没後100年――日本文化を深く愛し、帝都「東京」をデザインした建築家「ジョサイア・コンドル」をご存じですか
2020年7月2日
知る!TOKYO都内にある旧古河庭園と旧岩崎邸庭園を手掛けた建築家、ジョサイア・コンドルについて、フリーランスライターの小川裕夫さんが解説します。
150年前の東京とは
2020年6月6日(土)、東京メトロ日比谷線に新駅となる虎ノ門ヒルズ駅が新たに誕生しました。
虎ノ門ヒルズ駅はその名称の通り、虎ノ門ヒルズ(港区虎ノ門)の最寄り駅です。虎ノ門ヒルズ一帯は、都市開発事業者の森ビル(港区六本木)、そして東京都が総力を結集して開発を進めているエリアです。それだけに、今後の東京をけん引する目玉の開発案件でもあります。
日本の政治・経済の中心地でもある東京は、アメリカのニューヨーク、イギリスのロンドンなどと並び国際都市として発展を続けています。

いまや世界に名だたる大都市と肩を並べる東京ですが、150年前は違いました。明治維新によって江戸幕府から政治体制が転換したばかりの東京は、江戸時代の面影を強く残した街であり、とても諸外国から認められるような大都市ではありませんでした。
明治政府が建築物の西洋化に取り組んだワケ
当時は鎖国が解かれた直後です。諸外国との交流が始まり、ようやく海外の文化・製品などが日本にも入ってくるようになりました。
海外から輸入される舶来品は品質が高く、ゆえに日本で生産される工業製品・農産品などは太刀打ちできない状況でした。
そうした現状を変えるべく、明治新政府は殖産興業を推進。西洋から技術を導入して、生産力の向上、品質改善に努めました。
西洋列強に「追いつき追い越せ」をスローガンにしていた明治新政府は建築物を西洋化する政策、いわゆる欧化政策にも力を入れました。
明治新政府の首脳たちが建築物に着目した理由はいくつかあります。
そのなかでも、特に大きな理由が、建築物は人目につきやすいという理由がありました。西洋の建築物が街の中心部にできれば、かなり目立ちます。それらは、日本が文明国になったことをアピールできるシンボルにもなるのです。
そうした訴求力を期待し、明治新政府は建築物の西洋化に取り組んだのです。

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