八王子の住宅街に突如出現! かつての「田町遊郭」とは何か【連載】東京色街探訪(11)
かつて養蚕が盛んだった、東京都西部の八王子市。そんな同市にかつてあった遊廓の跡を、紀行ライターのカベルナリア吉田さんが歩きました。巨大な駅ビルに驚く 八王子駅が、こんなに大きいなんて、知りませんでした。 縦よりも、むしろ横に大きい駅ビルの巨大ぶりにビックリ! そして駅前広場を隙間なく囲むテナントビル、ビル! そのほぼ全てに飲食店がギッシリ入り、思わぬ大都会ぶりに面くらいます。 八王子駅(画像:カベルナリア吉田) ビルの向こうに、山並みのシルエットが辛うじて見えます。ここは東京の西の端、連なる山々は山梨県でしょうか。でも山並みに「郊外」を感じる以前に、とにかく駅ビルが大きくて、駅前にビルが多くて人も多いです。途切れず行き交う何百人もの人、人。 雑踏の隙間に横断幕が張られ「祝 日本遺産認定」の文字、認定内容は「霊気満山高尾山~人々の祈りが紡ぐ桑都物語~」。養蚕が盛んだった織物の街・八王子は、かつて「桑都(そうと)」と呼ばれました。そして都内での日本遺産認定は、八王子が初めてとのことです。 「まちなか休憩所 八王子宿」の案内板も立ち、誘われるまま駅から北西に延びる「西放射線ユーロード」を進んでみます。 突如現れた黒塀「ドン・キホーテ」「築地銀だこ」などチェーン店と「八王子ラーメン」の店が並ぶなかに、歴史を感じる店構えの「都まんじゅう」も。甘く香ばしい饅頭の香りが、鼻先をくすぐります。横丁の路地に「中町」のノボリがはためき、ラブホテルがあります。路上に「コンパニオン募集中」の看板も。 中町の黒塀通り(画像:カベルナリア吉田) そのまま中町を進むと、途中で店がひしめく狭い道「野猿街道」と交差。ユーロ―ドと違い、チェーン店はほとんどなく、古い店構えの小さな店ばかりです。中華料理屋にカウンターバー、スナック、ラウンジ、焼酎居酒屋、ビリヤード店、お茶漬け屋。 野猿街道を渡り、中町をさらに進むと――景色が変わりました。柳が茂り、狭い道に沿って黒塀が延びています――花街の黒塀? それにしては塀が新しく、キレイです。 道沿いに小さな居酒屋やスナックが並び「大人の隠れ家」の雰囲気です。一角に石造りの道しるべが立ち「中町」の2文字。さらに進むと、風格漂う1軒の家の入り口に――おおっ、「八王子三業組合」の表札が。 かつての花街に黒塀が復活かつての花街に黒塀が復活 織物業で発展した八王子には、明治の初めころから芸妓が行き交う花街がありました。始めは甲州街道沿いに、遊郭とともに発展しましたが、1897(明治30)年の大火を機に遊郭は北側の田町に移転。花街はここ中町に集約されました。 明治~大正を通じて織物業が発展すると、花街も併せて繁盛し、大正末期には芸妓も150人ほどに増えます。そして ・芸妓を派遣する「置屋」 ・料理を作る「料亭」 ・旦那衆が芸妓を呼んで遊ぶ「待合」 の「三業」がそろう「三業組合」ができました。 第2次大戦の空襲で花街は一時壊滅しますが、戦後は織物業が復活し、花街も息を吹き返します。1952(昭和27)年には芸妓も200人を超えましたが、その後は織物業の衰退とともに、花街のにぎわいも失われていきます。 中町の道しるべ(画像:カベルナリア吉田) しかし八王子の花街の灯りを消してはいけないと、街並み復活の街づくりが行われ、中町に「黒塀通り」がつくられました。数こそ減りましたが芸妓もいるそうで、八王子中町は今も、花街の灯りをともし続けています。 街づくりで生まれた花街の象徴・黒塀はまだ新しく、風情を生みだすのはこれからでしょうか。それよりも個人的には、遊郭が移転した「田町」のほうが気になります。 甲州街道を渡り、さらに北へ。かつての花街は街道筋にありましたが、今では往復数車線の広い道路を、車が途切れず行き交うだけ。風情の残り香すら感じません。 甲州街道の北側は静かな住宅街で、人も車もまばらです。道幅も狭く、ヨソ者がこんなところまできていいのかな、とさえ思い始めたそのときです。 ――突然広い道に出ました。大型バスやトラックが、余裕ですれ違える大通り。なぜここに? そして電柱の住所表示に「田町」の2文字が。 突然の大通りは田町遊郭跡突然の大通りは田町遊郭跡 かつてここに遊郭がありました。1897(明治30)年の火災で、甲州街道にあった遊郭は、ここ田町に移転した。 すぐ北を浅川が流れる、田んぼばかりの寂しい場所に突然、吉原風の遊郭が誕生。大通りの両側に、20軒ほど貸座敷が並んでいたそうです。 呆気(あっけ)にとられつつ、大通りを歩いてみます。広い道の片側に、八王子食糧倉庫の建物がそびえ、中規模サイズの業務用スーパー(遊郭の跡地だそうです)があり、後は普通に住宅が並ぶだけです。 田町の大通り(画像:カベルナリア吉田) ――よく見ると、そう普通でもない家があります。ジャングルのように生い茂る木々に覆われた、年季の入った木造家屋。それも数か所にあります。 格子板を縦横に、細かく張り巡らせた木造の壁。1階の部屋を目隠しのように囲む、目の細かい格子塀――かつての遊郭の建物が、今も残っているようです。 足を留め、木造家屋の1軒を眺めていると――視線を感じました。道行く高齢の男性が、不審者でも見るように、僕を眺めています。その場を離れ、大通りを進むと丁字路に突き当たり、そこから先は細い路地だけが延びています。大通り、遊郭跡はたぶんここまで。大通りは短くて、長さ200mくらいでしょうか。 狭い道が入り組み、家々が密集するなかに、唐突に残る広い道の遊郭跡。突然、時空のはざまに迷い込んだような、奇妙な感覚に襲われました。 大通りの北に行くと、浅川のほとりに出ました。川べりにススキが茂り、風に揺れている。川は緩やかに流れ、上流のほうに山々の稜線(りょうせん)が見えます。 これが本来の、桑都・八王子の風景なのでしょう。テナントビルだらけの、今の駅前ではなくて。 野猿街道でシメの一杯野猿街道でシメの一杯 夜はまず中町の店に入ってみましたが、あまり盛り上がらず1杯だけで出ました。 野猿街道(画像:カベルナリア吉田) そのまま野猿街道に向かうと、小さな店の灯りがズラリとともっています。カウンター席だけの、小さな1軒に入ってみました。 「いらっしゃーい。お好きな席へどうぞ」 女性店主の言葉に甘え、カウンターの真ん中の席にドカッと座りました。でも直後に、地元の常連風オジさんが次々来て、真ん中に座る僕を見て「あれ?」という表情。常連の席に座ってしまった? オジさん客は一様に「コイツ誰?」と言いたげな顔で、僕をチラチラ見ているし。 なんて気にしたのは最初だけで、オジさんのひとりが「……八王子の人?」と声をかけてくれて、次第に場が緩んでいきます。 「常連さんの席に座っちゃったかと……」 「1回来れば常連だから。また来てね」 酒は地方の焼酎がそろい、僕は屋久島の「三岳」と、奄美大島の黒糖焼酎「浜千鳥の詩」。オムレツを注文したら、完璧に美しい仕上がりで、そしておいしい。 人と物が行き交う桑都、八王子。多くの「ヨソ者」を迎え、受け入れてきた花街と遊郭。その名残は今も、確実に残ってます。シメに駅前で八王子ラーメンを食べて、八王子を後にしました。
- おでかけ
- 八王子駅