東京とホットケーキ。今は亡き神田の名店「万惣フルーツパーラー」の味を求めて
2019年9月23日
知る!TOKYO日本人になじみ深いホットケーキの歴史と、かつて存在した名店の足跡を法政大学大学院教授の増淵敏之さんが解説します。
厚さは1㎝以上、中には5cmのものも
日本人は、古くから「カスタマイズ能力」が高いといわれます。ポルトガルのカスティーリョをカステラに仕立て上げ、中国の中華麺をラーメンに展開させ、インドのカリーライスを日本式カレーライスに作り変えました。

ホットケーキも、このカスタマイズ能力の産物です。欧米でホットケーキという呼称は一般的ではなく、日本でいうホットケーキはパンケーキと呼ばれることが多いようです。
また日本のホットケーキは生地が厚く、パンケーキは生地が薄いという差異があります。ホットケーキの厚さは少なくとも1㎝以上、中には5cmのものを提供する店舗も。
さらにホットケーキの生地には砂糖が入っておらず、パンケーキの生地には砂糖が入っています。これはまさに、欧米のパンケーキを日本風に仕立てたものだと考えられるでしょう。
筆者は食べ物を通じて日本文化を考察する試みを、『おにぎりと日本人』(洋泉社。2017年)で行いました。日本と同じく米の文化圏にある中国でおにぎりが存在しないにもかかわらず、なぜ日本でソウルフードになったのかを考えました。
そこでわかったのは、冷たいご飯を食すか・食さないかの違いでした。ホットケーキは明治時代以降の食べ物であるため、おにぎりとはもちろん発展過程が違います。
ホットケーキミックスのヒットで、家庭に定着
ホットケーキの誕生については諸説あるのですが、日本の食文化史研究家・岡田哲の『コムギ粉の食文化史』(朝倉書店。1993年)によれば、
「三越百貨店が、客寄せのために店内に食堂を設けたのは明治41(1908)年のことであるが、その東京日本橋の三越が、関東大震災後に、ハットケーキという名前ではじめてメニューに入れている」
とあり、これが百貨店の大食堂でのホットケーキ登場の定説になっているようです。

生活雑誌『暮しの手帖』を創刊した大橋鎭子『「暮らしの手帖」とわたし』(暮しの手帖社。2010)には、1937(昭和12)年頃に銀座コロンバンでホットケーキを食べたという記述もあります。
この時期には庶民のあいだで定番になっていたようで、1950(昭和25)年には『暮らしの手帖』のグラビアページで、銀座コロンバンのレシピを使った「誰にでも必ず出来るホットケーキ」が掲載されています。戦後は1957(昭和32)年発売の森永ホットケーキミックスのヒットによって、さらに家庭に定着していくのです。
池波正太郎も愛した「万惣フルーツパーラー」
さてホットケーキをこよなく愛した作家・池波正太郎が足繁く通ったのが、2012(平成24)年に閉店した神田須田町の「万惣(まんそう)フルーツパーラー」でした。彼のエッセイ『むかしの味』(1988年)に紹介されています。

経営母体の万惣商事は1846(弘化3)年に開業、当初は水菓子と呼ばれた果物を販売していました。また、マスクメロンを日本で最初に販売したことでも知られています。フルーツパーラーの開店は1927(昭和2)年で、ホットケーキの提供は1930(昭和5)年からといわれていますが、諸説あります。
池波正太郎は日本を代表する時代小説家ですが、グルメとして数々の名店を贔屓(ひいき)にしていました。「万惣フルーツパーラー」のホットケーキの特徴というのは、カリッとしてきつね色に焼き上げられた生地に、アングレーズソース(カスタードソース)とバターが添えられるというのが基本形だったようです。
残念ながら、「万惣フルーツパーラー」は2012(平成24)年に本店、支店ともに閉店していますが、同店の流れを継いだ店も都内にいくつかあるので、今回ご紹介します。
東京の各地で継承される名店の味
まず赤坂にある「ホットケーキパーラー Fru-Full 赤坂店」(港区赤坂)は、「万惣フルーツパーラー」で20年以上の経験を積んだシェフが、2013(平成25)年に開店しました。

ホットケーキはもちろんのこと、添えられているフルーツとクリームもなかなか美味です。しかし人気店のため、順番待ちも時間によっては必至です。蒲田の「シビタス」(品川区西蒲田)は、「万惣フルーツパーラー」開店時のシェフである加茂謙のレシピに基づいて作られていると言われています。
同店は1968(昭和43)年に「万惣フルーツパーラー」の支店として開店したとのこと。スタンダードのホットケーキに、トッピングとしてフルーツとクリームを頼むのが定番とされています。
また、小田急線「梅ヶ丘駅」近くにあった「リトルツリー」がリニューアル移転オープンした「HOTCAKE つるばみ舎」(世田谷区宮坂)も「万惣フルーツパーラー」に勤務していたシェフの店だということです。
これらの店は「万惣フルーツパーラー」系とでもいうのでしょうか。懐かしいホットケーキの味がこうした形で継承されていることは、とても嬉しいことです。
池波以外の作家の作品にも、三島由紀夫の『豊饒(ほうじょう)の海』(全4巻。1969~1971年)や村上春樹の『風の歌を聴け』(1979年)にもホットケーキは登場します。現在もなお、多くの日本人に愛されるスイーツのひとつが日本式パンケーキ、つまりホットケーキといえるのではないでしょうか。
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