伝説の野球漫画『キャプテン』と江東区にあった「幻の球場」から見る青春群像

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伝説の野球漫画『キャプテン』と江東区にあった「幻の球場」から見る青春群像

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増淵敏之

法政大学大学院政策創造研究科教授

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コージィ城倉氏の作画で2019年から連載開始されている漫画『キャプテン2』。そのオリジナルとなるのが、ちばあきお氏の『キャプテン』です。同作品の背景について、法政大学大学院教授の増淵敏之さんが解説します。

江東区新砂1丁目にある記念碑

 先日とある会議に出席することになり、江東区役所(江東区東陽)へ出向きました。東陽町といえば、「洲崎(すさき)球場」を思い出します。

 洲崎球場は、場所が長らく定かではありませんでした。しかし文献調査などでおおよその場所が判明し、2005(平成17)年に江東区が記念碑を建てました。

 場所は、水処理大手のオルガノ、会計システムを手がける日本デジタル研究所がある江東区新砂1丁目です。

伝説の野球マンガ『キャプテン』(画像:(C)ちばあきお、学研ホールディングス)



 日本のプロ野球草創期――杉並区上井草にあった上井草球場(1936年8月開場)に続き、洲崎球場は同年10月に開場しました。

 もともと松竹ロビンス(1936年から1952年まで活動したセリーグ加盟球団)の前身球団である大東京軍の本拠地だったのですが、当時はフランチャイズ制が確立しておらず、東京読売巨人軍(現在の読売ジャイアンツ)も使用していました。

1936年に行われた巨人対大阪の優勝決定戦

 この球場で行われたもっとも有名な試合は、1936(昭和11)年の巨人対大阪(現在の阪神タイガース)の沢村栄治、景浦将(かげうら まさる)が出場した優勝決定戦です。熊本県立工業学校(現在の熊本工業高校)から巨人入りした「打撃の神様」、川上哲治のプロデビュー戦もこの球場だったそうです。

 しかし1937年には都心部に後楽園球場が作られ、上井草球場、洲崎球場ともに試合数が激減。1938年の3試合を最後に閉鎖。1943(昭和18)年頃に解体されたといいます。埋め立て地に作られたため、満潮時には海水が流入したという話もありますが、日本のプロ野球の礎となった球場と言えるでしょう。

洲崎球場跡に立つ記念碑(画像:(C)Google)

 なお同じ江東区には、1999(平成11)年と2001年に全国高校野球選手権(夏の甲子園)に出場した「都立の星」、城東高校(江東区大島)もあります。

『キャプテン』の墨谷二中のモデルは?

 さて隅田川の左岸には、江東区のほか墨田区もあります。

 現在、福岡ソフトバンクホークスで会長および終身GMを務める王貞治は、墨田区の本所中学校(墨田区東駒形)出身です。隅田川や荒川など、河川敷に野球のできるグラウンドが多いことも、このエリアの野球熱のバックボーンとなっているのでしょうか。

 彼が受験した墨田川高校(墨田区東向島)は、ちばあきおの野球漫画『プレイボール』(1973~1978年発表)の墨田高校のモデルといわれており、前作の『キャプテン』(1972~1979年発表)の墨谷二中のモデル探しはインターネット上で現在でも活発に行われています。いずれの作品も、日本の野球漫画の代表的な作品です。

王貞治が受験した墨田川高校の外観(画像:(C)Google)



『キャプテン』は野球の名門・青葉学院で2軍の補欠だった主人公・谷口タカオが、転校した墨谷二中の野球部に入部するところから物語は始まります。

 そして彼の努力に引っ張られ、弱小チームだった墨谷二中は次第に力をつけ、次のキャプテン、丸山、イガラシにその指導力が継承されていきます。

『キャプテン2』の墨谷二中のモデルは?

『キャプテン』は、イチローや新庄剛志を始めとするプロ野球選手の中にもファンが多いことでも知られています。

 またアニメ化、実写映画化、ノベライズとクロスメディア展開も行われ、ちばあきお亡き現在、コージィ城倉の作画で2019年から『キャプテン2』が連載開始しています。

ちばあきお氏のウェブサイト(画像:(C)ちばあきお)

『キャプテン2』の墨谷二中のモデルは、吾嬬(あずま)第二中学校(墨田区八広)とするのが一般的な見解のようです。

 校舎やグラウンドに差異はありますが、墨谷二中の校歌にある「荒川を東に臨み」「春の墨東明け染めて」の地理的位置と、同中学がもうひとつクラブチームを持っていて、いずれも荒川の河川敷のグラウンドを使用していること、というのがその理由と言われています。

懐かしい「下町」と野球の相関性

『キャプテン』連載時、八広駅は高架化される前の旧荒川駅(改称は1994年)です。漫画に出てくる光景と似ており、荒川に架かる鉄橋もこの周辺に似ているといいます。

『キャプテン』が発表された当時は、現在のようにデジカメで写真を撮って、それを作品の背景にするような技術はなかったため、場所の特定に関しては推測の域を出ません。しかし、好きな漫画についていろいろ調べてみるのは楽しいものです。

八広駅の外観(画像:(C)Google)



 ちばあきおの兄で同じく漫画家のちばてつやが発表した、スポーツ万能の石田国松が活躍する『ハリスの旋風』(1965~1967年)も下町が舞台でした。

 国松の実家は屋台のラーメン屋を営んでおり、『キャプテン』『プレイボール』の谷口タカオの実家は、自営の工務店。そのような生活環境の中で、彼らが屈託なく野球に打ち込むさまは、とても共感を喚起するものでした。懐かしい「下町」のイメージ形成には、このような野球漫画が寄与していることもわかります。

 ただ江東区や墨田区も人口が近年増加しており、街中はずいぶん都会然としてきました。前述の作品の風景は、もうほとんど残っていないかもしれません。洲崎球場の記念碑も騒がしさの中に人知れず立っているといった感じです。しかしそれでも変わらず河川敷の上に広がる青空には、白いボールが変わらず似合うような気がします。

 間もなく、球春たけなわです。

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