徳永英明『最後の言い訳』――新幹線のホームに流れる満男と泉の別れのBGM 葛飾区【連載】ベストヒット23区(9)
人にはみな、記憶に残る思い出の曲がそれぞれあるというもの。そんな曲の中で、東京23区にまつわるヒット曲を音楽評論家のスージー鈴木さんが紹介します。国民的コンテンツをふたつも持つ区「23区の中で一番有名なのはどこだろう?」と考えることがあります。皇居を擁する23区の代表的存在 = 千代田区や、おしゃれな港区、若者の渋谷区などが候補に上りますが、その他に大穴の区があると私は思うのです。 それは葛飾区。何といっても、誰もが知っている国民的コンテンツを持っているのですから。それもふたつも。 ひとつは映画『男はつらいよ』。渥美清主演で1969(昭和44)年から1995(平成7)年までに全48作品が公開された、屈指の国民的人気映画シリーズ。 渥美清演じる車寅次郎の超・有名な自己紹介フレーズは「私、生まれも育ちも葛飾柴又です」と、のっけから、この映画の舞台が葛飾区であることを宣言します。 寅さん像と柴又駅(画像:写真AC) もうひとつ。こちらは国民的人気を得た漫画シリーズ『こちら葛飾区亀有公園前派出所』(秋本治)。雑誌『少年ジャンプ誌』で40年の長きにわたって連載され、それをまとめたコミックスは何と200巻。こちらもタイトルに堂々と「葛飾区」の文字。 今回は、このたび新作が作られた『男はつらいよ』に注目します。「ベストヒット葛飾区」は「ベスト・ヒット寅さん」。さて、どんな音楽が流れてきますやら。 主題歌のメロディーを作ったのは誰か主題歌のメロディーを作ったのは誰か「♪ピャー・ピャラララララララー」 流れてきたのは、あの曲のあのイントロ。渥美清『男はつらいよ』。歌い出しは「♪俺がいたんじゃ お嫁にゃ行けぬ わかっちゃいるんだ妹よ」。 先日放映されたドラマ、NHK『少年寅次郎』を見て、あらためて思い出したのですが、寅次郎とさくら(長山藍子 → 倍賞千恵子)は、異母兄妹だったんですね。そう考えると、歌い出しの歌詞に込められた妹への愛情には、特別なニュアンスを感じます。 江戸川の土手に立つ寅さん(画像:(C)松竹、第一興商) では、あの多くの日本人の心情に根付いたあのメロディーは誰によって作られたのか。皆さん、演歌界の大御所を想像するでしょう(事実、作詞は星野哲郎という演歌の大御所)。しかし実は、山本直純なのです。 50代以上の方なら、長髪にメガネ、ヒゲを生やした個性的な音楽家にして指揮者をよく覚えているのではないでしょうか。「♪大きいことはいいことだ」のCM(森永エールチョコレート)やTBS系『オーケストラがやって来た』などが特に印象的でした。 「タレント音楽家」的なイメージが強い山本直純ですが、若い頃はあの「世界のオザワ」こと、小澤征爾のライバルとしてしのぎを削った才能だったのです。 しかし山本直純は、小澤征爾に「音楽のピラミッドがあるとしたら、オレはその底辺を広げる仕事をするから、お前はヨーロッパへ行って頂点を目指せ」と言い残して、「タレント音楽家」的な活動に向き始めます。 もうひとり重要な音楽家がいるもうひとり重要な音楽家がいる 渥美清『男はつらいよ』のメロディーは、演歌などでよく使われるシンプルで土着的な「五音音階」(ド・レ・ミ・ソ・ラの五音だけの音階)で作られています。言わばクラシックの対極とでも言える作り。日本人の心情に根付いたメロディーの背景には、「音楽の底辺を広げたい」という山本直純の強い思いと、それを体現する音階があったのです。 『男はつらいよ お帰り 寅さん』の特設ウェブサイト(画像:(C)松竹) このたび公開される新作『男はつらいよ お帰り 寅さん』で、この主題歌を歌うのは何と桑田佳祐。山田洋次監督は同新作の公式サイトでこう述べます。 ――桑田佳祐という人と渥美清さんは、心情において深く重なっているのではないか、と前々から思っていて『男はつらいよ』の50作目を作るなら、なんとかして桑田君に主題歌を歌ってもらいたいと強く願って直接に手紙を書きました。いわばラブレターです。 「音楽の底辺を広げた」山本直純と、日本のロックの底辺を劇的に広げた桑田佳祐の組み合わせ、実に楽しみです。 「ベストヒット寅さん」を考えるにあたって、もうひとり重要な音楽家がいます。その人の名は徳永英明。 私の手元にある1枚のCD『男はつらいよ×徳永英明 新・寅次郎音楽旅』は、第42作『ぼくの伯父さん』から、第48作『寅次郎紅の花』までの7作で使用された徳永英明の楽曲を集めたものです。 新幹線のバックに流れる徳永英明の楽曲新幹線のバックに流れる徳永英明の楽曲「ぼくの伯父さん」というタイトルで分かるように、徳永英明の曲が流れたのは、映画の主軸が、寅次郎とヒロインの恋愛から、満男(吉岡秀隆)と泉(後藤久美子)の恋愛に移行した時期でした。 東京駅の新幹線ホームのイメージ(画像:写真AC) そんな『男はつらいよ』後期 = 「満男期」に使われた徳永英明楽曲の中で、1曲選べと言われれば、1992(平成4)年の第45作『寅次郎の青春』で使われた『最後の言い訳』を推します(好評だったのか、次の第46作でも使われています)。 わがままな母親(夏木マリ)に乞われ、東京を引き払い、名古屋に帰ることになった泉(後藤久美子)。泉に恋をしていた満男は、東京駅の新幹線ホームまで見送りに行く。泉は満男にキスをして、名古屋に向かう新幹線に飛び乗る。ホームにひとり残される満男。動き出す新幹線のバックに流れる『最後の言い訳』――。 「♪いちばん大事なものが いちばん遠くへいくよ」という歌詞がダイレクトに映画に溶け込んでいきます。「満男期」の『男はつらいよ』屈指の名場面。というわけで、「ベストヒット葛飾区」=「ベスト・ヒット寅さん」は、徳永英明『最後の言い訳』に決定。 「JR東京駅の所在地は千代田区丸の内なんだから、ベストヒット千代田区では?」と思った人には、寅次郎の名セリフを返したいと思います――「てめえ、さしずめインテリだな?」
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