東新宿駅から500m 「抜弁天」周辺の大規模再開発と外苑西通りの未来【連載】東京うしろ髪ひかれ地帯(17)

東新宿駅から500mほど離れたところにある抜弁天。その近くにある放射第6号線。その歴史について、都内探検家の業平橋渉さんが解説します。

東新宿駅から東へ500m

 大江戸線東新宿駅から都道302号に沿って東へ500mほど歩くと、少しいびつな丁字路に面した抜弁天(ぬけべんてん)交差点に差し掛かります。

抜弁天の位置(画像:(C)Google)



 この辺りは歌舞伎町の怪しさが消えて住宅地に切り替わる間のエリアということもあり、両者の要素が入り混じっています。

 交差点のすぐそばには厳嶋(いつくしま)神社(新宿区余丁町)があり、通称・抜弁天と呼ばれています。抜弁天は、源義家が後三年の役(1083~1087年にかけて行なわれた戦役)で奥州に向かう途中、ここに宿営し、広島県の厳島神社に戦勝を祈願したのが始まりです。

抜弁天の由来

 通称の由来は、源義家が苦難を「切り抜けた」という言い伝えに加えて、参道が南北に「通り抜け」できるからだとされています。実際に抜弁天へ行ってみると、確かに抜けている感じがします。

確かに「抜けている感じ」のする抜弁天(画像:(C)Google)

 もうひとつ気になるのが、丁字路の下部分、南東の曙橋方面へ伸びている道路の「新しさ」です。周囲では今も再開発が行われているため、この道路が整備されてさほど時間が経っていないことが分かります。

 整備以前、周辺にはどのような風景が広がっていたのでしょうか。非常に気になります。

抜弁天~住吉町間の完成は1998年

 この道路の正式名称は「東京都市計画道路幹線街路放射第6号線(以下、放射第6号線)」で、計画が決まったのは1946(昭和21)年。空襲からの復興事業を目的に設立された戦災復興院によるものでした。

 しかし、既に市街地となっている場所の開発は容易ではありません。そのため、工事が可能になったところからとびとびで道路がつくられていきました。全通は2009(平成21)年でした。

 抜弁天交差点から放射第6号線を約1km進んだ先にある、靖国通り沿いの住吉町交差点(新宿区住吉町)までの工事が完成したのは1998年。

旧フジテレビの案内碑の場所。南に行けば住吉町交差点がある(画像:(C)Google)



 靖国通りの手前にはかつて、フジテレビ本社がありました。同社のお台場への移転が1997年3月ですから、放射第6号線は周辺の再開発が本格化する時期に開通したわけです。

2001年の地図で見られた「激変」

 早速、周辺住民に聞いてみたところ、

「昔は細い道で靖国通りと抜弁天通り(都道302号)がつながっていた」

との答えが。

 う~ん、いまいち想像がつきません。ということで、古い地図と比較してみましょう。
 新宿区東部は、江戸時代からの道がいまだに生きていることで知られます。そのため、1909(明治42)年から1993(平成5)年まで、周辺はほとんど変化がありません。ところが2001年になった途端、前述の道路が完成し、町の風景が大きく変わっています。エリア内の

・余丁町
・市谷台町

はそれまでひとつでしたが、道路によってふたつに分断されています。短期間でこれほど大きく町が変わる例を、筆者はあまり聞いたことがありません。

1993(平成5)年の地図(左)と2001年の地図。(画像:国土地理院、時系列地形図閲覧ソフト「今昔マップ3」〔(C)谷 謙二〕)

 もうひとつ注意したいのが、抜弁天の参道です(図中の赤い部分)。1993年の地図では現在よりも少し長く東南方向に伸びています。前述の通り、現在はショートカット的な「抜けている感じ」ですが、放射第6号線ができる以前は、路地のような道から通りに出るといった意味で抜けていたのです。

 放射第6号線の西側は一本奥の道に入ると、現在でも路地が交差する下町的な雰囲気が残っています。以前はそんな雰囲気がもっとあったと思うと、放射第6号線の完成前に訪れておけばよかったと少し後悔します。

外苑西通りと都道302号がつながる日

 抜弁天の周辺には、さらに抜けられる道が建設される予定です。既に土地が確保されて囲いフェンスが目立つようになってきています。これは外苑西通り(環状4号線)の未完成部分です。

 外苑西通りは現在、南にある富久町で靖国通りとぶつかり道路が終わっています。周辺を移動している人は「なぜこの道路は幅広いのか」と疑問に感じていることでしょう。

外苑西通りの予定地(上)と航空写真。赤い部分が外苑西通り(環状4号線)(画像:(C)Google)



 今後、この場所から余丁町を貫いて放射第6号線と交差し、若松河田駅の少し西寄りで都道302号にぶつかる予定です。いわば、現在の抜弁天の参道を巨大にしたようなものができるのです。

 この区間で興味深いのが、放射第6号線に面した余丁町児童遊園です。ここは一見なんの変哲もない地域の公園ですが、奥側の一部が富久町児童遊園という別の名前になっています。

 その理由は、余丁町児童遊園が暫定的な公園だからです。道路用地は早く確保されたものの、住民からの要望で一時開放する形で公園としたようです。ただ、開放は1974(昭和49)年から。約50年も経ったためか、整備も随分と進んでいます。道路の建設にあたり、公園が完全消滅するのかどうか、とても気になります。

 ほかにも、抜弁天周辺は都電(13系統)廃止後に道路が拡幅されるなど、とても変化の多いエリアです。これも、新宿の繁華街に隣接したゆえの宿命でしょうか。

 10年くらいまでは、周辺を歩いていると「フジテレビがあった頃はにぎやかだった」と話す人も多かったのですが、最近ではもう見かけなくなりました。これも時代の流れなのでしょうか。

 そういえば、かつて抜弁天の近くに「志村軒」というラーメン店がありました。どう見ても狙った店名(志村けん)でしたが、一体どこに行ったのか気になります。

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