「民衆が考えることを放棄する危うさ」 紀里谷和明監督の最新作がえぐり出す現代日本への警鐘とは【7000字インタビュー後編】

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「民衆が考えることを放棄する危うさ」 紀里谷和明監督の最新作がえぐり出す現代日本への警鐘とは【7000字インタビュー後編】

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アーバンライフ東京編集部

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『CASSHERN』や『GOEMON』などの映画作品で知られる紀里谷和明監督が、最新作『新世界』の予告映像を発表しました。この作品に込めた思いとは? 単独インタビューの内容を2回に分けて紹介します。後編は、現代日本の悪しき「思考停止」について。

何度もだまされ続ける国民たち

「『だまされていた』といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在もすでに別のうそによってだまされ始めているにちがいないのである」――

 雑誌『映画春秋』創刊号にそう書き遺したのは映画監督の伊丹万作。終戦の翌年、彼が亡くなる直前の1946(昭和21)年夏でした。

「戦争責任者の問題」と題した本稿で彼は、先の大戦について軍や官の責任ばかりを問うて自省しない国民大衆に疑問を呈し、責任のありかを突きつけます。

「批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになってしまっていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである」、と。

支配者と奴隷に分かれる近未来

 巨匠が遺した警告はいま、過去の重い教訓として人々に刻まれているのか? 75年後となる2021年に発表された映画『新世界』(2022年公開予定)の予告映像で、監督の紀里谷和明氏は明確な「否(いな)」を提示しました。

新作映画『新世界』の予告映像を発表した紀里谷和明監督(画像:KIRIYA PICTURES)



 物語の舞台はおよそ20年後、近未来の日本・東京。

 大規模な震災が引き金となり国のあらゆるシステムが崩壊した世界で、スラムと化した街を犯罪者が跋扈(ばっこ)し、派閥を組んだ新たな支配層たちは8年にもおよぶ勢力争いを全国各地で激化させている――。

「世界には一握りの支配者とそれを支える奴隷たちがいればいい」と語る強靭な支配者と、圧倒的な力を前に押し黙る民衆。描かれているのはSF的な空想ではなく、いま私たちが過ごしている現実の延長線上に待ち受けるリアルな近未来図だと、紀里谷監督は語ります。

搾取される民衆は「被害者」か

「戦争や災害、何か災いが起きたとき、民衆がいともたやすく自分自身で考えることを放棄してしまう状況は、過去にも幾度となく繰り返されてきました。それによって苦しむのは自分たち自身であるにもかかわらず、です」

 情報通信技術(ICT)が発達した2021年は、知ろうとさえすれば誰もが知ることのできる時代。しかし、あるいはだからこそ、多くの人はいっそう自身の思考を停止させてしまうという矛盾を現代社会は抱えています。

 いまの状況がこのまま深化していったとき、「20年後」の世界は果たしてどうなってしまうのか。そんな監督自身の切迫した危機感と警鐘が『新世界』には描かれています。

 多くの人間が人間性を放棄し、力の支配にただ身をゆだねてしまう作中世界には、ひとつのアンチテーゼが示されます。誰からも支配されない“新世界”を創るために支配者勢力らと対峙する織田信長が、武田信玄の配下に甘んじる徳川家康に対して向ける言葉です。

「檻(おり)に入ってエサをもらい続けるのか、地平線を目指して走り続けるのか。お前はどっちを選ぶ?」

紀里谷監督の最新作『新世界』の場面カット(画像:KIRIYA PICTURES)



 お前はどっちを選ぶ――。その問いかけはほかでもない、これまで「何度でもだまされ」続けてきた私たち自身に向けられたものでもあります。

「信玄というキャラクターは、国をもコントールする力を持ったいわゆる悪役ですが、突きつめれば支配システムの象徴でしかない。本作の“本当の敵”は、民衆自身です。本来一番大きな力を持っているはずの民衆が考えることを放棄してしまうことで、ごく一部の小さな勢力に自分たちの力を利用されてしまう構図を描いていくつもりです」

 だまされたと嘆き、搾取される民衆は、決して単なる“被害者”ではないのです。

システムに牛耳られている東京

 作品に現代の日本・東京への痛烈なメッセージを込める紀里谷監督。長年アメリカで暮らす監督に、いまの東京はどのように映っているのでしょうか。

「東京という都市は、世界的にもものすごく珍しくて特別な存在だと思うんです。およそ300年も前の江戸時代、100万人が暮らす都市なんて東京くらいのものだった。自給自足と循環システムを取り入れて、平和な時代が300年近くも続いて、どこの真似もしない独自の文化をたくさん生み出した。これは本当にすごいことです」

「築き上げてきた街や文化が関東大震災(1923年)で壊滅し、世界大戦の大空襲(1945年)でまた壊滅し、それでも再び復活させていって、1980年代頃には経済的な頂点にまで上りつめるわけです。その間にもファッション、音楽、建築、映画、ありとあらゆるものを独創的なアイデアで創作していった。そんな都市は世界を見てもほかにありません」

 だからこそ監督が憂えるのは、都市の「すごさ」をそこに住む人々自身がほとんど意識していないこと。

「最近の東京を、僕は面白いと感じません。雑多で混沌としたパワーを持っていた街はいま、何もかも整備されてデザインされてしまった。それこそシステムに牛耳られているように僕には見えます。外国からの観光客が東京で訪れるのは、洗練された商業ビルではなく新宿ゴールデン街のような場所ですよね。しかし当の日本人はなぜかおしゃれな施設ばかりありがたがる。ひどくもったいないことのように感じます」

 都心だけでなく郊外に目を転じても、建ち並ぶのはどこも同じようなショッピングモール。同じようなアパレルブランドと同じような飲食店が出店して、多くの人はそれを「ただただ消費しているだけに過ぎない」(紀里谷監督)。

 こうした現状は、『新世界』が指摘する「悪しき思考停止」と符合します。

「東京だけでなく日本人は、今ある仕組みやルールを“破壊”することを恐れないでほしい。大変なエネルギーが要ることだしリスクもあるけれど、新しいものを作っていかない限り人間は衰退する。日本はいま、さまざまな面で世界に後れを取っている。日本人よ、いい加減目を覚ましてくれ。僕は本気でそう思っています」

 作中で東京都心を思わせる超高層ビルがあっけなく爆破されるシーンは、そんな思いのメタファーなのでしょう。そして「目を覚ましてくれ」という言葉は、日本・東京に住む私たちに対する「激励」というより、むしろ「叱咤」に近いのかもしれせん。

「青い猫」はもう助けに来ない

 なぜ人々は新しいものを作り出すことに尻込みをし、なおいっそう傍観者として振る舞うようになってしまったのか? 背景には、情報社会を支えるネット上にはびこるシニシズム(冷笑主義)が一因にあるとの指摘も近年なされてきました。

 自分と意見の違う相手を安易にたたいたり、人の努力や活動をあげつらったりする風潮は、SNSなどを中心に年々色濃くなっているように見受けられます。

「ネットでそうした書き込みをする人たちも、おそらく自分の中にものすごい葛藤を抱えて悶々としているのでしょう。ただ、頑張っている人を笑っても何の生産性もないし、『もう頑張るのをやめよう』と思わせてしまうのであれば極めて非建設的。日本からさまざまなイノベーションを奪ってしまっている。ぐだぐだ言っているだけではもはや生き残れないところまで来ています。与えられたものをただ消費し続けるのか、自らの力で動き出すのか、どっちを選ぶのか、です」

Zoomでのオンライン取材に答える紀里谷監督(2021年3月、遠藤綾乃撮影)



 予告映像の最後に家康が言うセリフ「青い猫はもう助けには来てくれないんだよ」は、視聴したファンの間でもしきりと話題になりました。

 青い猫、と聞いて日本人が思い浮かべるのは「ドラえもん」でしょう。

 のび太が困ったときに便利なひみつ道具を取り出して何でも解決してくれる未来の万能ロボットは、「もう助けには来てくれない」。問題を解決するのはほかならぬ自分たち自身でしかないというメッセージと読み取ることができます。他力本願のままでは、望むべき未来を手に入れることは絶対にできないのだ、と。

『新世界』本編は22年公開予定

 2021年3月現在、『新世界』のキャストとして発表されているのは、俳優・山田孝之さんや歌手・GACKTさんら。

「ふたりとも、どんなプレッシャーを掛けてもちゃんとやる人。お芝居って本当に大変な作業だから、心が折れないというのは非常に重要です。ふたりともまだ仕事をしたことがなくて、一度一緒にやりたいと思っていました」

 紀里谷監督の過去作『CASSHERN』(2004年)や『GOEMON』(2009年)では、主演・助演はもちろんわずかなシーンにしか登場しない人物まで有名俳優たちが演じたことも話題を呼びました。本作のキャスティングも引き続き鋭意進行中で、「(前作2本と同じように)またいろいろな方に出演していただけたらと思っています。ご期待ください」(紀里谷監督)。

 2022年の本編公開を目指し、制作に協賛するパートナー企業を現在募集しているとのこと。本編がお目見えするおよそ1年後、日本や東京、そこに住む私たちはどんな方向へ向かっているのでしょうか。

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