「自分たちの島は自分たちで守る」 伊豆大島が戦後、日本から独立しようとしたのをご存じか
2021年3月14日
知る!TOKYO東京から120kmの場所にある伊豆諸島最大の島・伊豆大島ではかつて、日本からの独立が考えられ、日本国憲法とは別の憲法まで準備されるという騒動があったことをご存じでしょうか。フリーライターの県庁坂のぼるさんが解説します。
東京から120km離れた伊豆大島
東京から120kmの場所にある伊豆諸島最大の島・伊豆大島は行政上、東京都大島町に属している離島です。竹芝桟橋(港区海岸)からジェット船で約1時間45分、調布飛行場(調布市西町)から約25分で到着することからも、かなり都心に近い離島と言えます。
そんな伊豆大島では、かつて日本からの独立が考えられ、日本国憲法とは別の憲法まで準備されるという騒動があったことをご存じでしょうか。
国家の独立は世界でもめったにありません。独立は大抵、民族や宗教、言語などの属性が異なる国が既にある国から分離することです。しかし民族も言語も同じはずの伊豆大島が独立しようとした背景には、いったいどのようなことがあったのでしょうか。
GHQが通達した覚書
ことの始まりは、太平洋戦争後――。連合国軍総司令部(GHQ)は1946(昭和21)年1月29日、「若干の外かく地域を政治上行政上及(およ)び行政上日本から分離することに関する覚書」を日本政府に通達します。
この覚書は、日本政府の施政権(立法・司法・行政の三権を行使する権限)の及ぶ範囲を定め、それ以外の地域を日本の統治下ではないとするものでした。

ここには「日本の範囲から除かれる地域」として、北緯30度以南の琉球(南西)列島や千島列島のほか、「伊豆、南方、小笠原、硫黄群島」と記されていました。
その後の歴史で知られるとおり、小笠原諸島は1968年、沖縄は1972年の返還までアメリカの統治下に置かれます。同様に、伊豆諸島も日本の統治から外れる可能性があったのです。

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