原因は携帯普及とコロナのダブルパンチ?
僕(増田剛己、散歩ライター)はもともと複数人で散歩しませんが、そのなかでも2020年は特になく、すべてが「ソロ散歩」でした。またウィズコロナ時代ということもあるのか、他人に道を聞くことや聞かれることもなくなりました。
ただ、のようなことは急になくなったわけではありません。理由は、携帯電話で地図を見られるようになったためです。
散歩関連の記事を書き始めた2005(平成17)年には、僕はすでに携帯電話の地図アプリを使っていました。
そこで「携帯電話の地図アプリを見ながら散歩しよう」といった記事も何度か書いたのですが、まだ機能が優れていなかったため、Googleマップの地図をプリントアウトした紙と併用してました。
携帯電話の地図アプリと地図をプリントアウトした紙(画像:増田剛己)
今考えるとけっこう面倒ですが、地図帳を持ち歩いていた時代から考えると、ピンポイントで必要な場所の地図を持ち歩けるので、当時は楽になったと思っていました。
恐らく、このころから他人に道を聞く機会が少なくなったのではないかと思います。その後、携帯電話はスマートフォンに変わり、プリントアウトした紙すら持ち歩かなくりました。そして、ますます他人に道を聞かなくなりました。
道を教えてくれた親切なおじさん
山口県で育った僕が初めて他人に道を聞いたのは、小学校1年生のときでした。
ある日、学校の授業終わりに担任の先生が生徒たちに向かって「校区外に行ってはいけません」と言ったことがありました。校区とは西日本の言い方で、東日本では「学区」のこと。僕はその日、どういうわけか校区ぎりぎりのところまで行ってみたくなり、いったん帰宅してから家を出ました。
どこまでが校区か知りませんでしたが、歩き始めて、気がついたら見たことのない場所に着いていました。あたりは暗くなり、急に不安になってつい泣いてしまったのです。
泣きながら歩いていると、あるおじさんが「僕、どうしたの?」と声をかけてきました。道に迷ったことと自宅の住所を伝えると、おじさんは道を教えてくれました。道を聞いたというより、相手から教えられたのです。
教えてもらった通りに歩いていくと、見覚えのある道に出ました。なんだか安堵(あんど)して、そこから駆け出して家に着きました。遅い時間に帰ったので、母親にはめちゃくちゃ怒られましたが、なんだか家に帰れたことがうれしく思いました。
2005年10月、携帯電話の地図アプリと実際の道(画像:増田剛己)
中学生になったときに、道に迷った場所に再び行ってみましたが、家からあまりに近い場所で、拍子抜けしたのを覚えています。
これは1970年代のことですが、当時は他人に道を聞くのは当たり前で、誰でも気軽に道を聞いたり、聞かれたりしていました。
時はたち、大学生時代に中年女性に道を聞いたとき、目的地までの時間をこう説明されました。
「そうねぇ、ダンナさんの足で10分くらいですかね」
他人から初めて「ダンナさん」と言われ、自分も大人の男としてみられているのだとなんだかうれしくなったのです。は、ちょうどこのころよく使われた表現に、「男の人の足、女の人の足」というのがありました。
かつては使われていた表現
僕は大学生時代を大阪で過ごし、1980年代から東京に住み始めたのですが、この「男の人の足、女の人の足」という表現は同じように使われていました。使い方は、
「男の人の足で10分、女の人の足で12~13分ですかね」
といった具合です。これを聞いて普通に歩いて10分、ゆっくり歩けば12~13分ぐらいと受け取ったものです。
最近は歩くスピードに男女の差はほとんどないが、昔は服装や履物の関係か、男性のほうが女性よりも歩くスピードは速かったと言われている(画像:増田剛己)
現在は男女で歩くスピードにそんなに差はありませんが、きっと昔は着ているものや履いているものの違いで、男女で歩くスピードに差があったのではないでしょうか。
声を掛ければ、ほっこりした気持ちに
男の足、女の足以外にも昔は道を聞くことで、さまざまな情報を得ることもできました。
例えば、「そこの角にけっこう安くておいしい焼き鳥屋があって、そこを曲がると~」みたいな感じでお店情報を教えてもらうこともあり、立ち寄ったことは何度もあります。
またよくあったのが、ある目的地を聞くと「わしも今そっちの方向へ行くところだから、一緒に行きましょう」と案内してくれることです。
道すがら他愛(たあい)のない会話をし、別段、お互いに名乗ったりせずにお礼を言って別れます。なんだか、そんなことがあるとほっこりした気持ちになりますね。
スマートフォンの登場で知らない人に道を聞くことはなりなりましたが、そういった他人とのふれあいもなくなってしまったように思います。
他人に道を聞くイメージ(画像:写真AC)
この原稿を書き始めた日、住宅街を歩いているとマスクをした高齢の女性から駅までの道を聞かれました。道を聞かれることは、まだなくなったわけではないようです。