都心の中央区に「登ってはいけない山」があった! 東京駅からわずか1.5km、早速行ってみた【連載】分け入っても低い山(3)

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都心の中央区に「登ってはいけない山」があった! 東京駅からわずか1.5km、早速行ってみた【連載】分け入っても低い山(3)

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二上山小鹿

低山評論家

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ビルばかりが立ち並ぶ東京23区にも、実はいくつも山があるのをご存じでしょうか。ただし高さが「低い」という条件付きですが……。というわけで、低山評論家の二上山小鹿さんがあなたをゆる~くナビゲートします。

世界各地に存在「登ってはいけない山」

 八丁堀(中央区)に決して「登ってはいけない山」がある――そんな情報を、先日ある人物から聞きました。登ってはいけない……そこにはいったいどのような理由があるのでしょうか。しかも場所は、東京駅から約1.5kmしか離れていない都心の平地です。

 登ってはいけない山は世界各地に存在します。例えば、チベット高原の西部に位置するカイラス山や雲南省の梅里雪山(ばいりせつざん)は宗教の聖地であるために、登山を禁止されています。

 日本では、登山道が危険なために禁止になっている山があります。例えば中国地方の最高峰である大山(鳥取県)は頂上まで登山できるものの、最高峰である剣ヶ峰へ向かう縦走路は登山道が崩壊しているために立ち入り禁止となっています。

 登山道へのアプローチを目指すべく、日比谷線「八丁堀駅」で下車し、新大橋通りに面した桜川公園(同区入船)近くのA2出口から地上へ。しかし見渡したところ、どこにも山はありません。

場所は中央区湊の神社内

 ある人物からの情報によると、「登ってはいけない山」は中央区湊1丁目の鉄砲洲稲荷神社の境内にあるとのこと。この地域にはかつて隅田川を行き交う船の荷揚げ港があり、現在の町名もそれに由来しています。

 神社の歴史は古く、平安時代の841(承和8)年に荏原郡桜田郷(現・千代田区霞が関2丁目付近と伝わる)の住民が凶作に苦しんだ際、土地の守護神である産土(うぶすな)神として、生成太神(いなりのおおかみ)を祭ったのが始まりとされています。

鉄砲洲稲荷神社内の富士塚(画像:二上山小鹿)



 その後、神社の位置は埋め立てが進むとともに次第に海側へ移転。室町時代には、現在の銀座1丁目付近にあり、名前を八丁堀稲荷神社としていました。その後、江戸時代初期の1624(寛永元)年に現在の湊1丁目に遷座したとされています。

 遷座した場所が江戸の街に張り巡らされた水路の入り口に位置していることから、船乗りからの尊敬があつかったそうです。

 現在地に移って来たのは1868(明治元)年のことで、それまでは100mほど北側にあったと伝わっています。そんなわけで、鉄砲洲稲荷神社は由緒もありつつ、時代に併せて移動を繰り返すという極めて興味深い存在なのです。

「登ってはいけない山」の正体

 そんな神社にある「登ってはいけない山」が富士塚です。

 この富士塚も歴史上、何度も移動を繰り返してきました。造築は1790(寛政2)年で、歌川広重の絵本『絵本江戸土産』にも描かれていることから、江戸では信仰とレジャースポットとして知られていたことが想像できます。

 そんな神社にある「登ってはいけない山」が富士塚です。  この富士塚も歴史上、何度も移動を繰り返してきました。造築は1790(寛政2)年で、歌川広重の絵本『絵本江戸土産』にも描かれていることから、江戸では信仰とレジャースポットとして知られていたことが想像できます。



 そんな富士塚ですが、明治時代に入って神社の移転にともない1874(明治7)年に再建。その後、境内の整備とともに、1885年、1928(昭和3)年、1936年と3回にわたって移築が繰り返されています。

 中央アジア探検家のスヴェン・ヘディン(1865~1952年)が発見したタクラマカン砂漠のロプ湖は「さまよえる湖」として知られていますが、この富士塚には「さまよえる富士塚」という名前がふさわしいでしょう。

境内と社務所の間に細い道が

 しかし事前情報にあった「登ってはいけない」とはいったい、どういう意味なのでしょうか。

 八丁堀駅から5分ほど歩くと、いよいよ登山口である神社の鳥居に着きます。鳥居の向こうには正面に本殿、左手には神楽殿、右手には社務所を備えた、なかなかに立派な境内です。明治になって移動してきたわりには、はるか昔からこの場所にあったような趣すら漂います。

 ここで妙なことに気付きました。境内から見て、どこにも富士塚が見えないのです。どういうことでしょうか。

鉄砲洲稲荷神社内の富士塚(画像:二上山小鹿)

 参拝後に境内を歩きます。そうすると隠されたような道が見つかりました。境内と社務所の間に細い道があり、奥へと続いているではありませんか。

 その向こうには確かに富士塚が。富士山から取り寄せた溶岩で構築された富士塚は、ゴツゴツとした岩場が目立ちます。そして、入り口の鳥居には登山禁止を示す札がぶら下がっています。

 しかし、周囲を巡る道は特に問題なく歩いて問題ないようです。なるほど確かに「登ってはいけない山」です。

登山が許される日はあるのか

 登山は断念し、下から登山道を眺めます。

 前述の通り、富士塚は江戸時代にレジャースポットでした。しかいこの登山道は岩場が目立つこともあり、かなり険しそうです。頂上の様子は下からもわかり、鎮座する鉄砲洲富士浅間神社を拝めます。

 また、富士塚はマンションで完全に囲まれています。なるほど、これでは外から姿を見られないために幻の山とも言えます。登山禁止になっているのは、このことも理由なのでしょう。登山はできませんが、周囲を巡るだけでも迫力には圧倒されますし、脇には胎内巡りもあるので、訪問する価値は十分にありそうです。

鉄砲洲稲荷神社内の富士塚(画像:二上山小鹿)



 さて、この富士塚ですがインターネット上の情報を見たところ、富士山の山開きに合わせて、毎年7月1日は登ることができるとあります。これは、本当なのでしょうか。

 実は訪問前に電話で確認したのですが、そのときは「1日ではなく3日です」と言われました。どういうことなのかと、社務所に行ってもう一度尋ねると「お祭りでも登れないことになっています」とのこと。

 都内唯一ともいえる「登ってはいけない山」に謎が残る結果となりました。

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