アナログレコードがCD真っ盛りの「90年代」に消滅しなかったワケ
音楽配信サービスが日々加速するなか、その対極とも言える音楽レコードにも注目が集まっています。その歴史について、20世紀研究家の星野正子さんが解説します。大きすぎた昔のステレオセット レコードは、スマートフォンひとつあれば何万曲も簡単に聴ける時代にあって、その人気が衰えていません。過去の技術でありながら愛好者が多い趣味として、フィルムカメラと双璧をなしていると言えるかもしれません。 レコードプレーヤー(画像:写真AC) そんなレコードも存続の危機を迎えた時期がありました。 言うまでもなく、レコードを聴くにはレコードプレーヤーが必要です。しかしかつての東京でレコードプレーヤーは、 「魅力はあるが、生活を犠牲にしなくてはならないもの」 でした。40歳以上の人は覚えているでしょうか。自宅に置かれた、それはそれは大きなスピーカーとステレオセットを。 レコードプレーヤー自体も大きいですが、それを聞くためのステレオセット一式がなにしろ部屋の面積をとったのです。レコードプレーヤーの下にはアンプが入り、その下にはレコードを並べるスペースのある本体部分。そして、子どもの背丈くらいの大きさがあるスピーカーがふたつ…… 東京で暮らす人は、こんな大きなものを狭いアパートの一室に、または一戸建てであればリビングに置いていたわけです。今から考えると、よくもまあ音楽を聴くためだけにあんなものを置いていたのかと思います。 加えて、東京の住宅事情では、巨大なスピーカーがあったところで、本来のスペックを楽しむことは困難です。ステレオセットのスタイルは家具調からコンポーネントステレオ(スピーカー、アンプ、プレーヤーがそれぞれ独立し単体化された形のステレオ)へと変化しても、サイズの大きさは不変でした。 CDの普及が始まり、ミニコンポを各社が販売するようになると、従来のステレオセットは次第に廃れ、レコード自体もCDに比べて「時代遅れの技術」として衰退していきました。 安価なCDラジカセの登場安価なCDラジカセの登場 CDが普及した理由はもちろん音質もありますが、スペースをとらないという点を抜きには語れません。『読売新聞』1987年1月15日付朝刊は、ミニコンポについて 「最近では、一家に2台目のオーディオセットとして、中、高校生が小遣いをためて買っていく」 と書いています。 CDだけのミニコンポなら、自分の部屋で音楽をひとりで楽しめる――この点が、大きな利点だったことは言えうまでもありません。 普及をさらに進めたのは、より安価なCDラジカセの登場でした。1987(昭和62)年頃、ミニコンポはおおむね10~20万円台だったこともあり、中高生にはなかなか買えない代物でした。 昔のCDラジカセ(画像:写真AC) ところが、1986年に各社がラインアップを増やしたCDラジカセは当初10万円台だったものの、競争が行われるなか、1987年に入ると5万円台の製品も目立つようになりました。 ミニコンポとCDラジカセの普及で、レコードプレーヤーは時代遅れと見なされるようになっていきます。発売される音楽ソフトも1990年頃には9割がCDとなりました。 1992(平成4)年には、ソニーがMD(ミニディスク)の発売を開始。テープレコーダーもMDに置き換わると言えわれるなか、レコードも過去の遺産となると考えられていました。 1990年代後半から始まったレコード復権 ところが、1990年代後半になるとレコードの復権が始まります。 『東京新聞』1997年7月23日付朝刊では「CD全盛なのに 今中古レコードが人気」として、レコードの人気が再燃していることを報じています。 記事によれば、後楽園ホールで開催された中古レコード市は高校生も行列に並ぶほどの盛況で、ビートルズのLP盤(1分間に33回3分の1回転するレコード)には10万円で売れるものもあるとしています。 文京区後楽にある後楽園ホール(画像:(C)Google) さらに記事では、高額で販売されているレコードの例として、アイドルの元祖・梅木マリのシングル盤2枚は72万円。デビュー前のビートルズがバックバンドを務めていたシングル『マイ・ボニー・ツイスト』は100万円で売れたとしています。CDに押されて低迷していたレコードプレーヤーの販売台数も 「出荷量の下がった92年の5万2000台に比べ、昨年は13万8000台と倍以上に増えた」 と、回復を見せていました。 復権の裏にDJブームあり復権の裏にDJブームあり このレコードの復権を後押ししていたのが、当時のDJブームでした。 レコードをかけるDJ(画像:写真AC) ブームのなか、DJがスクラッチをする姿をまねてみたくなった若者がレコードプレーヤーを購入し、アナログな音質に目覚めるという流れが大きかったようです。 かつてCDが流行した背景には、針音などのノイズは雑音であり不要なものだと考えられていました。ところがCD全盛になると、逆にノイズが「新しい、心地よい」ものとして歓迎されるようになったのです。 1990年代半ばはさまざまな商品で、デジタル化で利便性が高まったことに対して逆行するものが人気になるという現象が起こっていました。 例えば、カメラではオートフォーカスが当たり前になっているにもかかわらず、マニュアル式の一眼レフを求める愛好者が絶えませんでした。時計でも、クオーツではない機械式の時計をあえて求める人が増えたのはこの時期からでした。 古いものに魅力を感じる現象は今もなお続いています。先日、アーバンライフメトロの別の記事でも紹介されていましたが、1960年代のテレビを現役で使用している人が注目を集めたのもそのひとつと言えます。 何事も正確に、また、スイッチひとつで簡単に済んでしまうのではつまらない――そんな人々の思いはいつの時代も絶えないのです。
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