道具街のエリア内には「かっぱ河太郎」という名の河童のブロンズ像があります。

さて、どちらの説が正しいのでしょうか。
隅田川の河童が河川改修を手伝った?
かつて江戸時代、この土地に雨合羽を商いにしていた合羽屋喜八(かっばや きはち)という人物がいました。土地の水はけが悪かったため、喜八は私財を投じて当時流れていた新堀川の改修を行いました。
現在、新堀川は「新堀通り」として、道具街を南北に走っています。

しかし喜八の工事は思うようにはかどらなかったため、その様子を見ていた隅田川の河童たちが毎夜作業に協力。河童たちを目撃した人は運が開けたと言われています。
やがてこの言い伝えは「かっぱ大明神」という信仰になり、商売繁盛を願うものに変化。喜八が葬られた曹源寺(台東区松が谷3)にはかっぱ大明神を祭ったお堂があります。ちなみに大明神の前で「オン カッパ ヤ ソワカ」という真言を21回唱えると、御利益があるそうです。
なお喜八の墓碑には「てっぺんへ手向けの水や川太郎」と記され、墓石のてっぺんは水がたまるようにへこんでおり、河童をイメージしたようなデザインになっています。ちなみに「川太郎」とは喜八のことです。
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