目黒名物はサンマではなくタケノコだった。目黒と薩摩を結ぶ意外な関係とは

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目黒名物はサンマではなくタケノコだった。目黒と薩摩を結ぶ意外な関係とは

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目黒名物といえば現在ではサンマですが、これはもちろん落語つまりフィクションの話。江戸時代末から大正時代までの目黒の名物といえば、サンマではなくタケノコでした。そして当時は、タケノコの本場は京都ではなく薩摩(鹿児島)と思われていたのです。食文化史研究家の近代食文化研究会さんが解説します。

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    大黒屋(画像:近代食文化研究会)
  • たけのこせんべい(画像:近代食文化研究会)
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    筍飯のイメージ(画像:photoAC)
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    目黒不動尊のイメージ(画像:photoAC)
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    孟宗竹のタケノコのイメージ (画像:photoAC)
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    タケノコとサツマイモが結ぶ、目黒と鹿児島の不思議な縁(イメージ画像:photoAC)
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