テーマは昭和の街、亀戸の「勝運商店街」が看板建築で再興を果たしたワケ

江東区の亀戸駅から歩いて数分の場所に、看板建築風の建物が立ち並ぶ商店街があります。いったいなぜこのようなデザインになっているのでしょうか。都市探検家・軍艦島伝道師の黒沢永紀さんが解説します。


大戦で戦禍にあった地域なのになぜ?

 JR亀戸駅から北へ歩いて約5分。蔵前橋通りに面して入口がある亀戸香取勝運(かちうん)商店街は、ほんの200メートルほどの短い商店街ながら、昭和レトロと看板建築で見事に復活した商店街。今回は、そんなリノベーション商店街のお話です。

きれいな看板建築が建ち並ぶ、亀戸香取勝運商店街の入口付近の様子(画像:黒沢永紀)



 商店街の入口に建つのは、関東大震災の後に数多く建造された看板建築を彷彿とさせる店構えの和菓子屋「山長(やまちょう)」。しかし、見上げると5階建のビルのようで、ちょっと様子が変です。その奥にも、趣向を凝らした看板建築が建ち並んでいるものの、銅板の緑青が綺麗すぎたり、モルタルの壁が汚れてなかったりと、やはり違和感があります。

 先の大戦で戦禍にあった地域を詳細に記録した『帝都近傍圖-戰災燒失區域表示(ていときんぼうず せんさいしょうしつくいきひょうじ)』を見ると、この一帯は完全に焼失したエリアなので、木造の看板建築が遺っているとは考えられません……実はこの商店街に建ち並ぶ看板建築は、すべて最近になってリノベーションされたものだったのです。

 亀戸香取勝運商店街(以降、勝運商店街)――。ちょっと変わった名前のこの商店街は、もともと隣接する香取神社の参道に端を発します。昭和に入って商店街の原型が造られるものの、先の戦禍で壊滅。戦後復興で、現在の商店街につながる原型ができあがりました。オイルショックの頃まではとても賑わっていたようですが、国内の多くの商店街と同様、バブル期に衰退し、めっきり客足が遠のいていたようです。

 「2000年代の中頃に江東区が募集した、商店街活性化への応募が再興の発端だった」と語るのは、前出の和菓子屋「山長」の社長・長束光芳さん。勝運商店街を一新したリノベーションの立役者です。コンサルやデザイン事務所などと相談しながら、昭和の街をテーマに、看板建築で商店街の再興を計画したといいます。

 2011(平成23)年の第1期工事で店舗や袖看板を、そして2016年の第2期工事で通路のリニューアルをして、当初予定した形が完成しました。江東区からの補助金でまかなえたのは、リニューアルに合わせて揃えた袖看板、道端の植込みの鉢やベンチ、そして店舗改装費の一部。その結果、全面改装は各店舗の自主的な決断と財力に委ねざるを得なかったので、店によって完成度にばらつきがあるのが少し残念です。

 限られた予算の中での再生には苦労も多かったようです。例えば一見石畳のように見える路面は、実はベタ敷きの舗装路に切れ込みを入れて石畳風にしたもの。しかし、素人目には石畳と言われても遜色なく、低予算を逆手にとった発想には脱帽です。

細かなディテールで昭和初期の流行を踏襲

 商店街の看板建築を少し詳しくみてみましょう。まず、入口に店を構える和菓子の「山長」さんは、冒頭でもお伝えした通り、5階建のビルの2階部分を看板建築風に覆ったフェイク。

勝運商店街の入口に店を構える和菓子の「山長」。青海波が綺麗な銅板部分は実は塗装。唐破風や親子格子などを配して、看板建築というよりは折衷建築の印象が強い外観(画像:黒沢永紀)



 青海波(せいがいは)模様の目隠しは、綺麗な緑青(ろくしょう)色をしていますが、実際の銅板ではなく塗装だとか。ただし、ビル上部の正面にも手を加えて丸みを帯びたベランダにするなど、昭和初期の雰囲気が良く出ています。

 商店街に入って右側3軒目の「勝運ひろば」の建屋は、山長さんと似たような緑青色ですが、こちらはれっきとした銅板。ただし、人工的に緑青を吹かせているので、まるで塗装のように見えます。

 本来、銅板の緑青は、20年以上外気に晒されてやっとでき上がる自然のアート。青緑色の濃淡がまだらに現れることが、老舗の証にもなりますが、長束さんのお話だと「自然の緑青は汚いので人工的な処理にした」とのこと。網代(あじろ)や青海波、そして麻の葉など、銅板葺看板建築の定番的な江戸小紋がふんだんに散りばめられ、小さなアーチを埋めるタイルも憎い演出です。

 山長さんの並びの「すみれ緑花店」と「カトリ美容室」は、モルタル仕上げの看板建築。いささか今風の色合いですが、上部のキーストーンや歯型の軒下飾りなど、細かなディテールが昭和初期の流行を踏襲しています。

 その隣は1870(明治3)年から営む味噌と漬物の「丸定」。こちらは、正統的な看板建築ではありませんが、建屋が鉄筋コンクリートのため、看板建築にするのが難しかったと長束さんは語ります。隣接する「蔬菜(そさい)フルーツ 坂本商店」は、洗い出しの人造石を使ったアール・デコが印象的な一棟。こだわりを感じる三連アーチや付け柱の装飾など、商店街の中で最も完成度の高い仕上がりといえるでしょう。

 商店街の入口から並ぶこれらの数軒が気合の入った看板建築で、あとは看板建築風のテイストを一部に取り入れて改装したものが数軒。残りは補助金による袖看板以外、看板建築の要素はみられない店舗が並びます。袖看板だけの店舗は、鉄筋ビルの1階に入店してるものが多く、「丸定」さんと同様に施工が難しかったのではないでしょうか。

「ネオ看板建築」を生み出す先駆けに

 では、商店街をリニューアルして、実際に効果はあったのでしょうか。長束さんの話だと、まず香取神社への参詣者が増えたのに併せて、商店街にも客足が戻ってきたとのこと。ちなみに香取神社は、鎮座1350年を超える古社で、全国でも珍しいスポーツ振興を祀る神社。2020年のオリンピックをはじめ各種ワールドカップの開催など、スポーツの隆盛に呼応して、近年ではスポーツ関係の参拝者が激増しました。

「勝運ひろば」の正面は正真正銘の銅板葺き。上部に見えるマークは、平将門の乱で香取神社へ奉納された弓矢をシンボル化したもの(画像:黒沢永紀)



 看板建築のリニューアルが功を奏して、以前はスルーしていた多くの参拝客が足を止めるようになったようです。もちろん昭和の街の噂を聞きつけ、商店街を目当てに来るお客もかなり増えたようで、かくいう筆者も、看板建築でリニューアルされていなかったら、おそらく訪れることはなかったでしょう。

 なおネット上では、勝運商店街の看板建築を、昭和初期の看板建築と誤解した記事も散見します。願わくば、リニューアルの意図や各店舗の見所、そして看板建築の歴史などを路上に掲示すると、より商店街の愉しみが増すのではないでしょうか。

 昭和の初めに誕生した看板建築は、大工の手習いで造られたものが多く、学術的な評価がそれほど定まっていません。しかし、関東大震災後に誕生した特殊な建築様式であり、20世紀の日本のスタンダードな商店建築として、街角の景観を創ってきた文化遺産です。そんな看板建築を、現代の技術で蘇らせた勝運商店街の試みは、とても評価されるものです。

 さらに、看板建築の再生というだけでなく、過去の建築様式を復古させた試みとしても高く評価できます。世界では、ネオ・ロマネスクやゴシック・リヴァイヴァルなど、過去の建築様式を復古させた建築物が19世紀頃から頻繁に建てられてきました。

 しかし、日本建築の歴史を見ると、例えば「新書院造り」や「ネオ城」などと呼ばれるものがないように、時代を隔てて過去の建築様式が復古した“顕著な前例”はありません。

 過去の建築様式を復古させるということは、単に懐かしさを楽しむだけでなく、その建物が建っていた時代の精神を蘇らせることです。看板建築のリヴァイヴァルは、昭和初期のダイナミックなエネルギーや、街の景観を大切にしていた意識を未来へ伝えるということでしょう。勝運商店街の挑戦が、さらに現代的なアレンジを施された「ネオ看板建築」を生み出す先駆けになて欲しいと思います。


【写真】バリエーション豊かなデザイン! さまざまな看板建築が建ち並ぶ亀戸香取勝運商店街の中心部の様子

画像ギャラリー

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