東京の銭湯経営者に「北陸出身が多い」説は本当か?

東京の銭湯には北陸出身者が多いとよく言われますが、本当でしょうか。20世紀研究家の星野正子さんが資料を基に解説します。


「石川県出身の銭湯経営者は大阪で六割」

 東京の銭湯には北陸(新潟県・富山県・石川県)出身者が多いという説があります。同様の説は京阪神であります。

 早速調べてみると、『北國新聞』2002年10月8日付に掲載された全国公衆浴場業生活衛生同業組合連合会(千代田区東神田)の大会が金沢市で開催されたことを報じる記事では、『「父祖の地」で全国大会』として

「石川県出身の銭湯経営者は大阪で六割、京都で八割を占め、関東でも新潟に次いで石川や富山、福井の出身者が多い」

としています。

 北陸新幹線開業を控えた2012年には、富山市が観光PRの一環として、都内各地の銭湯のペンキ絵に立山連峰や路面電車「富山ライトレール」を描いています。このような一風変わったPRが行われたのは、東京の銭湯関係者に北陸出身者が多いから。

 この観光PRを報じた『東京新聞』2012年9月21日付の記事では、この年にペンキ絵が描かれた

・菊水湯(文京区本郷)
・世界湯(中央区日本橋)
・第二日の出湯(大田区西蒲田)
・燕湯(台東区上野)
・松の湯(墨田区東向島)

は、いずれも店主やその親が富山市などの北陸出身であるとし、東京都公衆浴場業生活衛生同業組合の説として

「富山、石川両県出身者の創業者や店主が多いのは、農家の次男や三男が都会に出て下積みを重ね、独立して自分の店を持ったことが理由といわれるという。雪の多い厳しい自然環境で培った粘り強さも関係しているとみている」

としています。

詳細を知るべく図書館へ

 これは納得のいく理由ですが、もっと詳しいことが知りたくなります。

昭和レトロな銭湯のイメージ(画像:写真AC)



 そう考えて、図書館で資料を探していたところ、國學院大学研究開発推進センター渋谷学研究会が編集するブックレット『渋谷学』を見つけました。

 渋谷学というのは、國學院大学(渋谷区東)が2002(平成14)年に創立120周年を迎えたことを契機に記念事業として展開しているもので、渋谷の街をさまざまな学問を使って研究しています。

 渋谷の文化や歴史など、研究者がそれぞれの専門を駆使してアプローチしているわけですが、古い歴史を知る人たちへの聞き取りも多くおこなわれており、実に興味深い研究事業です。

國學院大学の研究結果

 これらの成果を収めたブックレット『渋谷学01』(2019年)と『渋谷学02』(2020年)の中に、近現代史研究者の吉田律人さんによる調査報告が掲載されています。

『渋谷学』(画像:弘文堂)



 このうち『渋谷学01』に掲載された「銭湯と渋谷 都市移住者の視点から」を読んでみると、

「東京の銭湯経営者は北陸出身者が多く、そのなかでも新潟県人が半分以上を占める」

と記されていました。

 しかし先の新聞記事では富山、石川両県とあったり、石川県を「父祖の地」といったりしていたはずですが……。結局、北陸三県のうち、どの県がメインなのかはよくわかりません。食べ物の分野では「元祖」「発祥」を名乗っているものの、証拠が乏しい事例は多々あります。そういったこともあり、自称「うちが発祥」は疑ったほうが賢明です。

 しかし『渋谷学』は大学の研究報告ですから、資料をもとに記しています。吉田さんの研究によれば1929(昭和4)年に現在の渋谷区のエリアにあった102軒の銭湯のうち、少なくとも7軒が新潟県人の経営する銭湯であったとしています。

 その上で、吉田さんは新潟県のどの地域の出身かにも着目。信濃川下流域の西蒲原郡(現・新潟市西蒲区、燕市)の出身者が圧倒的に多いことを明らかにした上で

「水田単作地帯である同地域では、農家の次男以下は郷里を離れる傾向にあり、上京した者の多くが血縁・地縁を頼って銭湯業界に身を投じていった」

としています。

銭湯業界の構造

 講演録である『渋谷学02』で、吉田さんは銭湯業界の構造についても指摘します。

 現在の銭湯は、重労働とはいえ機械化が進展。対してかつての銭湯は多人数でなければ成り立たない業種で、この業界で身を立てようとする人は見習い小僧から始めて、つてのある銭湯に入り、

仲 → 三助 → 番頭 → 独立

と出世していくか、請負業者の下に入って銭湯を渡り歩きながら出世していくかの二通りだったとしています。

昭和レトロな銭湯のイメージ(画像:写真AC)

 後者は、労働力を派遣する部屋制度も昭和まで存在していました。部屋制度では伝統的な親分子分の関係性が築かれるため、出身地が同じなど、似たような属性を持つ人で固まることは多々見られ、その結果、北陸出身者が多く参入した銭湯業界では、さらに北陸出身者が増えていったと考えられます。

100年以上前のルポでわかったこと

 講演中で吉田さんは『人生探訪変装記 戦慄す可き人生暗黒面の暴露』(互盟社、1914年)という本を紹介しています。

 その内容は、作者の知久泰盛なる人物がさまざまな業界に潜入した記録で、「足尾銅山の坑夫となる記」「病娼婦を連れだすの記」「魔窟征伐郡の為に間諜となる記」など、おどろおどろしいタイトルが並んでいます。

 フリーライターであれば一度はやる、「自らの正体を隠してしばらく働いてみる」系の体験記です。

 この中に「湯屋の三助となる記」という章があります。ここでも

「八分通りは越前、越中、越後、能登」
「この四カ国以外の者を場違い」

だと記しています。

 これらの資料から、銭湯出身者は明らかに北陸三県出身者が多く、中でも新潟県が多いということは確かなようです。

昭和レトロな銭湯のイメージ(画像:写真AC)



 銭湯に限らず、地縁・血縁が重視された時代には特定の業種が特定の地域の出身者によって占められていた事例は多々あるようです。

 例えば、渋谷円山町のホテル街はダム保証金を得て離村した奥飛騨出身者によって始まったという話もあります。筆者はこのような歴史から、東京を陰で支えてきた地方出身者のほとばしるような生命力を感じます。


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