「東京ラーメンの原点 = あっさりしょうゆ味」は大間違いだった! 知られざる本当の味とは

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「東京ラーメンの原点 = あっさりしょうゆ味」は大間違いだった! 知られざる本当の味とは

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古くからある東京ラーメンといえば、あっさりとしたしょうゆ味のイメージが強いでしょう。しかしその原点となる味は、現在と全く異なる物でした。食文化史研究家の近代食文化研究会さんが解説します。

東京ラーメンの原点 = あっさり?

 新横浜ラーメン博物館(横浜市)では現在、日本初のラーメンブームを起こした1910(明治43)年創業「淺草 來々軒」のラーメンを復活、提供しています。東京ラーメンの原点である來々軒のラーメン。あっさりとしたしょうゆ味のスープはまさに、東京ラーメンのDNAを感じさせる味です。

昔ながらのしょうゆラーメン(画像:写真AC)



 新横浜ラーメン博物館のニュースリリースによるとこのラーメン、來々軒3代目の主人であった故・尾崎一郎氏への取材等から情報を得て、復活させたものだそうです。

 尾崎氏は來々軒創業の7年後、1917(大正6)年生まれ。ところが、尾崎氏が物心つく前の明治・大正時代における來々軒のラーメンの味は、尾崎氏の記憶とは大違い。実は脂たっぷり濃厚豚骨味だったのです。

明治末の來々軒は「豚骨グラグラ」

 戦前の食文化に関する記録を多く残した、1894(明治27)年生まれの風俗評論家・植原路郎氏。彼は明治時代末、つまり創業直後から來々軒に通っていました。

 植原氏は明治末の來々軒のスープを次のように描写しています。

「大釜で豚の骨をグラグラわかせたスープの素は天下一品だった」(植原路郎『明治語録』)

 当然ながらそのスープは濃厚豚骨しょうゆ味。再び植原氏によると、大正時代半ばのころの味は次のようなものでした。

「豚の骨を煮出してとった濃厚なスープにしょうゆ味」「スープは相当アブラっこい」(玉村豊男『食の地平線』)

近年の豚骨しょうゆラーメン(画像:写真AC)

 同じく大正時代に來々軒のラーメンを食べた東宝映画の森岩雄の印象も、「物凄(ものすご)いあぶら臭い」というものでした。

「有名なシナそば屋に「来々軒」があった。ここで生まれて初めて「シナそば」を喰べたが、物凄いあぶら臭いのに驚いたことがある」(森岩雄『大正・雑司ヶ谷』)

來々軒の衰退

「「浅草へ行けば來々軒だ」と朝出る時に既に心の準備を整へて來る者が數(かず)限りなくあつたものだ」(石角春之助『浅草経済学』)

 明治時代末の創業から大正時代まで押すな押すなの大盛況だった來々軒。しかしながら、1931(昭和6)年頃には衰退の兆しが見えていました。

「淺草に入つて目に付くのはサシもの『來々軒』が往年の雑踏を呈さぬ現況です」

ラーメンを作る人のイメージ(画像:写真AC)



 雑誌『食道楽』昭和6年7月号のエッセー「帝都の美味オン・パレード」(三田白夜)によると、五十番や上海亭などのライバルに押されて、來々軒は往時の人気を失っていました。

あっさりしょうゆ東京ラーメンの台頭

 來々軒が衰退する一方で台頭したのが、あっさりしょうゆ味の東京ラーメン。

新横浜ラーメン博物館來々軒のらうめん(青竹打ち)(画像:近代食文化研究会)

 版画家の森義利は、1910(明治43)年に食べた人形町大勝軒(つけめんの大勝軒とは異なる系統)のラーメンの味を、次のように描写します。

「ここで売る支那そばは、中国の本格なものに比較したら、味はずっと和風に近い。スープの出汁は豚の骨からとったものではなく、特別に工夫してあったと思います。脂っこくない点が、下町の人の好みに合ったんでしょう」(森義利『幻景の東京下町』)

 脂っこくない和風ラーメンで人気となった人形町大勝軒。その後、のれん分けの店も含め、大勝軒の名を冠した店が東京中に増殖していきます。

 また東京に多く存在したそば屋が、大正時代にラーメンを出すようになります(平山蘆江『東京おぼえ帳』)。このそば屋で出していたのが、あっさりしょうゆ味のラーメンでした。

 1918(大正7)年生まれの風俗研究家・加太こうじによると、脂っこい従来のラーメンに変わって、このそば屋のあっさりラーメンが人気となったそうです。

「日本風の蕎麦(そば)屋が支那ソバを作ると、豚骨や鶏骨でスープを作らないから、汁の味が淡白である。それが好まれて、従来の中華風のソバは脂っこいとされた」(加太こうじ『江戸-東京学』)

あっさりしょうゆ味に転向した來々軒

 昭和10年に尾崎一郎氏が店を継ぐころには、來々軒も他店と同じ、あっさりしょうゆ味に変わっていたようです。衰退期を乗り切るために、濃厚豚骨しょうゆ味の本格ラーメンから、他店と同じ日本人風にアレンジしたあっさりラーメンへと、味を変えたのでしょう。

 明治時代末から來々軒に通っていた植原氏は、1975(昭和50)年に出版した『そば事典』において、失われた濃厚豚骨味を懐かしんでいます。

「来々軒のラーメンは量が多く、ツユに独得の味い(原文ママ)があって、 今日この魅力を再現しているところはないと言える」

改訂新版『蕎麦事典』(画像:東京堂出版)



 この本の出版時点において、3代目尾崎氏の來々軒はまだ存在していました(1976年閉店)。ひょっとしたら植原氏も、昔を懐かしんで來々軒を再訪していたのかも知れません。

 しかしその來々軒も含めて、東京のラーメンはあっさりしょうゆ味一色になってしまっていたのです。植原氏が食べた明治大正期の來々軒の濃厚豚骨味ラーメンは、もうどこにも引き継がれていなかったのです。

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