アド街、モヤさま、家族に乾杯……なぜ「散歩番組」は大人気になったのか? 外出自粛のいま考える

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アド街、モヤさま、家族に乾杯……なぜ「散歩番組」は大人気になったのか? 外出自粛のいま考える

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太田省一

社会学者、著述家

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テレビを付けていると、散歩番組を見かけない日はありません。なぜここまで増えたのでしょうか。その背景について、社会学者で著述家の太田省一さんが解説します。

番組が増えたのは1990年代に入ってから

 古来、人間は「散歩する動物」です。

 古代ギリシャ哲学には、散歩しながら講義をするという逍遥(しょうよう)学派なる学派もありました。特に決まった目的もなくぶらぶら歩きをすることに喜びを見いだすのは、もしかすると人間の専売特許なのかもしれません。

 いま、テレビでも散歩番組が真っ盛りです。朝から夜まで、必ずどこかのチャンネルで散歩番組をやっていると言っても過言ではありません。

 ただ、ずっと昔からそうだったわけではありません。これほどテレビに散歩番組が増え始めたのは、実は1990年代に入ってからです。その時期になにがあったのか? そしてそのとき東京はどのように扱われるようになったのか? そのあたりを少し振り返ってみたいと思います。

目指すものは「普段着の街」

 1995(平成7)年と言いますからちょうどいまから四半世紀前、いまも続くふたつの番組がスタートしました。ひとつがNHK「鶴瓶の家族に乾杯」、そしてもうひとつがテレビ東京「出没!アド街ック天国」です。

「出没!アド街ック天国」の番組内の様子(画像:テレビ東京グループ)



「鶴瓶の家族に乾杯」は、ご存じの通り笑福亭鶴瓶とゲストが毎回どこかの街に出掛け、行き当たりばったりで地元の人びととの交流をする番組です。全国各地が舞台なので旅番組的要素もありますが、本質は散歩番組と言っていいでしょう。

 なぜなら、目的は名所やグルメではなく、あくまでその街に暮らす人びとの日常の姿にふれることにあるからです。いわば「普段着の街」、それが散歩番組の目指すものです。「鶴瓶の家族に乾杯」は、鶴瓶の名人芸ともいえるコミュニケーション術もあり、散歩番組のお手本的存在になりました。

地元の人たちが慣れ親しんだものを取材

 一方、「出没!アド街ック天国」は、ひとつの街の魅力をランキング形式で紹介し、宣伝するバラエティー番組。愛川欽也が初代で現在は井ノ原快彦が務める司会には、「あなたの街の宣伝部長」という肩書がついています。

 この番組でも、全国的に有名な観光地や特別なグルメではなく、地元の人たちが慣れ親しんだ商店街、通り、食堂や喫茶店などがメインに紹介されます。

 つまり、ここでも「普段着の街」が主役です。芸能人や有名人が街を散策するスタイルではありませんが、その点でこの番組も現在ある散歩番組のパイオニア的存在です。

「鶴瓶の家族に乾杯」のウェブサイト(画像:NHK)



 特に「出没!アド街ック天国」の場合には、“東京再発見”という側面があります。

 箱根など観光地が特集されるときもありますが、主として東京にある街々が特集されることが多く、そこには「普段着の東京」を見る楽しみがあります。

 テレビはとかく流行やイメージを追いがちですが、この番組が取り上げる東京の街は必ずしもそうした街ばかりではありません。

「東京のすき間」を見つけた「アド街」

 例えば、初回の街は代官山、そして西麻布、神楽坂、下北沢、白金……と続いていきました。

 確かに代官山などはいまやおしゃれな街の代表ですが、1995年当時はまだそこまで誰もが知っているという街ではありませんでした。少なくとも、新宿や渋谷、銀座といった全国的に知られた繁華街を初回に取り上げなかったところに、番組制作側のはっきりした意図がうかがえます。

 その後も「出没!アド街ック天国」では、メジャーな街の一方、名前は聞いたことがあってもどのような魅力があるのかまだあまり知られていないような街がたびたび取り上げられてきました。

立石の商店街の様子(画像:写真AC)

 例えば、東京を走る私鉄沿線の街である千歳烏山、祖師ヶ谷大蔵(以上、世田谷区)、青物横丁(品川区)、立石(葛飾区)などはそうした街でしょう。いわば「出没!アド街ック天国」は、「東京のすき間」に番組としての鉱脈を発見しようとしたのです。

地元民の予想外のリアクションが魅力

 視聴率競争の最も激戦区である土曜夜9時台にそうした番組を企画することは、まだ散歩番組がメジャーではなかった当時としては、大きなチャレンジだったはずです。

 それは、1964(昭和39)年に開局以来ずっと、そうしたすき間狙いのアイデア勝負に活路を見いだしてきたテレビ東京だからこそできた冒険でした。

 そして2000年代に入り、「出没!アド街ック天国」が道を開いた「東京のすき間」狙いは、同じテレビ東京で人気散歩番組を生み出します。2007(平成19)年にスタートした「モヤモヤさまぁ~ず2」です。

2007年1月から2013年4月までアシスタントを務めた大江麻理子さん時代の「モヤモヤさまぁ~ず2」のカット(画像:テレビ東京グループ)



 この番組は最初特番として始まったのですが、その際訪れたのが北新宿、西新宿、北池袋でした。つまり、新宿や池袋の隣というわけです。そうした巨大ターミナルのすぐ隣の街が、テレビに取り上げられることなどめったにありません。しかし「モヤモヤさまぁ~ず2」はあえてそういう街に注目しました。

 そういった街には、流行の最先端を行くようなお店などほとんどありません。そこで大切なのは、地元に住む人たちの素の魅力になります。テレビ慣れしていない分、逆にお約束にとらわれない予想外のリアクションが生まれる。さまぁ~ずの2人が芸人ならではの技で引き出すそんな「普段着の人」の魅力は、私たち視聴者にとっても新鮮でした。

「当たり前の日常」の大切さ

 改めて振り返ってみると、散歩番組の原点である1995年は、阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件が起こった年でもあります。

日常のイメージ(画像:写真AC)

 このふたつの出来事に共通点があったとすれば、当たり前に続くと思っていた日常がかくももろく、あっけなく失われてしまうものだという衝撃であったように思えます。「普段着の街」をただぶらぶら歩く散歩番組の隆盛の裏には、そうした

「当たり前の日常が今日も健在であることを確認して安心したい」

という私たちの願望があるのかもしれません。

 そして現在、新型コロナウイルスが、またもや私たちの当たり前の日常を大きく脅かしています。いまは一日も早く、テレビでも現実でもゆったりとした東京散歩を心置きなく楽しめる日々が戻ることを願ってやみません。

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