「住みたい街」上位常連 吉祥寺のある「武蔵野市」は70年代、犯罪率全国ワースト2だった!

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「住みたい街」上位常連 吉祥寺のある「武蔵野市」は70年代、犯罪率全国ワースト2だった!

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昼間たかし(ルポライター、著作家)

「住みたい街ランキング」上位常連の吉祥寺。しかしかつては全国トップレベルの犯罪都市でした。その実情と街の変遷について、ルポライターの昼間たかしさんが解説します。

かつての実態

 多摩地域東部に位置する吉祥寺は、関東の「住みたい街ランキング」上位常連です。不動産情報サイト・SUUMOの「住みたい街ランキング2021」によると、関東圏で第3位となっています。

 こうした調査の評価基準は、実際に住んだ際の利便性です。その点で吉祥寺は

・商業施設が充実して生活が便利
・交通の便がよい
・飲食店が多い
・公園が多い

と、とにかく評価される要素が多いのです。

 過去10年ほどの新聞・雑誌記事を調べてみても、常にこれらの要素によって吉祥寺は首都圏のランキングのトップクラスの常連だと記されています。

吉祥寺駅北口(画像:写真AC)



 しかしここで気になることが……吉祥寺はいつから住みたい街になったのかということです。実はかつての吉祥寺は、住みたい街どころか「危険な街」としての要素をはらんでいました。

 1974(昭和49)年、警察庁は「都市別犯罪危険率」を発表しています。これは人口10万人以上の都市を対象に、1973年の1年間に起きた事件を基に算出したものです。このときの全国の犯罪都市ワースト3は次のようになっています。

・1位:北海道釧路市
・2位:東京都武蔵野市
・3位:北海道苫小牧市

 吉祥寺のある武蔵野市は東京都内どころか、全国でワースト2位だったのです。このランキングを知ってしまうと、犯罪都市がどのような変遷を遂げて「住みたい街」となったのか気になります。

キーワードは「個性的な店」「若者の街」

 実際、吉祥寺は急速に変遷を遂げています。1980年代に入ると新聞・雑誌では「住みたい街」として膨大な記事が出現します。

 そんな記事のひとつを引用してみましょう。

「この街では、単に買い物だけでなく、知的好奇心まで満足させることができる。この街の店は、個人資本の小規模なものが多く、店の雰囲気にはオーナーの趣味やセンスが最大限に表現されている。また、70年代ごろから学生の街として、知的、文化的な人々が集まってきたことが今日のような姿に発展した理由としてあげられよう」(『Weeks』1989年10月号)

吉祥寺のサンロード商店街(画像:写真AC)



 1980年代の記事を見てみると、吉祥寺の魅力のキーワードとなっているのは、とにかく「個性的な店」「若者の街」に尽きます。女性ファッション雑誌『non・no』1981年9月1日号では、成蹊大学(武蔵野市吉祥寺北町)のサークル「ミニコミ編集会」の街頭アンケート調査を基に、次のように街の魅力を紹介しています。

・庶民的
・気軽な感じ
・親しみやすい
・小さくまとまっていて好き
・コワいヤーサンが少ない

 これを見ると鉄道で直結した最寄りの大都市である新宿・渋谷に比べて、吉祥寺が「普段使いしやすい街」として発展したことが見えてきます。どうもその始まりは、1970年代にあったようです。

新宿の成長に伴い「聖域」になった吉祥寺

 前述の「都市別犯罪危険率」が発表された1974年の雑誌記事を調べてゆくと、『週刊プレイボーイ』1974年8月20日号に掲載された「吉祥寺(ジョージ)今もっともヤングの注目を集めているMUSIC&FASHIONの街」という記事を見つけました。

 ここでは「中央線サブカルチャーが若者たちのシルクロードであるならば、吉祥寺はさしずめシルクロードの果ての新しい聖域だ」と称賛して、こう記しています。

「吉祥寺で生まれ育った某君がこの街について「吉祥寺っていうところは、あの『同棲時代』のもっているイメージの街なんだ。だからここに集まる若者は、原宿、六本木、新宿で遊ぶ人にくらべて自分達の街だっていう意識がかなり強いと思う」というが、たしかにこの街は同棲している若者が多いから、若者の生活に不可欠な音楽とファッションにしても必然的に生活の中から生まれ生活の匂いがプンプンしている」

 記事には、今では使われなくなったが「3寺」という言葉がありました。これは中央線沿線の

・高円寺
・吉祥寺
・国分寺

の三つの街を示す言葉です。

吉祥寺のある武蔵野市(画像:(C)Google)



 これらの街は、いずれも1970年代に若者が住む街として発展した街です。それまで、若者がたむろする街といえば新宿がもっとも知られていましたが、新宿は開発にともなって物価も上昇。街の美化も推進され、若者にとって居心地のよい街ではなくなっていました。そんなとき、家賃も安くて住み心地のよい新たな街として若者たちが開拓していったのが「3寺」だったのです。

 ただ、そんな若者が集うがゆえに犯罪も多かったことは否めません。それが冒頭で記した「都市別犯罪危険率」の結果に表れているといえるでしょう。

のどかな「犯罪」が多かった?

 そんな犯罪都市だった吉祥寺ですが、さすがに歩いているだけで危険というわけではありませんでした。犯罪の多くは

・空き巣
・万引
・自転車泥棒

でした。

 当時、ワースト入りに対して武蔵野警察署(武蔵野市中町)はこう語っています。

「武蔵野市周辺の交通機関というと中央線が一番便利なので、学生やサラリーマンは駅まで来るのに自転車を使う人は多いんですよ。むかしは自転車預かり所などもあったのですが、いまでは駅周辺にカギもかけずに置く人が多いんですよ。これでまるで『どうぞご自由にお使いください』と同じことがいえますね。空き巣だって同じことがいえますね。空き巣に入られた家の27.7%までが外出するのに不注意にもカギがかけてなかったんですよ」(『アサヒ芸能』1974年3月28日号)

 のどかな武蔵野の郊外都市から繁華街へとなった、その激変が犯罪発生件数の上昇だったともいえます。その苦しみを経て、吉祥寺は「住みたい街」へと変貌を遂げたわけです。多くの地域ではこの激変のなかで街の個性が失われていくわけですが、そこが維持されたのも重要な要素だったといえるでしょう。

吉祥寺駅周辺の様子(画像:国土地理院)



 さらに地元の人に尋ねてみると、吉祥寺が住みやすい街になった意外な理由を教えてくれました。

「1980年代は若者も増えたことで、当然、暴走族や90年代に流行するチーマーのはしりのような連中も多かったんです。ところが1990年代になると、そうした連中は渋谷に集まるようになって吉祥寺から姿を消していきました。結果、吉祥寺は安全な街になりました。「住みたい街」になった理由はこれが大きいんじゃないかと思っていますよ」

 なんとも不思議な経緯で「住みたい街」になったことでしょう。吉祥寺はやっぱり魅力的な街です。

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