水道橋駅から徒歩5分 「街角の公園」のルーツがあった 開園から90年間、今も変わらぬそのたたずまいとは?
2019年8月29日
お出かけ水道橋から徒歩5分ほどの場所に、現在国内にある「小公園」の原点のひとつとなる公園があるといいます。その公園にはいったいどのような歴史があるのでしょうか。都市探検家・軍艦島伝道師の黒沢永紀さんが解説します。
1923年の関東大震災で一変した東京の街並み
JR水道橋駅の東口からドームシティの喧騒を横目に、外堀通りを御茶ノ水方面へ歩くこと約5分。ほどなくして道の左側に、鬱蒼と茂る木々に囲まれた公園が現れます。幾何学的な装飾の門柱やアーチ型の壁泉など、ちょっと風変わりな公園は、今から約90年前に造られた「元町公園」(文京区本郷)です。実は、この公園は、現在国内にあまたある「小公園」の原点のひとつだったのです。今回は、都市公園の歴史を遡ってみたいと思います。

公園――。誰もがよく知っており、よく利用するものだと思いますが、その種類は千差万別です。噴水や広大な広場を併設した大規模公園から、国立公園のような自然を保護するもの、動植物の生態を観察できる動物公園や植物公園、城などの周囲を公園化した史跡公園、さらには交通公園や臨海公園など、じつにさまざまな公園があります。しかし、もっとも馴染み深いのは、街角によくある遊具を併設した小公園ではないでしょうか。
1923(大正12)年の9月に起きた関東大震災で、東京右半分を中心に、関東一円は壊滅的な打撃を受けました。一日も早い復興を目指して始動したのが「帝都復興計画」です。土地の区画整理から道路や橋梁、上下水道や電気瓦斯(ガス)といったあらゆるインフラ、学校をはじめとした教育施設、食堂や職安などの厚生福祉施設など、ほぼ都市機能のすべてが復興の対象となりました。
東京には面積の狭い公園が多い
公園の整備もそのひとつです。震災後わずか数年で、3か所の大公園と52か所の小公園が造られました。震災前に38か所だったものが105か所になり、一気に2.5倍に。この数には、復興事業として造られた公園以外に、芝離宮や上野などの下賜(かし。身分の高い人から与えられた)された公園や、清澄庭園などの寄付された公園も含まれます。

2019年現在、東京にある公園は8000余で、その数は全国でもダントツ1位です。しかし、その合計面積はというと、ダントツ最下位の47位。つまり、東京には面積の狭い公園が多いことがわかります。この面積の狭い公園、すなわち昭和の時代に児童公園と呼ばれた街区公園こそ、震災復興で造られた52か所の小公園を基本として、その後造り続けられたものだったのです。
現在は、街角のあらゆるところに設置されている小公園。しかし当初の復興小公園は、基本的に小中学校に隣接して造られました。狭い校庭を補う教育のスペース、罹災時の避難場所、そして地域コミュニティの中心地、という役割を担ったのがこの復興小公園でした。
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