インスタ映え間違いなし? 「君の名は。」聖地すぐそばに「見晴らしの良い坂」があった【連載】拝啓、坂の上から(6)

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インスタ映え間違いなし? 「君の名は。」聖地すぐそばに「見晴らしの良い坂」があった【連載】拝啓、坂の上から(6)

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立花加久

フリーライター

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ビルばかりの東京都内にも見晴らしの良い坂がひっそりあるのをご存じでしょうか。今回は新宿区と大田区のふたつの坂について、フリーライターの立花加久さんが解説します。

良い坂の条件は「高低差」「道幅」

 新型コロナ感染予防のため、手洗いやうがい、マスクの着用、「3密」を避けることはすっかり常識となりました。そんななかオススメなのが、開放感を満喫できる「見晴らしの良い坂」です。

 ここでいう見晴らしの良い坂とは、いったいどんな坂でしょうか。

 まず大切なのは、ある程度の「高低差」「道幅」です。それから、坂自体が途中で曲がらずに真っすぐ坂下まで伸びきり、坂上から坂全体が見通せること。眺望をさえぎる高いビルや建物が周辺になければさらによく、加えて空がドームのように大きく広がっていれば完璧です。

 そんな坂の上に立って坂全体を眺めていると、大地がまるでうねっているかのような躍動感を味わえますし、パノラマをのぞいているような、なんともいえない錯覚も覚えます。また、もし明治時代ならこの景色はどうだったのか、はたまた江戸時代なら……と想像するのも楽しめます。

 高層ビルが林立する都心ではそのような条件に合った坂に巡り会うのはなかなか難しいですが、それでも高台に建つ神社仏閣を訪ねると、眺望の良い坂にふと出くわすことがあります。

 そんな代表的な坂のひとつに東福院坂(新宿区若葉)があります。

東福院坂の坂上から望むその先には「須賀神社」の男坂がある(画像:立花加久)



 場所は都心の四谷3丁目かいわい。街を東西に走る新宿通りから南に真っすぐ下る坂で、名前の由来は坂の途中にある阿祥山東福院にちなんでいます。なお阿祥山東福院は、弘法大師ゆかりの寺院で構成する御府内八十八箇所(ごふないはちじゅうはちかしょ)の、21番目の霊場でもあります。

人気アニメ映画の聖地も近く

 東福院坂の特徴は、坂上から坂下まで直線的に伸びきったその先が、そのまま四谷の総鎮守である須賀神社(新宿区須賀町)の男坂に行き着くという、大げさに言えば仏界から神界につながる「聖なる道」なのです。

 その形状はいったん下ってまた上がるという、都心では珍しいダイナミックな起伏に富んだすり鉢地形で、まさに「インスタ映え」する眺望です。

 ちなみにこの男坂、ご存じの人もいるかと思いますが、あの人気アニメ映画「君の名は。」の感動のラストシーンに登場した石段坂で、アニメの聖地として世界的にも知られています。

アニメ映画「君の名は。」のラストシーンに登場する「須賀神社」の男坂からの眺めも格別(画像:立花加久)



 なお「須賀神社」のご祭神は、宇迦能御魂命(うかのみたまのみこと)、いわゆるお稲荷さまと須佐之男命(すさのおのみこと)の二柱になります。

 須佐之男命といえば日本神話、八岐大蛇(やまたのおろち)退治の伝説に登場する勇ましい神様。その知恵と勇気から、除災招福(災いをはらい福を招く)のご神徳があるといわれています。お参りの際はぜひともコロナ退治を祈願したいところです。

 さて同社の始まりは1634(寛永11)年に赤坂一ツ木村にあった稲荷神社を、江戸城の外堀普請(ふしん。土木・建築工事)のため当地に遷座(神体などをよそへ移すこと)。続いて1637年、神田明神摂社に祭られていた須佐之男命とインドの神様である牛頭(ごず)天王が習合され、そのまま合祀(ごうし)されたことによります。

 これにより、江戸時代から1868年(明治元)年までの神仏分離まで「稲荷天王」「四谷牛頭天王社」と呼ばれていたため、この周辺のことをかつては「天王横丁」、そして坂も「天王坂」と呼ばれていたといいます。

 坂の周辺には江戸時代の盲目の国学者である、塙保己一(はなわ ほきいち)の墓がある愛染院(若葉)や、四谷怪談で有名な四谷於岩稲荷田宮神社(左門町)など、多くの寺社が立ち並び歴史散歩も楽しめます。

池上本門寺近くにも美しい坂が

 さて続いて紹介するのは、池上本門寺の近くにある汐見坂(大田区中央)です。

坂の多い池上周辺でもひと際真っすぐな汐見坂(画像:立花加久)



 池上本門寺といえばあの日蓮(にちれん)宗の開祖・日蓮が、1282(弘安5)年に61歳で入滅(臨終)した場所であり、江戸時代には幕府の保護のもと大伽藍(がらん)を形成。広く江戸庶民の信仰を集めた聖地であります。その東側から大森方面に下る汐見坂も真っすぐに坂下まで伸びる見事な直線坂です。

 池上の山を背後に抱いた静かな住宅街を抜け、坂上に出ると目の前には足元から真っすぐにはるか先まで坂が伸びています。街がまるでモーゼの海割りのごとく左右に割れて現れる様は、まさに坂鑑賞の醍醐味(だいごみ)ともいえるものです。

 昭和の初めまで、この坂は畑に囲まれた現在よりも道幅の狭い赤土の道だったといいます。空の青と大地の赤、そして遠くに望む海の群青が織りなす眺望は絵画のような絶景だったことでしょう。

 江戸時代から埋め立てが行われていた江戸湾。この坂から1962(昭和37)年ごろまで眺めることができた大森の海は、わが国における“ノリ養殖発祥の地”として知られており、アサクサノリの一大生産地でした。

 当時この坂上からはその養殖用の竹や木の枝を束ねた「海苔(のり)ひび」という養殖用のさおが何本も浅瀬に立ち上がった、独特な景観を望めることができたといいます。

 いまはそんな海岸線も消え、坂上からははるかに高層ビルが立ち並ぶ新しい風景を望む坂となっています。坂の名前だけが往時をしのぶ、よすがとなっているのでした。

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