神社に「三越のライオン」が!――向島の神社が「三越の神様」になったワケ

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神社に「三越のライオン」が!――向島の神社が「三越の神様」になったワケ

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若杉優貴

都市商業研究所

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年末年始は百貨店に出かけるという方も多いのではないでしょうか。せっかく屋上庭園で休憩するついでに神社で初詣をするならば、御朱印がいただける場所へも行ってみませんか? 今回は三越の屋上神社の御朱印がいただけるスポットについて、都市商業研究所の若杉優貴さんがご紹介します。

店舗では頂けない「三越の屋上神社の御朱印」

 多くの百貨店の屋上には「屋上神社」が設置されており、買い物客が参拝できるところも少なくありません。お正月には福袋を買ったついでに屋上庭園で休憩して神社で初詣をする、という人もいることでしょう。

 首都圏にも屋上神社は数多くあれども、その一方で2022年時点では首都圏の屋上神社で御朱印を頂けるところは存在していません。

 しかし、実は「三越の屋上神社の御朱印が頂ける神社が都内にある」ということをご存知でしょうか。果たして、その神社が「三越の神様」になった理由とは――。

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日本橋三越本店。屋上庭園には「三囲神社」が鎮座しています。(画像:若杉優貴)



実は「ほとんどの三越に同じ神社が鎮座」している!

 まずは「三越の屋上神社」へと行ってみましょう。

 今回訪問したのは銀座の顔ともいうべき老舗「銀座三越」。1930年に開業したこの店舗の屋上にも神社が鎮座しています。

 銀座三越の神社があるのは、新館9階の屋上庭園「ガーデンテラス」。レストラン街から外に出るドアを開けると開放的な芝生広場が広がります。

 屋上神社があるのはあづま通り側。社殿は小さいながらも、社務所も設けられています。案内板によると、この神社の社号は「三囲神社」(みめぐり神社)。稲荷神社の祭神である宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)を祀ったもので、三井家の守護神として三越本支店の屋上に鎮座しているとのこと。

 実は銀座三越以外でも、日本橋三越本店をはじめとした国内の三越では、多くの店舗の屋上に「三囲神社」を見ることができます。(名古屋栄三越、松山三越など別祭神を祀ったものもあり)

銀座三越の屋上にある「三囲神社」(奥)と「銀座出世地蔵尊」。(画像:若杉優貴)

 社務所で伺ったところ、おみくじ等を頂くことはできますがやはり「神社の御朱印は用意されていない」とのこと。そう、御朱印が頂けるのはこの「三囲神社」の御本社なのです。

 なお、銀座三越の三囲神社の横には、明治のはじめ(幕末説もあり)に三十間堀(銀座通りと昭和通りのあいだ)から掘り出された(=出世した)といわれる「銀座出世地蔵尊」が祀られています。訪問の際には、ぜひこちらもお参りを。

向島の神社に現れた「三越のライオン」

 それでは三囲神社の御本社へと足を運びましょう。

 三囲神社が鎮座するのは、言問橋近くの墨田区向島。銀座三越や日本橋三越本店から向かうのならば、東京メトロ銀座線で終点の浅草駅まで行き、歩いて約15分ほどで到着します。

 2020年には、東武浅草駅近くから東武鉄道の鉄橋横を歩いて渡ることができる「すみだリバーウォーク」が整備され、また向島エリアの高架下には複合商業施設「東京ミズマチⓇ」も開業。スカイツリーを眺めながらグルメを楽しむこともできるようになりました。

東武伊勢崎線・スカイツリーライン高架下に開業した「東京ミズマチⓇ」。 三囲神社から歩いて10分ほど。(画像:若杉優貴)

 三囲神社が鎮座するのは東京ミズマチから北に歩いた隅田川沿い近く。見番通り沿いに進むと「三『圍』神社」と書かれた大きな社号碑が目に入ります。

三囲神社の社号碑と一の鳥居。(画像:若杉優貴)

 境内に入ると存在感を持って迎えてくれるのが、あの「三越のライオン像」です。

 日本橋三越本店のライオン像は三越の「デパートメント宣言」(百貨店化)を行ったことでも知られる日比翁助(設置当時は三越取締役会長)が発案し、1914年に設置されたもの。その後、全国各地の店舗へと広がりました。今や各地の三越前で「待ち合わせスポット」としてもおなじみのライオン像ですが、これほどゆっくりと見れる場所は少ないかも知れません。

 三囲神社のライオン像は2009年に三越が奉納したもので、それまでは三越池袋店(現:ヤマダデンキ)に設置されていました。

三囲神社の境内。狛犬様や狛狐様とともにあのライオン像が! 社殿は江戸時代からのもの。(画像:若杉優貴)

 前述したとおり、三囲神社の祭神は稲荷神として知られる宇迦御魂之命であるため、拝殿の前には1802年に奉納された古い狛狐の姿もあります。この狛狐の台座には「向店(むかいだな)」と書かれていますが、これは三越の前身・三井越後屋日本橋本店の向かいにあった別館のことで、この神社が江戸時代から三越と強い結びつきを持っていたことが伺えます。

 拝殿と本殿は1862年に建てられたもの。空襲が激しかった墨田区では珍しい江戸時代からの建物が今も使われています。

ライオン像を間近でじっくりと眺めてみては。(画像:若杉優貴)

 お参り後の御朱印は、境内右側の社務所で(書き置きのみの場合あり)。

 境内にはかつて三井家にあったという三角石鳥居などが移設されているほか、三井家の先祖を祭る祖霊社「顕名神社」も設けられるなど、さまざまな場所に三井越後屋・三越、三井家や三井グループが奉納したものが見受けられます。散策して探してみましょう。

三越マークの礎石。かつて茶の湯を沸かすための銅壺が載せられていたそう。(画像:若杉優貴)

単なる語呂合わせだけじゃない?キッカケは「水の神様」として有名になったこと

 それでは、なぜ三囲神社が三越の、そして三井家・三井グループの守り神となったのでしょうか。三井グループ「三井広報委員会」と三囲神社境内の由緒書などによると、いくつかの理由があるといいます。

1.社号が「三井を囲む」に通じる

 誰もが思い付く理由として挙げられるのが「社号『三囲』と『三井』が似ているから」ということ。三井家は「三囲は三井に通じ、三井を守る」ものとして、江戸時代から三囲神社を崇拝してきました。

 三囲神社の創建は平安時代(諸説あり)と伝えられますが、当初は「田中稲荷」と呼ばれていたそうで、「三囲神社」という社号の起源は南北朝時代。「近江国(現:滋賀県)の僧侶・源慶が社殿の再建を行おうとしたときに見つけた老翁の神像のまわりを白狐が三度めぐって去った」という伝説にちなみ、社号を「みめぐり」に改めたといわれています。

 源慶はもともと三井寺(現在の大津市にある三井寺)の僧侶であったため、当初から「三囲」は「三井」に通じるものだったのかも知れません。

三囲神社の祭神は稲荷神こと宇迦御魂之命。 境内にあるひょうきんな表情をした狛狐は1802年に三井越後屋が奉納したもの。(画像:若杉優貴)

2.日本橋から見て北東の「鬼門」にあたる

 三囲神社が三井家の守り神となった理由は、単に「名前が三井に似ているから」ということだけではありません。

 三囲神社が鎮座する向島は、越後屋や三井両替店など三井家の拠点があった日本橋から北東の鬼門に当たる場所。当時は江戸城でも鬼門と裏鬼門に神田明神と日枝神社を鎮座させたように、「鬼門封じ」は重要なものとされてされていました。

 しかし、日本橋から見て鬼門に当たる立地の神社ならば他にもあるはず。ここが「三越の守り神」となった理由はもう1つあるのです。

3.当時「水の神様」として話題の神社だった

 最後に挙げられる理由は、当時の江戸で三囲神社が「話題の神社」だったということです。

 1693年6月、日本は梅雨時期でありながら雨があまり降らず、厳しい旱魃(かんばつ)に襲われます。その際、偶然雨乞いの神事に遭遇した俳人の宝井其角(松尾芭蕉の弟子)が三囲神社の神前で「遊ふた地や 田を見めぐりの 神ならば」(遊ふた地=遊ふ田地・夕立、みめぐり=三囲神社・田畑を見巡る・水を恵むという意味の掛け言葉)と一句詠んだところ、その翌日大雨に。この話は旱魃に苦しんでいた江戸市中を駆け巡り、「三囲神社」は「水を恵む神」にも通じるとして、知名度が大きく増すことになったといいます。

 伊勢商人だった三井高利が日本橋の本町(現在の日本銀行近く)に呉服店「越後屋」を開いたのは1673年のことですが、最初の店舗は1682年に大火に巻き込まれ焼失。日本橋駿河町(現在も「三井本館」「日本橋三越本店」などがある場所)に移転し、両替業を開始するなど事業の拡大を図ることで再生を図ったという経緯があります。

 江戸市中の流行に敏感な呉服商であり、しかも大火からの再生を果たした越後屋だけに、「水の神様」のウワサは「三囲」という社号も相まって三井家の心をガッチリつかむこととなったのではないでしょうか。

三囲神社の社殿は江戸時代から残る貴重なもの。 関東大震災や東京大空襲でも焼け残ったのは「水の神様」ゆえのことかも知れません。(画像:若杉優貴)

 まもなく2023年。もしお正月に浅草やスカイツリータウンを訪れたならば、少し足を延ばして向島の「百獣の王」と「水の神様」に願いを込めてみてはいかがでしょうか。

参考:
墨田区観光協会「三囲神社」
三井広報委員会「三井のスポット 三囲神社」

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