全長なんと800m! 品川区・武蔵小山商店街が「東京一のアーケード」になれたワケ

  • 武蔵小山駅
全長なんと800m! 品川区・武蔵小山商店街が「東京一のアーケード」になれたワケ

\ この記事を書いた人 /

近藤とものプロフィール画像

近藤とも

ライター、都市生活史研究者

ライターページへ

品川区にある武蔵小山商店街は、全長約800mの東京で最も長いアーケード商店街として知られています。なぜここまで大きくなったのでしょうか。ライターの近藤ともさんが歴史をたどります。

近代が生み出した商業の集積地帯

 大正時代以降、東京で新しい住宅地の開発が進むなか、近代的な文化生活を望むようになった人々は郊外へと居住地を移しました。

 郊外の住宅地の発展は、周辺部の日常必需品の販売者への需要を喚起し、商店街など商業の集積地帯を各地にもたらします。

 そんななか鉄道駅の周辺にも小売店が集積、商店街が形成されます。この例として、今回は「東洋一」と呼ばれた品川区の武蔵小山の商店街を取り上げ、考察します。

鉄道の発達と郊外居住者の増加

 近代、特に大正時代から昭和の初期までは、東京に生活する人々の消費生活は百貨店の増加などで多様化していきました。一方、無駄遣いをしないよう自覚を促し、よりよい家計を保持させようとする活動も広がっていました。

品川区小山にある武蔵小山商店街(画像:(C)Google)



 当時の婦人雑誌に掲載された家計や消費に関する記事や付録の家計簿などを見ると、現代のわたしたちと変わらぬ倹約・貯金といった意識があったことがわかります。

 当時、郊外に居を構えて都心に通勤するサラリーマン世帯は近代的な存在でしたが、けして裕福ではありませんでした。そのため、都心の百貨店が発展しても日常的にそこで買い物をするわけにはいきません。そうしたところも現代と同じです。

 彼らの買い物はいわゆる「御用聞き」によるもののほか、もっぱら地元の小売店や市場で行うものでした。だからこそ、郊外住宅地の発展とともに地回りの商店街が著しく発達したのです。

住宅地が商店街を発展させた

 住宅地の発展とともに進化する商店街――なかでも目を引くのは品川区の武蔵小山商店街です。

 武蔵小山は荏原郡荏原町(のち荏原区小山町)の中央部に位置し、従来農村地帯でしたが、1923(大正12)年の目黒蒲田電鉄(渋沢栄一が設立した田園都市株式会社の鉄道部門)の敷設と、関東大震災後の人口移動により発展。それに呼応して商店の数も増加しました。郊外居住者の生活基盤となる、典型的な郊外型商店街だといえるでしょう。

1919(大正8)年発行の地図(左)と、目黒蒲田電鉄敷設後の1931(昭和6)年発行の地図。街が発展している(画像:国土地理院、時系列地形図閲覧ソフト「今昔マップ3」〔(C)谷 謙二〕)

 商圏としての武蔵小山の発達は著しく、商店街に出店した有名チェーン店の売り上げも武蔵小山店は上位にあったことがわかっています。

 また、さらに商店街の名を挙げようと商店どうしが組合を結成するなどの動きがありました。しかし、一部が満州に移住することとなり、1943(昭和18)年には組合を解散。1945年には空襲を受けて商店街の全域がほぼ焼けてしまうなどの苦難がありました。

 しかし戦後、武蔵小山商店街を背負う人々は立ち上がり、再建に向けて出発します。

戦後は東洋一、そしてさらに国際化!?

 戦後、武蔵小山商店街が目指したのは、雨にぬれずに買い物ができるアーケードの設置でした。

 1956(昭和31)年に完成したアーケード(第1アーケード)により、武蔵小山は「日本初」の大型アーケード街と呼ばれました。当時は全長470mで「東洋一のアーケード」といわれ、その後も延長拡大。

 1981年までに125m延長し、現在では武蔵小山駅から中原街道まで全長約800mという距離の東京で最も長いアーケード商店街となりました。

 250を超える店舗がこれだけの長さに入っているとあって、日々の買い物をする人はもちろん、観光がてらぶらぶらしに来る人も多く、いつもにぎわいを見せています。また、テレビ番組等のロケでもよく使われています(現在は新型コロナウイルスの感染拡大防止の観点から、ロケや視察の受付は問い合わせも含めて停止中)。

 武蔵小山商店街は現在、

・武蔵小山商店街パルム
・武蔵小山パルム商店街

と呼ばれています。

武蔵小山商店街のウェブサイト(画像:武蔵小山商店街振興組合)



 さて「パルム(palm)」とは何でしょうか? パルムの「パル」は「友達(pal)」、パルムの「ム」は武蔵小山の頭文字による造語とのこと。「素敵な友達と遭(あ)える街」「ふれあいの街」の意味がこめられているそうです。

 ちなみに「pal」はイタリア語。武蔵小山商店街は1988(昭和63)年にイタリア・ミラノ市にあるふたつの商店街と友好提携調印を結んでいます。実は国際的な商店街でもあるのです。

 また1993(平成5)年4月、パルムポイントサービスがスタートしたことを記念して誕生したのが、「パム&パル」というキャラクター。愛称は公募で決まりました。パルムのシンボルとしてチラシやポスターのほか、イベント時にはぬいぐるみで登場するそうです。

武蔵小山商店街の意外なシンボル

 パルム会館(武蔵小山商店街振興組合の商店街事務局)の入り口には「黄金だけ」というタケノコの形のオブジェが設置されています。

タケノコのイメージ(画像:写真AC)

 実は、住宅地になる前の武蔵小山はタケノコの名産地として知られていました。毎年秋には地元出身のシェフが「たけのこ汁」をふるまうイベント(ムサコたけのこ祭り)も。

 竹はすくすく育ちどんどん繁殖することから、縁起物としてありがたいもの。そこで、武蔵小山とのゆかりが深く、縁起物であるタケノコをシンボル化して設置しているというわけです。

商店街の今後とは

 なかば観光地化し、自動車で訪れる人にも駐車場を作って対応するなど努力を続けてきた武蔵小山。しかし、近隣のタワーマンション化や個人商店の不人気などもあり、全体的に売り上げが減ってきているといいます。

 また、人気商店街となった弊害で賃料が高く、店舗が空いても新規入店しづらいという現実があります。また、駅前は再開発が進み、2010(平成22)年には駅ビルが完成。街の様相も変わってきています。

品川区小山にある武蔵小山商店街(画像:(C)Google)



 それでもこれだけのアーケードを誇り、全国に名が知られた商店街は珍しい存在です。現在はコロナ禍で食べ歩きはできませんが、800mを端から端まで歩けば、さまざまな発見があり、なにか心にのこるはずです。

 タケノコの里から住宅地へ、そして商店街の街へ――各地の商店街が苦難の波にあえいでいる時代にあって、武蔵小山商店街も例外ではありません。しかし、そのやさしくも威風堂々としたアーケードには、いまも毎日、歴史が積み重なっているのです。

関連記事