戊辰戦争の残影――なぜ「上野の黒門」は南千住に移築されたのか?
2019年10月18日
お出かけ2018年に話題を呼んだ大河ドラマ「西郷どん」ゆかりの地を、フリーライターの下関マグロさんが解説します。
「西郷どん」ゆかりの地へ
2018年の4月某日、筆者は上野恩賜公園へ向かっていました。NHK大河ドラマ「西郷どん」(同年1月~12月放送)が人気だというので、ドラマにゆかりの地をまわるという記事を書くためです。

東京で西郷隆盛ゆかりの地といってすぐに思い浮かぶのがこの公園の像でしょう。公園の階段をのぼって、西郷さんの像のところへ行こうと思ったら、その手前に見慣れないものがありました。なんだろうと近づいてみると、かたわらに説明板があります。それはいきなりこんな文言で始まります。
「この壁泉は、かつてこの地にあった『黒門』の姿を表現しています」
えっと、いきなり知らない単語が出てきました。「壁泉」とはなんでしょう? スマートフォンで検索してみました。このように上から水が落ち、水の幕をつくるような人工的な滝のことを壁泉(へきせん)というのだそうです。
黒門が現存?
近づくと水が流れているのがわかりますが、遠目に見るとまさに黒門がそこにあるように見えます。説明書きには、黒門は寛永寺の「総門」だとのこと。総門とは敷地の一番外側にある大きな門です。

寛永寺は現在の上野恩賜公園ほぼ全域にわたっており、幕末の上野戦争でもっとも激しい戦闘が行われたのがこの黒門付近だそうです。主な戦いは銃撃戦。そのため黒門には、多くの銃弾の跡が残ったのだとか。そして、最後に驚くべきことが書かれていました。その黒門が1907(明治40)年に荒川区の円通寺(同区南千住)に移築され、現存しているのだそうです。
この日は西郷隆盛ゆかりの地をまわり、取材を終えましたが、どうしても現存する黒門を見たくて、後日、円通寺まで出かけてみました。

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