東京・奥多摩湖付近にひっそり佇む「ミステリアスな廃線」の正体

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東京・奥多摩湖付近にひっそり佇む「ミステリアスな廃線」の正体

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内田宗治

フリーライター、地形散歩ライター、鉄道史探訪家

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東京都奥多摩町にあり、標高530mに位置する奥多摩湖の小河内ダム。かつて同ダムに通じる1本の鉄道がありました。その名は「小河内線」。地形散歩ライターの内田宗治さんが解説します。

トンネルや橋梁が昔のまま

 JR中央線立川駅から西へ延びるJR青梅線。途中の青梅までは、東京駅から直通の青梅快速が走っていますが、青梅より先は、沿線の風景が一変し、山々に囲まれた多摩川の渓谷を短い4両編成の電車が走ります。終点の奥多摩駅は、休日などハイキング客でにぎわう駅です。

 その奥多摩駅からさらに山深い多摩川の渓谷をさかのぼった地にあるのが小河内ダムです。ダムによって生まれた奥多摩湖が山中に水をたたえています。

 かつて奥多摩駅から小河内ダムまで、東京都水道局小河内線(以下、小河内線)という鉄道が通じていました。ダム建設の資材運搬のために敷設されたもので、将来の観光客増加を見越して、電車も走れるようにトンネル断面を広くとる仕様で建設されています。

小河内線廃線跡の橋梁。奥多摩むかし道、境の清泉付近から。2021年6月撮影(画像:内田宗治)



 奥多摩駅付近から小河内ダムまで、「奥多摩むかし道」という旧青梅街道を利用した人気のハイキングコース(距離9.4km)があります。この道を歩いていると、所々でこの小河内線の廃線跡を目にします。

 車で青梅方面から国道411号を走って奥多摩湖へ向かう場合も、小河内ダムのすぐ手前で、小河内線の橋梁が目の前に現れてくぐります。同地を訪れて、この線路跡らしきものが気になった人もいるのではないでしょうか。

 都内には廃止になった鉄道線路の跡、いわゆる廃線跡が意外と多数ありますが、線路があった場所は道路になったり住宅地になったりして、鉄道が走っていたという痕跡が消えうせている所がほとんどです。そんななか、この小河内線は、レールが放置された状態で残され、トンネルや橋梁の多くが昔のままという珍しい存在です。

小河内線の歴史

 歴史をひもといてみましょう。

 小河内ダムは、都民(当時は東京府民)に安定的に水道水を供給するために1938(昭和13)年に工事が開始されました。戦時中に工事が中断されたものの、1948年に工事が再開され、1957年11月に完成します。

奥多摩むかし道から小河内線廃線跡を望む。2021年6月撮影(画像:内田宗治)



 工事資材運搬用として青梅線の終点・氷川(現奥多摩)駅から小河内ダム隣接の水根貨物駅まで、6.7kmの鉄道路線(小河内線)が敷設され、1952年12月に運行が開始されます。

 氷川駅より標高が170m以上高い水根貨物駅まで、険しい地形の地に建設するため、急勾配と急カーブの連続に加え、トンネル区間が線路延長の34%、橋梁区間が同17%にも上る難工事でした。

 1957年5月の運行終了までの実質4年半の間に、ダム用セメントの全量約33万6000tと細骨材全量の約60%にあたる60万9000tの川砂が、この小河内線で運ばれています。

ダム建設の過程で起きたさまざまなこと

 当時は蒸気機関車による貨車けん引でした。急勾配を上る力行運転時に機関車は激しく煙を吐き上げます。機関士と機関助士がトンネル内でばい煙に苦しむのに加え、常に路盤の崩壊や落石に対する注意が必要など、労働条件が劣悪なのは、開通前から明らかでした。

 国鉄乗務員が小河内線に乗り入れて運転することに国鉄労組が強硬に反対したため、都直営で運転管理するといった異例の形になりました。国鉄のあっせんによって機関車乗務員、駅員、保線員などが採用されています(『小河内ダム』東京都水道局、1960年より)。

小河内ダム付近、国道をまたぐ小河内線廃線跡の鉄橋。2021年6月撮影(画像:内田宗治)

 運行期間中に路線での土砂崩壊・落石は148件に上っています。1956(昭和31)年11月4日には、氷川駅から200mの急カーブ地点で機関車(C11形67号機)と貨車3両が約25m下の日原川に転落し6人が死亡する事故が起きてしまいます。進行直前に崩壊した土砂に機関車が乗り上げたためのものでした。

 ダム完成後は西武鉄道に譲渡され、後に奥多摩工業の手に渡ります。この間ずっと休止扱いですが列車の運行はなく、実情は廃線状態でした。

 西武鉄道がいったん入手したのは、西武拝島線拝島駅から奥多摩方面への乗り入れを計画したためとされています。同社では奥多摩湖周辺の観光開発も計画していました。

モータリゼーション以前の遺産

  小河内線は、奥多摩(氷川)駅から先、そのまま日原川に沿って進行方向の北に向かった後、Uターンする形で日原川を渡り、多摩川の渓谷へと向かいます。日原川に架かる立派なコンクリートアーチ橋を目の前にすると、今にも列車がやってきそうな気すらしてきます。

 奥多摩むかし道を奥多摩駅方面から歩き始めると、すぐに小河内線の線路跡とクロスします(奥多摩郵便局付近で国道411号線と分かれてから急な上りを200mほど進んだ先)。線路跡を踏みしめながら渡った跡、しばらくは廃線跡に並行して進みます。小河内線の廃線跡は、トンネルや橋梁部分など多くの区間が立ち入り禁止となっていますが、この付近では樹林ごしにレールや鉄道橋、トンネルなどが間近に見えます。

小河内ダムと奥多摩湖。2021年6月撮影(画像:内田宗治)



 境橋バス停近くには「境の清泉」という湧き水の地があり、近くからは頭上に鉄道橋を見ることができます。こうした経路をたどって小河内ダムに着くと、ダム建設がいかに大変だったかが実感されてきます。
 
 小河内ダム完成後モータリゼーションや道路整備が進んだので、十数年後の建設だったら、資材は鉄道ではなく、トラックなど別の手段での輸送となったことでしょう。そうした意味で小河内線の廃線跡は、貴重な産業遺産といえるでしょう。

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