江戸川乱歩「怪人二十面相」の舞台に 昭和初期の香り漂う「東京ステーションホテル」の魅力とは

1915年に開業した東京ステーションホテル。推理作家・江戸川乱歩をはじめ数々の文豪を魅了したホテルの魅力を、法政大学大学院教授の増淵敏之さんが乱歩の作品とともにたどります。


日本の本格推理小説の草分け的存在

 今や国民的なマンガといわれる『名探偵コナン』の主人公コナンのフルネームは江戸川コナン。もちろんコナン・ドイルと日本を代表する推理作家、江戸川乱歩から取られたものです。

かつて江戸川乱歩『怪人二十面相』にも描かれた「鉄道ホテル」があった東京駅(画像:写真AC)



 最近、ホームドラマ『時間ですよ』『寺内貫太郎一家』などを手掛けたことで知られる、東京生まれの演出家・久世光彦が1993(平成5)年に発表した代表作『一九三四年冬―乱歩』(集英社)を再読しました。

 同作は、ちょうど乱歩が雑誌『新青年』に長編小説『悪霊』を連載中に原稿に行き詰まり、何度目かの失踪をしたときの「空白の数日間」を想像力豊かに小説化した作品です。

 乱歩が身を潜めた先は当時の自宅に近い麻布箪笥(たんす)町の「張ホテル」。中国人が経営する外国人客の多い架空のホテルです。

 探偵小説マニアの人妻や妖(あや)しい中国人青年に戸惑いながら、彼は短編小説『梔子姫(クチナシヒメ)』を書くのです。この劇中小説は久世の手によるもので、まるで乱歩本人が書いたようなクオリティーとなっています。

 この作品は木造の階段、ステンドグラスから差し込む光線、乱歩の常備薬ともいえる仁丹、モダンな形の湯船などを精緻に描くことで、昭和初期の東京の風景が持つ耽美(たんび)的な側面を再現しています。

 この作品は直木賞にこそ選ばれなかったものの、山本周五郎賞を受賞しました。

青山。麻布、六本木が舞台となった『怪人二十面相』

 さて乱歩ですが、「引っ越し魔」としても有名です。生涯で46回、東京でも30回以上転居したと言われています。

 ついのすみかは、立教大学の大衆文化研究センター(豊島区西池袋)と現在なっている邸宅でした。

 池袋に転居する前は、転居先のエリアだった浅草や上野、本郷などが作品の舞台になることが多く、転居後に書き始めた『怪人二十面相』からは、青山や麻布、六本木、麹町などの高級住宅地へと舞台が移っていきます。

『怪人二十面相』は1936(昭和11)年の作品で、名探偵としておなじみの明智小五郎も、乱歩がお茶の水の開化アパートから麻布龍土町の一戸建て住宅に転居した以降に書かれたということになります。

日本の探偵小説の父と呼ばれる江戸川乱歩(画像:新潮社)



 この作品では先述した浅草、上野、本郷は舞台にならず、戸山ヶ原、青山墓地、新宿、日比谷、麻布、杉並、代々木、池袋と東京西部が描写されていきます。これは時代背景として、東京が西へ拡大したということがあります。特に、1923(大正12)年の関東大震災以降はこのような傾向が顕著になっていきます。都市化が郊外へ拡張したのです。

 そして鉄道網が整備され、郊外と結節するターミナルのある街が発展していきます。新宿、渋谷、池袋がその代表格です。

 そのようにして、東京の商業地は東から西に移動していきました。広い敷地が必要な大学などの高等教育機関も、私鉄の沿線開発の一環として西に増えていきます。新興住宅地も同様です。

名探偵・明智小五郎も訪れた「鉄道ホテル」

 この作品の最大の見どころは、変装した二十面相と明智小五郎の対決です。小林芳雄(小林少年)を団長とした少年探偵団はこの作品で結成されるわけです。『怪人二十面相』には、

「小林君は赤帽のあとを追って、かけだしていくのを見おくりますと、名探偵と辻野氏とは、肩をならべ、したしげに話しあいながら、地下道をぬけて、東京駅の二階にある鉄道ホテルへのぼっていきました」

という文章があります。

 舞台は「鉄道ホテル」、現在の東京駅・丸の内駅舎の中に位置する東京ステーションホテル(千代田区丸の内)です。名探偵とは明智、辻野氏とは明智を出迎えた外務省の役人で、彼が怪人二十面相なのです。

 なお東京駅の駅舎は1914(大正3)年に開業。東京ステーションホテルは翌年の開業になります。

『怪人二十面相』(画像:ポプラ社)



 当初は、東京初の西洋料理店として知られる「築地精養軒」に営業を委託していましたが、関東大震災で築地精養軒が被災。その後は鉄道省自らが経営に乗り出し、1933(昭和8)年に「東京鉄道ホテル」として再開業しました。

 建設時は3階建てで、屋根はドーム状。『怪人二十面相』に登場するのは、この時期のホテルです。

 しかし1945(昭和20)年、連合国軍の爆撃によりホテルは炎上し、屋根部分が破壊されました。

名作の世界を思わせる美しき建築様式

 戦後、修復工事が行われましたが、ドーム部分は八角形になり、建物も2階建てになります。ドーム部分を除き、ホテルも3階部分の客室はなくなりました。

 運営は一時期、日本交通公社に委託していましたが、1950(昭和25)年に日本ホテルが設立され、ホテルの名前は東京ステーションホテルに再び戻されました。

八角形のドームを頂く現在の東京駅(画像:写真AC)



 なお2012年には保存復元工事が完了し、3階建ての建物となり、戦前の趣を取り戻しました。ホテルはこの工事に伴い、2006(平成18)年に営業をいったん停止しましたが、工事完了後に営業を再開。現在は民営で、JR東日本ホテルズに属しています。ちなみに乱歩が好んで宿泊したのは旧216、218号室とのことです。

国の重要文化財

 東京ステーションホテルは、東京を代表するクラシックホテルのひとつです。宿泊料は決して安くはありませんが、東京が「帝都」と呼ばれていた昭和初期の雰囲気をしのばせています。

 戦前に開業し建物などが当初の姿で現存、もしくは復元しているホテルで設立された「クラシックホテルの会」に加盟していますが、そのなかで唯一、国の重要文化財となっています。

東京ステーションホテルのウェブサイト(画像:JR東日本ホテルズ)

 ホテルの入っている駅舎建物は赤レンガ造りで、明治時代から大正時代にかけて活躍した辰野金吾が設計しました。現在は、改装前に比べて室数も約3倍に。

 また、改装された丸の内駅舎の延べ面積4万3000平方メートルのうち、ホテル部分は2万800平方メートルと半分近くを占め、駅舎の3階部分の大半と4階の一部はほとんどが客室、2階にも客室の一部、1階と地下には宴会場が入っています。つまり、駅として普段利用している東京駅ですが、実際はホテルとしての機能が大きいということです。

 筆者(増淵敏之。法政大学大学院教授)は打ち合わせなどで、バー&カフェ「ロビーラウンジ」「カメリア」に足を向けることがありますが、まるで戦前から時間が止まったような感覚に陥り、その都度、『怪人二十面相』のワンシーンを思い出します。乱歩の一ファンとして、人知れずわくわくします。


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