中央道の七不思議? 高井戸IC下り線に「入り口」がないワケ

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中央道の七不思議? 高井戸IC下り線に「入り口」がないワケ

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車での移動を便利に快適にする高速道路。東京はもちろん全国に整備され、新たな区間の開通やジャンクションの設置が進められています。そんな中でナゾと言われるのが、杉並区上高井戸にある「高井戸インター」。中央道の下り線入り口が設置されていないのです。いったいなぜなのでしょうか。

開通・設置が相次ぐなかで

 全国各地に整備された高速道路。車での移動は日々便利になっています。今後も、まだまだ開通が予定されている高速道路の区間は多数あり、その利便性はますます向上していくことが期待されます。

 首都圏においても、首都高をはじめとした高速道路のネットワークがどんどん拡大しており、首都高では新しい区間の開通やジャンクションの設置などがされています。

 そんななかで、昔から存在しているにもかかわらず“不便”としばしば言われるインターがあります。それが、今回のテーマである中央道の「高井戸インター」(杉並区上高井戸)です。

首都高4号新宿線下り「高井戸インター」出口(画像:のっぴー)



 高井戸インターは、「首都高4号新宿線の終点」であると同時に「中央道の起点」でもあるという、東京都内のなかでもかなり重要度の高い交通の要所となっています。

 そんな高井戸インターは、首都高側は上下線でしっかり出入口が設置されているのに、中央道の八王子・甲府方面へ向かう下り線の入り口が、中央道全線開通から2022年で40周年を迎える現在でも、いまだに設置されていないのです。

 ちなみに、他の首都圏が起点となる主要高速道路の起点となるインターは、しっかり上下線の出入口が設置されております。

 川口ジャンクションが起点となる東北道も、最初のインターである埼玉県の浦和インターには上下線に出入口が設置させています。

あったら絶対便利なのに?

 高井戸インターに下り線の入口がないことにより、首都高の永福ランプ(杉並区永福)か中央道の次のインターとなる調布インター(調布市富士見町)まで一般道を走行しなければなりません。

 しかも、こちらの地域は甲州街道や環八通りをはじめとした交通量が多い地域のため、曜日や時間帯によっては高速道路の乗り口までいくのにも一苦労します。

 そんな、利用する側からするとちょっと不便な高井戸インターですが、下り線の入り口が設置されないことには実は理由があるのです。

 果たしてどんな理由なのか、それは中央道が開通する前の計画の段階までさかのぼることになります。

さかのぼること55年前

 高井戸インターに下り線の入り口が設置されないのは、近隣の烏山北住宅(世田谷区北烏山)との兼ね合いが大きく関係しています。

 烏山北住宅は、世田谷区に位置する住民団地で1966(昭和41)年に入居を開始します。この時点で、中央道が烏山北住宅の真ん中を通ることは計画で決まっていたのですが、なんと入居した住民には全く知らされておりませんでした。

 これに驚いた烏山北住宅の住民たちは、1970年7月に中央道の建設反対運動を起こします。これにより、中央道の建設が3年4か月にわたり中断せざるを得なくなります。

 騒音と排気ガスの対策として烏山シェルターと呼ばれるトンネルを設置することにより、どうにか問題解決を図ろうとします。中央道の高井戸インターの周辺に、山間部ではないのにトンネルがあるのには、そういった理由があるのです。

 さらに、烏山北住宅の問題と並行して高井戸インターの位置や構造を変更する案も浮上しますが、そうしたらそうしたで、また新たな問題が発生してしまいます。

上り線の出口のみ開通

 高井戸インターの位置や構造を変更する案が出されますが、移動先の近隣住民から建設反対運動が起きるなど、とにかく問題が山積みで建設工事が一向に進まない状況となってしまいます。

近隣住民との話し合いで建設が決まった烏山シェルター(画像:のっぴー)



 そんな膠着(こうちゃく)した事態に、なんと高井戸インターの隣の調布インターのある調布市がしびれを切らします。

 中央道の高井戸インターまでの開通が遅れている影響で、暫定的に起点と終点を担っている調布インター周辺の交通状況や環境が極めて悪化していたのです。

 これ以上悪化させるわけにはいかないと考えた調布市議会は、1973(昭和48)年8月に当時の調布市長と市議会議長が先頭となり、調布インターを封鎖するという、とんでもない政策に出ます。

 これにより、とにかく中央道を早く開通させなければいけなくなったのですが、烏山北住宅への騒音と排気ガスの対策として設置予定となった烏山シェルターの効果が十分とは想定されず、1975年に杉並区の富士見小学校などの近隣施設から、さらなる対策の要求が出されます。

 結局、烏山シェルターの対策強化や富士見小学校の校舎騒音対策を強化することで合意することで建設工事を進めて、ようやく1976年5月に調布インター―高井戸インター間が開通します。

 しかしこの段階では、中央道側の高井戸インター出入口は設置されていない状況にありました。まだ、インター設置場所の許可がなかなか取れなかったのです。

 上り線の出口だけは、中央道全線開通から4年後の1986年に開通しますが、下り線の入り口はいまだに近隣住民との合意形成が図られず、設置されていないのです。

高速という利便性の裏で

 中央道の高井戸インターの下り線の入り口が設置されていない理由は、こうした近隣住民との歴史的背景が大きく関わっているのでした。

いろいろな問題をへて、上り線の出口のみ設置される(画像:のっぴー)



 近隣に住んでいない人々からすると「早く設置してほしい」というのが本音かもしれませんが、近隣の住民からすれば普段の生活環境が高速道路によって悪くなっていくのは、たしかに黙って見過ごせるものではないかもしれません。

 高井戸インターに限らず、このような近隣住民との兼ね合いにより高速道路の建設がなかなか進まない地域や区間というのは、実はあります。

 たとえば、外環道の大泉インターと東名接続部分の間も、近隣住民との協議により地下への道路建設や排気口を高所部分に設置するなどの対策が検討されていますが、いまだに解決がされず、建設工事も滞っているのが現状です。

 高速道路が開通すると便利で快適なのはたしかですが、近隣住民の理解があったうえで、こうして高速道路を利用できているのも事実。そのことを意識しながら高速道路を走行するだけでも、高速道路のありがたみが変わってきます。

 高井戸インターの下り線入り口の設置も、まだ見通しは立ちませんが、その背景も十分に知ったうえで、いつかできることを気長に待つことにしましょう。

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