古書店街で有名 神保町の読み方は「じんぼうちょう」「じんぼちょう」一体どちらなのか

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古書店街で有名 神保町の読み方は「じんぼうちょう」「じんぼちょう」一体どちらなのか

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昼間たかし

ルポライター、著作家

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日本を代表する古書店街・神保町。そんな神保町の読み方は「じんぼうちょう」「じんぼちょう」どちらなのでしょうか。ルポライターの昼間たかしさんが解説します。

「神保町」の読み方

 千代田区の神保町は古書店街であり、また、おいしいお店の多い街としても知られています。コロナ禍でも、お昼どきにはあちこちでおなかをすかせた人たちの行列を目にします。

神保町駅の駅名標(画像:写真AC)



 そんな神保町ですが、筆者は以前から気になっていることがあります。それは「じんぼうちょう」と呼ばれる理由です。

 というのも、私たちはこの地名が「じんぼうちょう」であることを知っていますが、英語のアナウンスなどでは、なぜか「じんぼちょう」と発音しているようなものがあります。

 もしや、私たちは多年の習慣で「じんぼうちょう」と考えているものが、実は「じんぼちょう」なのかもしれない――気になった筆者は町名の由来や街の成り立ちから、順を追って調べてみることにしました。

武家屋敷が立ち並んでいた神保町

 現在の神保町と呼ばれる地域は、江戸時代には武家屋敷が立ち並んでいました。千代田区のウェブサイトは町名の由来について、次のように記しています。

「町名の由来は、元禄(げんろく)年間(1688年~1704年)のころ、旗本(はたもと)の神保長治(じんぼうながはる)が広大な屋敷をかまえ、そこを通っていた小路が「神保小路(じんぼうこうじ)」と呼ばれるようになったためといわれています」

 この神保長治なる人物は実在します。江戸時代の武家の系譜を記した『寛政重修諸家譜 第18』(続群書類従完成会、1981年)にはその名が見えますし、江戸時代の地図を収録している『江戸城下変遷絵図集 御府内沿革図書 3』(原書房、1985年)には、神保小路に神保の名が確認できます。

 決定打となるのは『神田文化史』(神田史蹟研究会、1935年)という文献です。同書には「町名起源の史實考察」の章があり、ここでは神保一族の古文書や記録をもとに、神保長治が1689(元禄2)年3月に、995坪の屋敷地を小川町に拝領したとあります。

明治初期の神保町周辺の地図(画像:国土地理院)

 さらに、神保小路は小川町内の通称だったのが、通称の範囲が拡大し、神保町という名称が公式にも利用されるようになったことがまとめられています。そして1872(明治5)年、正式な地名として南・北・表・裏神保町が採用されます。

通称から正式な地名へ

 公式な地名の付与は江戸時代の武家地には行われておらず、通称のまま使われている状況でした。しかし、明治政府では近代国家を整備する一環として、全国規模で地名や町名の整備を行いました。

 これは戸籍を整備することで、国民をくまなく把握し、効率的な行政を実施するためにも欠かせませんでした。その一環として行われたのが、通称しかなかった武家地への町名付与だったのです。

 どういった経緯で神保町の名前が採用されたかはわかっていません。ただ町名を決めるにあたって、大区小区(1872から1878年までの短期間に存在した行政区分)の区長、戸長に「昔から所縁のあるものに由来する、耳目に通じやすい」ことを念頭において決めるよう通達していました(『東京市史稿 市街篇53』東京都1963年)。

 この通達に基づき、かいわいでは神田小路という地名がもっとも知られていたことから、そのまま町名として使うことになりました。『皇国地誌稿本 東京府誌』7巻(文化図書、2009年)では、前述の表神保町のところで

「里俗神田小路と云うを以て乃ち町名とし表裏二町に分つ」

とし、裏神保町にも同様の記述があります。

1909(明治42)年測図の神保町周辺の地図(画像:国土地理院)



 誰がどういう経緯で、この地名を採用することにしたかはわかりませんが、もっとも知られる地名を用いたのは確かなようです。

「読み方」を図書館で調べたところ……

 このように、神保町という地名の形成過程はわかるのですが、今回の問題は神保町の「読み方」です。

 資料の探索に困ったときは図書館のレファレンスです。千代田区立千代田図書館(千代田区九段南)に尋ねたところ、明治時代初期は確実に「じんぼうちょう」と呼ばれていた根拠となる資料を教えてもらいました。

千代田区九段南にある千代田区立千代田図書館(画像:(C)Google)

 資料は当時の新聞です。戦前の新聞記事は漢字にルビを振っていることが一般的でした。つまり、過去の新聞を調べると当時のふりがながわかるというわけです。

 朝日新聞の『聞蔵 II ヴィジュアル』と読売新聞の『ヨミダス歴史館』はいずれも創刊号から収録したデータベースです。これで神保町を検索して見ると『朝日新聞』では1884(明治17)年12月26日の大隈重信らの立憲改進党離党を報じる記事のなかで、『読売新聞』では1875年8月2日の「水茶屋の女を誘い出した髪結い、飲み食いを強要して暴力ふるう」という記事の中に神保町の記述があり、いずれも

「じんぼうちやう」

とルビが振られています。

発音についても調べてみた

 最初から「じんぼうちょう」という呼称だったことは確実なのですが、親切な千代田区立図書館では、

「あくまで文献で確認できるのはふりがなだけで、どう発音されるかは別に検討する必要がある」

と、いくつかの資料を教えてくれました。

『NHK 日本語発音アクセント新辞典』(画像:NHK出版)



 そのひとつである『NHK 日本語発音アクセント新辞典』(NHK出版、2016年)によれば「ぼう」は「ボー」と発音されるのが標準としています。これに基づけば文字だけでなく発音でも「じんぼうちょう」で間違いでないことがわかります。

 ただ混乱するのは、これをローマ字で表記した場合です。地名や駅名の表示をみると「Jimbocho」と書かれていますが、ひらがなにこのまま置き換えると「じんぼちょう」になってしまいます。

 国土交通省国土地理院「地名等の英語表記規程」ではヘボン式ローマ字を用いた上で音を伸ばすときの横棒の符号は省略することを定めています。

 つまり、事情に通じていない英語の話者がローマ字表記をもとに発音したら「じんぼちょう」となってしまうこともありそうです。ときどき、英語のアナウンスなどで「じんぼちょう」のように聞こえるのは、これが理由だったのでしょう。

 しかし神保町について調べようとしたら、出てくる資料の多いこと多いこと。さすがは東京の中心です。

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