現在は公園に! お台場に浮かぶイカつい「第3台場」の正体

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現在は公園に! お台場に浮かぶイカつい「第3台場」の正体

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永嶋信晴

歴史ライター

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お台場にある第3台場は現在、台場公園として見学が可能になっています。その魅力について、歴史ライターの永嶋信晴さんが解説します。

23区にある立派な城跡

 筆者(永嶋信晴。歴史ライター)は以前書いた記事「東京大田区の住宅地に眠る、今はなき「戦国城跡」 痕跡探しの手掛かりとなる“必要4条件”とは」(10月11日配信)で、江戸城を除けば、東京23区は「城跡の空白地帯」と書きました。ただ、立派な遺構が残るという意味では忘れてはいけないお城があるのです。

 それは、お台場。お台場が城跡というと違和感のある人が多いかもしれません。正直、戦国の城好きとして

「お台場は砲台」

という認識でした。しかし、品川台場は日本城郭協会(品川区西五反田)が選定した「続日本100名城」のひとつなのだとか。

 続日本100名城は、城郭専門家からなる選定委員により選定された格式ある城郭で、東京都からは品川台場のほか、八王子市にある滝山城が選出されています。

 滝山城といえば、都民が全国に誇れる戦国の巨大城塞(じょうさい)。それだけの城と肩を並べて選ばれたということだけでも、品川台場は立派な城だと実感します。ちなみに、東京にある『日本100名城』は、江戸城と八王子城です。

 幕末の1853(嘉永6)年6月、ペリー艦隊が浦賀に来航し、開港を迫るという大事件がありました。青くなった江戸幕府は同年8月、江戸を防衛するために、品川台場の建設に着工します。翌年7月には、第1・第2・第3の三つの台場が完成。続けて、同年12月には計7基の台場が完成しました。現在残っているのは第3台場と第6台場だけですが、第3台場のみ、見学が可能になっています。

第3号台場(画像:永嶋信晴)



 海の中に連なる人工島を1年ちょっとで作ってしまったのは驚きです。幕府はそれだけ黒船来航に脅威を感じたのでしょう。数多くの人工島が江戸湾に並ぶシーンをイメージすると、当時の人にとって、宇宙人の襲来と同じくらいのインパクトがあったのかもしれません。

田町駅から無料でお台場へ行く方法

 観光スポットとしてのお台場の魅力は、都心からほんの少しの時間で、リゾート気分が楽しめること。新橋駅からはゆりかもめ、大井町駅からはりんかい線、ほかには品川駅や浜松町駅からはバスも走っています。ただ、山手線の駅から無料でお台場へ行く方法もあるのです。それは、レインボーブリッジを歩いて渡る方法。

 確かに、時間は余計にかかり、日頃歩き慣れていない人は大変かもしれません。しかし、それを差し引いても、海の上から東京の大パノラマが堪能できる場所は、そうないはず……ということで、今回は、歩いていくお台場の魅力をご紹介しましょう。

 まずは、JR田町駅東口(芝浦方面)から、オフィス街の運河に架かる橋をいくつも渡って歩きます。芝浦地区では、江戸時代に「水の都」といわれた東京を実感できました。

レインボーブリッジ(画像:永嶋信晴)



 海岸通りを渡り、倉庫が立ち並ぶエリアから、レインボーブリッジの橋脚の下へ。そこからエレベーターに乗って、橋の上へあがることができます。

東京の大パノラマを一望

 レインボーブリッジは、二重構造のつり橋で、上は首都高速11号、下は臨港道路とゆりかもめが走っています。遊歩道も下にあり、そこに立つと、すぐ近くを大型トラックやバス、自動車が猛スピードで走り抜けてゆくのに驚きます。

 レインボーブリッジが完成したのは1993(平成5)年。橋の上を歩けることを知り、筆者が最初に出掛けたのは2000年頃だったと思います。

 当時は、橋脚の6階にあった展望室から、東京湾の絶景を眺められました。ほかにも、レインボーブリッジにまつわるパネルや模型、資料などが並ぶ展示室を見学した記憶があります。

 ただ現在、それらはすべて閉鎖されており、レインボーブリッジのプロムナード(遊歩道)を訪れるのは、観光客よりも地元のランナーが多い印象でした。

レインボーブリッジからの風景(画像:永嶋信晴)

 橋の上からは、海に浮かぶお台場越しに、高層ビル群の絶景を堪能できます。海外のリゾート地のような風景を見ながら歩いていくと、全体が緑に覆われた「6号台場」が眼下に現れました。

短編ホラーの舞台になった第6号台場

 第6号台場は、これから行く第3号台場より一回り小さく、形は五角形。横に、小規模の砂浜を確認することができました。

第6号台場(画像:永嶋信晴)



 ここへ来ると、いつも思い出すホラー小説があるのです。それは、「仄(ほの)暗い水の底から」という短編集に収録された「孤島」という作品。「リング」で一世を風靡(ふうび)した鈴木光司の初期の作品です。

 周囲を海に囲まれた6号台場に置き去りにされた妊娠中の女性。置き去りにした恋人はそのことを友人に告げたあと、がんで死亡。9年後、友人が6号台場に調査のため上陸すると、野生化した少年を発見するのです。彼は、妊婦が産んだ子どもなのか。女性は、今も6号台場の中で生きているのか……。

 今回の訪問でも、前回行った時と同じく彼らの存在を確認しようと、ジャングルに目を凝らしてしまいました。同時に、生存に不可欠な食料も。

 木々は生い茂っていますが、食料は無さそうです。ただ、石垣の上から魚は釣れそう。もっとも、6号台場は立ち入り禁止。そんなことをしていたら、レインボーブリッジのランナーから、即通報されてしまいそうですが……。

 次に現れるのは、第3号台場。こちらは、一辺150mほどの正方形で、周囲に土塁を築き、それを石垣で囲む構造。ビジュアル的には立派な城塞ですね。

 こちらの台場は、もっとも原形をとどめているといわれており、現在は、お台場地区と地続きになっています。レインボーブリッジを渡り終え、遊歩道を歩いて入城しましょう。土塁の内側は、野球ができそうなほどの広い平地が広がっています。

昭和初期のアウトドアの痕跡が残る第3号台場

 まずは四方を囲む土塁の上を一周します。途中、砲台の跡がありました。外周部に砲台を作り、江戸湾に侵入してくる黒船に備えたのでしょうね。

 外周部を4分の3周すると、海からの入り口となっている波止場が現れます。江戸城の方向に作られており、そこは厳重に石垣で固められていました。

 土塁から急な階段を降り、平地部分を見学します。波止場の先には土塁を挟んで、陣屋跡がありました。陣屋は、お台場に詰めた勤番者が居住する長屋のような施設です。周囲にめぐらした土塁の下の各所には、火薬庫の跡があります。当時、大砲を飛ばすために使われた火薬は、火災や被弾に備えて、数か所に分散して格納されていたのですね。

 平地部分のかなりの面積を占めるのが、かまどの跡。大谷(おおや)石で作られた八角形の立派なかまどです。この大きさなら、一度に大量の煮炊きが可能でしょう。

第3号台場にあるかまどの跡(画像:永嶋信晴)



 ただ、以前から、なぜ火薬庫のすぐ近くに、かまどがあるのかと不思議に思っていました。火が飛んで火薬に引火したら大災害になるのは間違いありません。今回「品川御台場の歴史」というパンフレットをもらい、それを読んで古くからの疑問が解消しました。かまどは、東京市の公園に伴い1928(昭和3)年に設置されていたのです。

 今、キャンプがはやっているそうですが、昭和初期も多くの人たちが、ここでアウトドアを楽しんだのですね。20年間にわたる疑問が解決したのはうれしいですが、もう少し早く知らせてほしかった……。

立派な踏み石がある池も存在

 実は、今回の訪問でもうひとつ疑問を持ったスポットがありました。それは、第3号台場の林の中にある小さな池です。

第3号台場にある小さな池(画像:永嶋信晴)



 海を埋め立てて造った土地に、なぜ本格的な池があるのか。本格的と感じたのは、池のほとりに立派な踏み石があるからです。雨水がたまって、一時的にできた池ではないという証明ですね。もしかしたら、海水がにじみ出しているのかもと思いました。

 ただ、それを確認するには、水をなめてみる必要があります。筆者は確認する勇気がなく、今回は疑問の解決を先送りしてしまったのでした。

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