退社前に家族へ電話 80年代「カエルコール」の大ヒットは電話の普及率向上の決定打だった

約35年前、NTTが打ち出した利用者促進キャンペーン「カエルコール」。その影響はどのような結果を生み出したのでしょうか。20世紀研究家の星野正子さんが解説します。


夫の沽券vs夫婦円満

 1985(昭和60)年、電電公社の民営化で生まれたNTTが打ち出したキャンペーンで広まったのが「カエルコール」のCMです。皆さん、覚えているでしょうか? それは社会の変化の始まりでもありました。

公衆電話(画像:写真AC)



 当時、外に働きに出ている夫が

「男が仕事に出て帰宅時間などわかるか」

と妻に告げるのは男の美学……という、今では思わず苦笑するような価値観がありました(実際に行っていた人がいるかどうかはわかりません)。

 そんな価値観が次第に変化するときに現れたのが「カエルコール」です。キャッチコピーは

「男のコケン(沽券)か、夫婦の円満か」

で、大きなカエルの背に座ったサラリーマンが電話しているショットも印象的でした。

 その後、カエルコールを認めるか否かがあちこちで議論になりましたが、たいていの家庭では帰る前には電話を1本入れるのが常識になっていきました。

 当時は携帯電話がまだ普及していません。東京の駅に置かれた公衆電話の前には「今から帰る」と家に電話するサラリーマンの行列ができたほど。スマートフォンが普及した現在ではメッセンジャーアプリやメールは常識ですが、その始まりはカエルコールだったわけです。

制作者は「禁煙パイポ」と同じ

 これまでちょっとした気遣いだったものを「習慣」にまで発展させた、そんなカエルコールを生み出したのは、CMディレクターの市川準さんです。

 市川さんは今でも記憶に残る作品を数多く制作しています。1985年には「禁煙パイポ」の名作CM「私はコレで会社をやめました」で第2回日本新語流行語大賞・流行語部門・大衆賞を受賞。

現在の「禁煙パイポ」(画像:マルマンH&B、日本マーケティングリサーチ機構)

 その後も「金鳥 ゴン」の「亭主元気で留守がいい」(第3回日本新語流行語大賞・流行語部門・銅賞)、1987年の「サントリーオールド」の「ワンフィンガーツーフィンガー」(第4回日本新語流行語大賞・流行語部門・大衆賞)などを次々に生み出しています。

 キャッチコピー自体ももちろんセンスがありますが、その最たる特徴は作品に素人を起用することでした。禁煙パイポのCMに登場した手塚和重さんは東京都の職員でした。なおカエルコールも同様に素人を起用しています。

キャンペーンで通話料収入も増加

 NTTがこのようなインパクトのあるCMを導入したのは、当時の電話業界の事情もありました。

 電電公社の民営化によって誕生したNTTですが、通信の自由化によってライバルが登場することが明らかでした。とりわけ民営化の前年、1984(昭和59)年に京セラ社長(当時)の稲盛和夫を創業者として生まれた第二電電(現在のKDDI)は強力なライバルになると目されていました。

 一方、電電公社を受け継いだNTTの電話網は市内通話部分が赤字という現状がありました。そのため赤字の市内通話を値上げしつつ、黒字の市外通話部分を値下げする料金改定が必至でしたが、より抜本的な改革として通話料そのものを増やすことがもくろまれていました。

カエル(画像:イラストAC)



 当時のNTTの真藤恒社長(しんとう ひさし)は「通話量が増えて収入も増えれば、もうけを内部にため込むのではなく、次の値下げの原資にする。便利になって、利用が増えて、料金が下がる、という動きこそ、電電を民営自由化した目的なのだから」と語っています(『朝日新聞』1986年3月2日付朝刊)。

 この方針のもとNTTではカエルコールに続いて、単身赴任者が家族にモーニングコールをすることを呼びかける「コケコッコール」も展開。さらに年末には「ふるさとカエルコール」を展開しています。

 年末年始に帰省する前、ふるさとに電話で一言いおうというもくろみです。こちらのCMも駅の片隅で、大きなカエルが列車を見送るという演出が話題になりました。

 このとき、NTTは利用状況を調査しています。この調査によると、電話の利用は前年度比14%増。とりわけ遠距離通話の利用は多く、12月分のダイヤル通話料収入は前年度比6%増となり、キャンペーンは大成功しました。

住宅用電話の普及率も増加

 この一連のキャンペーンが、電話を生活により密着させたことは疑いようがありません。

 当時の電話は「一家に1台」が当たり前のイメージですが、実際には1986(昭和61)年末時点で住宅用電話の普及率は100世帯あたり81.1でした(『情報通信白書 昭和62年』)。実は2割弱の家には電話がなかったのです。

 とりわけ東京の場合、電話がなかったのは上京してきた学生や若者です。電話を敷くための権利は高額でしたし、学生向けアパートはそもそも電話を敷く仕様になっていませんでした。

ピンクの公衆電話(画像:写真AC)



 廊下にピンクの公衆電話があり、電話が鳴ると気付いた人が電話を取り、呼び出された部屋の扉をたたくという方式。冬場は寒いため、誰も電話に出ないということもありました。

 一連のキャンペーンを通じて電話の必要性がより重要になったことで、1980年代末には電話はひとり暮らしの必須アイテムとなっていきます。

 1990年代には携帯電話の普及で、電話は一家に1台から「ひとり1台へ」と変化するわけですが、その前段階としてのカエルコールのヒットは今でも忘れることはありません。

 皆さんは最近、家族に電話をしましたか?


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