学問の神様をまつる街・文京区湯島が秘める、花街の痕跡と「おばけ横丁」【連載】東京色街探訪(10)

学問の神様・菅原道真をまつる湯島天神で知られる文京区湯島。この地はかつて、また別の側面を併せ持っていました。紀行ライターのカベルナリア吉田さんがその痕跡をたどります。

天神様の門前に……?

 東京メトロ千代田線の湯島駅で降り、地上に出るとそこは天神下交差点(文京区湯島)。

 湯島天神がある街だから、下町の風情が漂っているかと思ったら、ビルがひしめく街景色に迎えられ少し驚きます。人も車も途切れずに行き交い、喧騒(けんそう)に息切れしそうです。

 天神下交差点から「湯島白梅商店会」を進み、途中で路地に迷い込むと、喧騒も少し収まりました。路地にはトラットリア(イタリアン・レストラン)やワインバル、和風茶房などが並び、和服姿の人も歩く落ち着いた雰囲気です。そして路地の突き当たりに、急な上り階段が延びています。

 天神石坂、またの名を「男坂」。上りきったところに鳥居が立ち、くぐればその先は湯島天神です。すぐ脇に傾斜の緩やかな「女坂」もありますが、ここは頑張って男坂を上ります。

 なんと急な階段でしょう! 気を抜くと後ろに倒れて、転がり落ちそうです。それでも 1段、2段……と数えつつ慎重に上り、38段を上りきって天神様の境内へ。揚げまんじゅうの屋台が真っ先に目にとまりますが、まだ歩き始めたばかりなので、食べません。

湯島天神の鳥居(画像:カベルナリア吉田)



 湯島天神はご存じの通り学問の神様・菅原道真を祀(まつ)る神社で、合格を祈願する絵馬が大量に奉納されています。意外にこぢんまりとした社殿のほかに、屋外では都内に唯一残る瓦斯(ガス)灯があり、そして石碑がいろいろ立っています。

 迷子探しの石「奇縁氷人石(きえんひょうじんせき)」に、講談高座発祥の地の碑、中国から渡来した紙筆墨硯を表す「文房至宝」の碑。そして小説家・泉鏡花にまつわる「筆塚」も。湯島天神は鏡花の代表作『婦系図』の、ゆかりの場所だそうです。

江戸時代から栄えた盛り場

 天神様の境内を西に抜けると、春日通りに突き当たります。一帯は「切通坂」と呼ばれる急な坂道で、湯島から御徒町方面に向けて開かれた道だそうです。坂の途中には、石川啄木の歌碑が立っています。

 ――二晩おきに 夜の一時頃に 切通の坂道を上りしも 勤めなればかな――

石川啄木の歌碑(画像:カベルナリア吉田)



 啄木さんはかつて本郷三丁目交差点近くに間借りし、朝日新聞社の校正係として勤務しました。

 2晩おきに夜勤があり、帰りは終電車で上野の広小路までは行けましたが、その先の本郷三丁目行き電車はもう終わっています。湯島天神の石垣をまさぐりつつ、何を思いながら、暗い切通坂を上ったのでしょうか。

 切通坂をあとにして、天神様を背にして南へ進むと、湯島中坂上交差点に出ます。その名の通り、交差点から東に向けて、急な下り坂「中坂」が延びていますが……途中に大きな「HOTEL」の5文字。ビジネスでもシティでもリゾートでもない様子のホテル、これはもしかして……?

 そして坂の途中に中坂の説明版が。

「このあたりは江戸時代から、湯島天神の門前町として栄えた盛り場で、かつては置屋、待合などが多かった」

 置屋は芸妓の元締めで、待合は男たちが芸妓を呼んで遊ぶ場所。ということは……ここはかつての花街?

東大生も通った色街

 湯島天神は西暦458年創建といわれる古刹(こさつ)ですが、その門前で江戸時代に「富くじ」が大流行。人が集まるにつれて、男性客を目当てに女性が集まり、花街が生まれたと言われています。一時は男娼専門の「陰間茶屋」もあったとか。

 そして明治時代になると本郷に、東京大学が開校します。実は開校して少し後に、近くにあった根津遊郭を「教育に支障をきたす」という理由で洲崎(今の江東区東陽町あたり)に移転させたのですが……。

 しかし成績優秀な東大生とはいっても、そこは血気盛んな若者たち。至近距離にある湯島天神の花街は、東大の学生たちで繁盛したそうです。

中坂。途中に「HOTEL」看板(画像:カベルナリア吉田)



 せっかく東大に入ったのに、女遊びにうつつを抜かし、堕落していく者もいたとかいないとか。そんな理由から湯島天神花街は「魔窟」と呼ばれていたという話もあります。

 湯島天神花街の最盛期は、明治末期から1930(昭和5)年頃まで。昭和初期には50軒以上の置屋と、30軒以上の待合が並び、100名以上の芸妓がいたそうです。

 戦後も昭和30年頃まで、かいわいは花街の灯をともし続けましたが、時代の流れとともに置屋も待合も消えていきました。今では坂の途中にホテルが点在し、かつての色街の艶(つや)っぽい雰囲気を伝えています。

坂道だらけの街、湯島

 中坂から分かれる路地に迷い込むと、住宅に挟まれて急な階段「実盛(さねもり)坂」が延びています。

 源平の戦いの折、平家方に味方した長井斎藤別当実盛にちなむ坂だとか。実盛については出陣に際し、敵に首を取られても見苦しくないよう、白髪を黒く染めて合戦に出向いたという逸話が残っています。

 実盛坂を上り、少し歩くと三組坂上交差点に出ます。その名の通り、交差点から東へ三組坂が下り、南へ清水坂が下っています。

 まず清水坂を下ると、途中に「SHOT BAR」看板を掲げる小さな店。その先で東に分かれる坂道は「妻恋坂」。坂の途中にある妻恋神社は、日本武尊が東征の折に稲荷神社を祀ったのが起源で、多くの稲荷社の中でも特に社格が高い神社だそうです。

 しかし、そんな由緒正しい神社の正面に……ここにもホテルがあります。「こんなところにも」と呆気に取られて見上げる僕の脇を、自転車がブレーキをキイキイいわせて、坂を下りていきます。

 続いて三組坂。1616(元和2)年に徳川家康が駿府で亡くなった時、江戸に召し返された家康付きの3組の御家人が、町屋を開いた場所だから「三組」の名がついたそうです。

 そんな三組坂にもホテルが数軒、と思ったら1軒は老舗のビジネスホテル。「東京でのクラス会、お泊まり麻雀にどうぞ」のコピーが、旅情を感じさせます。

三組坂(画像:カベルナリア吉田)



 とにかく坂だらけ、坂の街・湯島。かつては坂下の不忍池あたりに海が広がり、上野の山と湯島の高台は海に突き出る岬だったそうです。

「坂の下」にある花街が多い中で、湯島は坂の上。客に坂を上って来てもらうため、置屋も芸妓たちも客を引く努力を惜しまなかったことでしょう。

 三組坂を下りきった先は大通りで、人も車もテナントビルも多く「ザ・東京の繁華街」の雰囲気です。湯島駅に戻る途中に、居酒屋やスナックが密集する迷路のような歓楽街があります。通称「おばけ横丁」と呼ばれる、このかいわいの入り口にも、大きなホテルが立っています。

 横丁の北側を春日通りが東西に横切り、さらにその北の池之端へ進むと、そこは一大ホテル街。居酒屋に挟まれて、何軒ものホテルがそびえています。

 さらにスナック、キャバクラ、ガールズバーにフィリピンなど多国籍バーも。この池之端かいわいにも、かつて花街があったそうです。ただこちらは開放的で華やいだ雰囲気で、色街特有の「後ろめたさ」は、さほど感じません。

 人目を忍ぶ逢瀬には、坂道が入り組む湯島天神の花街の方が、似合っていたような気がしました。

散策のシメは、坂道沿いのバーへ

 日が暮れました。おばけ横丁で飲もうかとも思いましたが、やはりシメの1杯は、坂が入り組む旧・花街へ。散歩の途中で見つけた「SHOT BAR」看板を目指します。

 穴蔵のような店内に、初老のマスター。ようやく東京も緊急事態宣言が解除され「やっと店を開けられました」と笑い、見知らぬ僕を迎え入れてくれました。バーボンのソーダ割りをもらい、チビチビ飲みます。

「昔、この辺は花街でしたよ」とマスターがサラッと言い、なんとなく“そっち方面”の話になります。

「この辺のホテルも、ずいぶん減りましたね」
「コロナで吉原は、どうなったかなあ」
「昔はストリップ小屋もありましたよ。今も浅草には、まだあるのかなあ」

 少々きわどいワードも交えつつ、バーボン片手に過ごす、隠れ家バーの夜。卑猥(ひわい)でも下品でもなく、大人の時間を楽しむ雰囲気に、なんだか落ち着きます。

「最近の若い人は、そういう色っぽいことも、スマホのヴァーチャルで済ませちゃうのかなあ」

 マスターはそう言って、笑っていました。

夜のおばけ横丁(画像:カベルナリア吉田)



 天神下交差点に戻ると、おばけ横丁かいわいは人が多く、大にぎわい。緊急事態も明けたことだし、もう1杯飲んでいこうかとも思いましたが――坂道沿いの、旧花街の余韻を壊したくなくて、結局そのまま帰路につきました。

【画像】文京区湯島のまち(15枚)

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