都会のオアシスで感じる緑色のひと時「蔦珈琲店」|老舗レトロ喫茶の名物探訪(7)
南青山の通り過ごしてしまいそうな隠れ家的な場所にある「蔦珈琲店」。壁一面のガラス窓いっぱいに庭木の緑が広がり、開放感溢れる店内は都会のオアシスといえる存在です。その名物は、ナチュラルに「緑」を感じられるひと時にあるといえるでしょう。コーヒーはストレート一本勝負、マスターのこだわり息づく癒しの空間 古き良き表参道を彷彿とさせる、蔦のからまる色あせた赤レンガ。その狭間にあり、見過ごしてしまいがちな奥まった場所に「蔦珈琲店」はあります。 蔦の絡まる赤レンガが古き良き表参道を彷彿とさせる蔦珈琲店の玄関口(2018年11月20日、宮崎佳代子撮影) 扉を開くと、壁一面のガラス窓いっぱいに緑が広がり、開放感溢れる空間が目に飛び込んできました。そこはまさに、都会のオアシス。 店内は大きな窓ガラス一面に庭木の緑の景観が広がる(2018年11月20日、宮崎佳代子撮影) コーヒーの香り漂うカウンターにほど近いテーブル席に着き、卓上のメニューに視線を注いだ瞬間、ちょっと違和感を覚えました。 老舗喫茶の探訪を始めて以来、飲み物のメニューのトップは「ブレンド」の文字があることを「確認するもの」となっていました。しかし、ここでは「コーヒー」とだけしか書かれていません。その下には「アメリカン」。 ある意味、それもまた昭和レトロと思いながら、注文を聞きに来たスタッフに「コーヒー」の内容を色々問うと、マスターの小山泰司さんが手を止め、カウンター越しに説明してくれました。 「僕はストレート一本勝負。豆は、これまで色々試してきたなかで一番お客様から評判のよかったブラジルのもの1種類しか使っていません。だから、メニューに『コーヒー』と書いてるんです。よくブラジルの豆は苦味が強いから、他とブレンドした方がいいといわれるけれど、抽出の仕方で甘みを出すこともできるんですよ」。 そして、「まあ飲んでみてください」と言って運んできたコーヒーは、深煎りにもかかわらず、苦味をさほど残さずに喉をすんなりと通っていき、胃が重くなる感じがありません。それでいて、コクとうまみが感じられる美味しいコーヒーでした。 蔦珈琲店は創業以来、コーヒーはネルドリップ一辺倒だそう。コーヒーは1杯700円、おかわりは1杯350円(2018年11月20日、宮崎佳代子撮影) 店内はかなり賑わっているにもかかわらず、それからもマスターはローストについて丁寧に説明してくれました。余計な質問をして、マスターにも他のお客さんにも迷惑をかけてしまったと申し訳なく思いながら席を立った帰り際、マスターが柔らかな笑みを浮かべてひとこと。「ぜひ、また来てくださいね」。 ここが「都会のオアシス」なのは、マスターの存在も大きいと感じて店を後にしました。 エレクトロニクスの世界から脱サラ、大後悔の日々エレクトロニクスの世界から脱サラ、大後悔の日々 蔦珈琲店を再び訪れたのは、秋深まる朝のこと。柔らかな日差しが磨かれた窓ガラスを通して店内に差し込んできて、なんて気持ちのいい場所なのか、と思いました。テーブル上のコーヒーに当たる光は、その表面に木々の葉を映し出して艶やかに潤う。「僕もこの時間帯が最も好きなんです」とマスター。 朝陽が差し込む店内は、1日の始まりを清々しい気分にしてくれる。写真は一風変わったコンビのメニュー「コーヒーとチーズ」950円(価格は税込、以下同)。コーヒーカップは大倉陶園(2018年11月20日、宮崎佳代子撮影) 小山さんが脱サラして蔦珈琲店を開業したのは1987(昭和62)年のこと。大学では建築学を専攻し、卒業後の就職先ではエレクトロニクス関連の部署に配属。喫茶店経営とはかけ離れたフィールドでキャリアを積んできました。その一方で、大学時代からコーヒーに興味を持ち、4キロもある本格的な焙煎機を購入して実家の物置で豆を焙煎。美味しいコーヒーを追究して続けてきたといいます。 マスターの小山さん(2018年11月20日、宮崎佳代子撮影) 責任あるポジションに就き、国内外を飛び回る日々から転じて飛び込んだ喫茶店経営の道。コーヒーのプロになりたいとの想いが高じてのことでした。 「それが転職後、自分はコーヒーを好きだと勘違いしてた、と思うくらい、何度この転職を後悔したかわかりません」(小山さん) 自分や客の求めるコーヒーのクオリティーと利益が一致しないことがわかり、趣味でやるのとプロとしてやるのとでは、全く違うということに気付いたと話します。それでも、コーヒーのクオリティーに妥協できず、台所事情は火の車。「でも、私は本当にラッキーでした。なぜなら、お客様に恵まれたからです」と小山さん。 「恥ずかしい話ですが、月々の支払いが滞って、その催促の電話が店にかかってきたことがあったんです。そしたらその電話を切った後、お客さんが『マスター、いくら必要なの?』って聞いてこられて。そのお金を用立ててくださったんです。そんな風にお客様に助けられながら、徐々にこの商売のやり方がわかってきて、こうして30年以上続けてこられました」。 そう話しながら、アイスコーヒー用に氷塊を取り出して、アイスピックで割るマスター。製氷機の氷を使わないのは、冷たいものはすぐに用意できてしまうから、お客さんがゆっくりできるように、時間稼ぎをするためといいます。いいお客さんがついたのは、そんなマスターの人柄含めて蔦珈琲店の人々に愛される力に思えました。 一番の名物は「緑色のひと時」一番の名物は「緑色のひと時」 一番注文が多いという「クロックムッシュセット」を見て驚いたのは、野菜が山盛りであること。カール、豆苗、クレソンと3種類の野菜がたっぷり盛られています。今に始まったことではないそうで、「一度、野菜は高いから量を減らしたら、お客さんにばれちゃってね、元に戻しました」と苦笑い。ボリューム満点のメニューで、同店の名物のひとつといえます。 野菜たっぷりのクロックムッシュセット1300円。野菜の種類は日によって異なる(2018年11月20日、宮崎佳代子撮影) 蔦珈琲店はケーキも美味です。最初に訪れた際に食べたスフレチーズケーキは甘さ控えめで、ふわりとした優しい口当たりながら、クリーミーな食感とチーズの濃厚さも同時に味わえました。 この日はベイクトチーズケーキを食べてみると、焼き目の歯ざわりがよく、それとは対照的になめらかな生地はほのかにレモンの風味が漂い、酸味とチーズのうま味とのバランスもいい按配。かつてお客さんだった女性の手作りとのことで、こだわりの強いマスターが25年の長きに渡って仕入れているだけのことはある上質の味わいでした。 ベイクトチーズケーキとコーヒーのセット1200円(2018年11月20日、宮崎佳代子撮影) マスターがここに店を借りたのは、庭の存在だけでなく、店との面積比率がちょうどよかったからと話します。 蔦珈琲店の店内。庭に近いテーブル席は緑色にしてコーディネート(2018年11月20日、宮崎佳代子撮影)「僕は建築を学んできたからよくわかるんだけど、これ以上庭が広いと店内が小さく感じられるし、庭が狭いと開放感がなくなってしまう。庭の手入れはそれはもう大変だけど、このバランスが気に入ってます」 蔦珈琲店の一番の名物は、「緑色のひと時」といえるかもしれません。コーヒーをも緑に染める深緑の庭園、野菜たっぷりのメニュー、そして緑のそよ風のように気持ちのいいマスターの接客。たとえ青山に星の数ほどカフェがあっても、こんな「緑色のひと時」に五感を癒される店はそうないのではないでしょうか。 ●蔦珈琲店 ・住所:東京都港区南青山5-11-20 1F ・アクセス:各線「表参道駅」B1番出口から徒歩約5分 ・営業時間:火〜金曜 10:00〜22:00、土日祝日 12:00〜20:00 ・定休日:月曜日
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