「新選組」唯一の生き残りは、なぜJR板橋駅前に石塔を建てたのか?
2020年11月9日
知る!TOKYO「新選組」唯一の生き残り・永倉新八は、晩年、北区滝野川に立派な碑を建てました。かつての盟友、近藤勇と土方歳三の名を刻んだ供養塔。新八はどのような思いで建立したのか、ノンフィクション作家の合田一道さんがその軌跡をたどります。
生粋の武士を貫いた、ある男の生涯
JR埼京線板橋駅のすぐそば、北区滝野川に、「近藤勇宣昌、土方歳三義豊之墓」と刻まれた大きな供養碑があります。
建立したのはご存じ、新選組創立メンバー唯一の生き残りの永倉新八(ながくら しんぱち)です。老境の新八はどのような思いでここに碑を建てたのでしょうか。
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新八が近藤、土方と意見を異にして新選組を離れたのは、戊辰戦争が起きて2か月後の1868(慶応4)年3月。新八は靖兵隊(せいへいたい)を組織して二十数人とともに戦火の奥羽(おうう、現在の東北地方)へ赴き、新政府軍と戦います。

だが敗れて散り散りになり、実家の江戸下谷(したや、現在の台東区の町名)の松前藩長屋に戻ります。
新選組の隊士のほとんどは農民出ですが、新八は松前藩江戸定府取次役150石取りの藩士の息子で、れっきとした武士でした。
その新八を、新政府方がつけ狙います。
同年9月、明治と改元。松前藩江戸家老の下国東七郎は追われる身の新八を心配し、こう持ち掛けます。

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