お寿司やお弁当のなかに「緑の葉っぱ」みたいのが入っている理由
テイクアウトのすしを買ってくると、必ず中に入っている葉っぱのようなプラスチックフィルム。あれは一体何なのでしょうか。フリーライターの大居候さんが解説します。シャリに魚をのせるスタイルが誕生した理由 コロナ禍で、東京ではテイクアウトが大はやりしています。そんななかでも、最も価値を感じるのは、やはり江戸前のにぎりずしではないでしょうか。 さまざまなすしのなかでも、江戸前のにぎりずしは代表格といえる存在で、そのルーツは江戸時代の屋台にあることは広く知られています。 また江戸時代は人口の急増した時代で、外食産業のはしりが始まったのは、1657(明暦3)年におきた明暦の大火の後とされています。このとき、復旧工事のために集まった人たちを相手にした「奈良茶屋飯屋」が浅草にできています。この後、江戸の街には気軽に小腹を満たせるファストフード的な屋台が並ぶようになりました。 江戸の食文化は華やかで、天ぷらやうなぎのかば焼きなどさまざまな店がありました。江戸末期の喜田川守貞による随筆『守貞漫稿』(1837~1853年)には、 ・すし屋「毎町1、2戸」 ・そば屋「1、2町に1戸」 とあります。 どちらも現代より数が多く、また、すし屋のほうがそば屋よりも多かったのです。国学者・喜多村信節(のぶよ)の随筆『嬉遊笑覧(きゆうしょうらん)』(1830年)によれば、そんな江戸の街で現在知られるような形のにぎりずしが始まったのは、文化文政年間(1804~1830年)のこと。 このようなすしを初めてつくったのは、深川六間堀町(現在の江東区森下1丁目、常盤1~2丁目、新大橋2~3丁目)の「松の鮨」と、本所両国の「与兵衛鮨」だとされています。それまで江戸で食べられていたすしは、関西で食べられているような押しずしでした。シャリに魚をのせるスタイルが誕生したのは、江戸前の海から魚や貝が豊富に獲れたからです。 仕切りに使われている「緑の葉っぱ」は何か仕切りに使われている「緑の葉っぱ」は何か ただ、この時代のすしは現在のにぎりずしとはかなり異なります。 すし飯は粕酢と天然の塩を使うことで赤身を帯びており、シャリとネタの間には芝エビのそぼろを使っていたようです。なにより、生の魚をそのまま使うことはほぼなく、ネタには仕事が加えられています。 そして、ネタもシャリも現代よりも大きめなので、現代人がみると、にぎりずしというより「魚ののったおにぎり」のような見た目。まさに手早く食べられるファストフードとして、理にかなったものだったのです。 明治以降、すし屋は屋台から店へ。カウンターの前に座って食べるスタイルに変わり、現在の形へと発展していきました。 すしの仕切りに使われている「緑の葉っぱ」(画像:写真AC) さて、そんなすしで気になるのが、仕切りに使われている「緑の葉っぱ」です。 その名は「バラン」 今ではテイクアウトのすしだけでなく、お弁当でも使われているアレ……正確には葉っぱの形をしたプラスチックフィルムですが、名前は「バラン」といいます。 このバランは「ハラン」という植物の名前に由来します。 ハランの葉(画像:写真AC) 古くは「馬蘭」と書いてバランと呼ばれていましたが、その後、植物はハラン、仕切りに使われるものはバランと呼ばれるようにり、現代に至ります。 ハランは庭園の下草(地面をいろどるために植える草)として使われる植物で、ササの葉状の大きな葉が特徴です。入手しやすい素材であったため、古くからさまざまな食材の盛り付けや仕切りに使われていました。 そんなバランが特にすしに使われているのは、仕切り以外に「飾るもの」として重視されてきたからです。「笹切り」と呼ばれるこの技は、盛り付けの際にアクセントとして家紋や魚の形、文字の形に切り抜くものです。 これは、現代でも重視されていて全国すし商生活衛生同業組合連合会(江東区豊洲)の実施している、すし技術コンクールには、笹切り部門がちゃんと存在しています。 いうなれば、仕切りにすぎないバランが重視されるのは、にぎりずしの発展の過程で、その見た目も重視されるようになったからです。 美しく見せることの大切さ美しく見せることの大切さ 美しく見せることの大切さが最もわかりやすく解説されているのは、漫画家・たがわ靖之さんの『鉄火の巻平』です。 漫画『鉄火の巻平』(画像:芳文社) この作品でもさまざまな対決が描かれています。そうしたなかで、 ・すしの盛り込み技術 ・時代によるすしの形状の変化 など、うんちく重視の勝負が続出する点で、本作は非常に価値のある作品です。 さて、最近はプラスチック製のものも多いバランですが、今でもハランやクマザサを自前で育てて使っているすし屋も多くあります。もしそういう店に出会ったときには、ぜひ目で楽しんでください。
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