江戸時代の天ぷらは”メッキ”をしていた!? 衣と天つゆが変わった理由に迫る

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江戸時代の天ぷらは”メッキ”をしていた!? 衣と天つゆが変わった理由に迫る

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江戸時代の天ぷらは、衣の小麦粉、天つゆ、タネの魚介類にいたるまで、様々な点において現在の天ぷらとは異なっていたようです。銀座の老舗天ぷら店天國(てんくに)の二代目店主、露木米太郎の話などをもとに、食文化史研究家の近代食文化研究会さんが江戸時代の天ぷらについて解説します。

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    天ぷら(画像:photo AC)
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    百年以上の歴史を持つ銀座の老舗「天國」(画像:近代食文化研究会)
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    天國名物 昔ながらの黒い東京風天丼(画像:近代食文化研究会)
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    水車は製粉に使われていた(画像:photo AC)
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    竹ざる(画像:photo AC)
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    小麦のふすま.(画像:photo AC)
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    山東京伝ほか3名著『職人尽絵詞』より、鍬形蕙斎(くわがたけいさい)「屋台で天ぷらを食べる子供の図」(画像:国立国会図書館ウェブサイト) )
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