赤レンガ造りの「東京駅」 一歩間違えたら、お寺のような「渋いデザイン」になっていた!

  • 東京駅
赤レンガ造りの「東京駅」 一歩間違えたら、お寺のような「渋いデザイン」になっていた!

\ この記事を書いた人 /

猫柳蓮のプロフィール画像

猫柳蓮

フリーライター

ライターページへ

赤レンガ駅舎で知られる「東京の玄関口」、東京駅。そんな東京駅ですが、1800年代末~1900年代初頭の設計段階ではさまざまな案がありました。フリーライターの猫柳蓮さんが解説します。

設計に8年もかかった東京駅

 東京駅は東京の玄関口です。その顔ともいえる赤レンガ駅舎は、建築家・辰野金吾と彼が率いる辰野葛西建築事務所によって設計されました。なお辰野に設計が依頼されたのは1903(明治36)年で、設計が完了するまで約8年の月日が流れています。

東京駅(画像:写真AC)



 文化財となった建物の設計者として、現在はあちこちに名前を残す辰野金吾は1854(嘉永7)年、唐津藩の下級武士の家に生まれました。建築家としての人生は、1873(明治6)年の工部省工学寮(現・東京大学工学部)入学からです。

 工学寮の開校は同じく1873年のため、辰野が受験したのは、工学寮初の入学試験ということになります。しかし意外にも辰野は試験に落第。その後に追加募集試験が実施され、なんとか合格しています。

 明治初期の教育体制がどこでもそうだったように、この工学寮にも外国人教師が招かれました。その外国人教師とは、三菱一号館などを設計するジョサイア・コンドルです。コンドルの教えがマッチしたのか、辰野は工学寮を首席で卒業し、その特典としてロンドン留学などを経験、建築家としての素養を高めていきます。

日本的デザインを設計前任者

 東京駅は当初、ドイツから招いたフランツ・バルツァーが設計を行っていました。ちなみにバルツァーは高架鉄道の基本設計を行い、東京の鉄道網の基本をデザインした人としても知られています。中央本線が東京駅に乗り入れたり、総武線と山手線・京浜東北線が秋葉原で交差したりするのは、大半がバルツァーの仕事です。

唐破風(画像:精選版日本国語大辞典)

 そんな流れで、バルツァーが東京駅を設計することになりました。ところがバルツァーは日本文化のファンだったこともあり、東京駅も日本風のデザインを目指しました。具体的には、レンガ造りの建物に、和風の

・入母屋破風(いりもやはふ)
・唐破風(からはふ)

を取り入れた屋根を載せるというものでした。なお破風とは、屋根の棟の端にある三角形の部分のことです。

周辺との調和が重視されたデザイン

 当時、丸の内周辺は既に洋風の建物が並ぶエリアでしたが、バルツァーはそうした風潮に反発していました。

 バルツァーのデザインは分かりやすく言えば、お寺のような瓦屋根が付いた、実に渋いもので、周辺との調和が考慮されていませんでした。現代においても、高名な建築家が用途を考えず、使い勝手の悪いデザイン重視の公共施設をつくることがありますが、このようなことは現代に始まったものではなかったのです。

 こうして東京駅の設計はバルツァーの手を離れ、辰野が手掛けることになりました。当時、辰野は

・日本銀行本店
・中央停車場
・国会議事堂

の三つの設計を手がけたいと公言していたこともあり、自然と辰野に決まります。

 辰野の設計は3案に及びました。当初依頼されたときの予算は42万円(当時)でしたが、後に65万円に増え、最後は250万円まで引き上げられました。

コンクリート製の階段(画像:写真AC)



 こうして潤沢な予算を使って、東京駅は1914(大正3)年に完成。現在の赤レンガ駅舎となっています。実際の建築にあたり、当時最新の技術だったコンクリートを使う案もありました。しかし、赤レンガを最終的に採用したのは周辺との調和を考えた結果だとされています。

 辰野にコンクリートの知識があまりなかったためという俗説もありますが、出典は明らかではありません。そもそも、海外に留学した経験のある辰野がコンクリートを知らないことはないでしょう。

もしコンクリートを使っていたら……

 もしコンクリートを使った場合には、どのような雰囲気の建物になったのでしょうか。それはJR高崎線の深谷駅(埼玉県深谷市)を見ればわかります。深谷駅は当時深谷にあった日本煉瓦製造のレンガが東京駅に使われた縁から、1996(平成8)年に駅舎を東京駅に模して改築しています。

埼玉県深谷市にある深谷駅(画像:写真AC)



 深谷駅の駅舎はコンクリートの壁面にレンガ風のタイルを貼った、「ミニ東京駅」のようなデザインです。そのため、のっぺりとしていて重厚感にやや欠けます。素材の違いが見る人のイメージを大きく変える、よい事例と言えるでしょう。

 こうして歴史的建造物となった東京駅の赤レンガ駅舎ですが、1914(大正3)年に開業した当初、評判はあまりよくありませんでした。

 というのも、利用客が多いであろう日本橋方面を向いた八重洲口すら設置されていなかったからです(開設は1929年)。しかもデザイン重視で設計したため、内部の導線は複雑でした。

 現在の東京駅の導線が直線的で使いやすいのは、その後の膨大な改良工事の結果なのです。

関連記事