今なお現役、銀座「泰明小学校」 美しき曲線とアーチに込められた「革新と自由」への想い
2019年10月16日
お出かけ銀座を歩いていると、周囲の街並みに似つかわしくないデザインの学校があります。その名は泰明小学校。そんな同校の歴史について、都市探検家・軍艦島伝道師の黒沢永紀さんが解説します。
復興小学校とは何か?
銀座といえば、その名は海外でも知られる国内有数の繁華街。全国に数多くの「◯◯銀座」があるほど、商業地として名の通った場所であることは言うまでもありません。
その銀座のほぼ真ん中に、創立140年を越える伝統の小学校が今でも現役で開校しています。そう、2018年の春にアルマーニの制服で話題となった「泰明小学校」(銀座5)です。
現在の校舎は1929(昭和4)年築の復興小学校。今回は、戦禍も「3.11」も乗り越えた時代の生き証人、泰明小学校の校舎を中心にした話です。

1923(大正12)年9月2日(日)の正午前。関東一円を襲った未曾有の大地震「関東大震災」によって、首都圏は壊滅的な打撃を受けました。東京の被災面積は当時の40%強。罹災者170万人も同様に、当時の東京の人口の4割強に達します。
一日も早い復興を目指して始動したのが「帝都復興計画」。土地の区画整理から道路や橋梁、上下水道や電気・ガスといったあらゆるインフラ、鉄筋や木造による居住設備、食堂や職安などの厚生福祉施設など、ほぼ都市機能のすべてが復興の対象となりました。
中でも小学校の復興は注力されたひとつで、実に117もの小学校が、東京の下町を中心にした焼失区域の全域にわたって、1925(大正14)年から1931(昭和6)年にかけて建設されました。
鉄筋コンクリートのビルは、すでに明治の晩年から建設され、鉄筋の学校も大正期にいくつか建設されてはいました。しかし、鉄筋コンクリート造の建物が一気に普及するのは、この復興事業の時です。
復興事業によって造られた鉄筋コンクリート造の最大の特徴は、関東大震災と同様の震度7の地震がきても耐えうる構造。既に多くの復興小学校は解体ないし建て替えられていますが、今もなお当時の校舎を使用する現役の学校がいくつもあるのは、復興小学校がいかに強固に造られたものだったかの証でもあります。
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